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心のコントロール方法
2012年01月30日
昨年のこの時期、引き寄せの法則について書いたのを思い出しましたので、今年も思いついたことを書きたいと思います。
引き寄せの法則というものは、法則自体は簡単ですが、それを実行することは大変難しいのです。
固定観念が、アホ臭いとか、あるわけ無いとか、脳天気という想念を引き起こしますし、実際試してみても、常識が邪魔をするので、望まないものまで引き寄せられてきます。ですから起こりうるリスクには全て対応策をしっかりしておかなければ安心できません。
また、何でも手に入ると思うと、実際に欲しいものはそれほど多くなく、また、苦労なく(信じること自体が大変な苦労なのですが)何かを手に入れることへの罪悪感まで感じます。
そのため、心をコントロールできることが必要になります。
心医術は、私がヨガを本格的にはじめる前に、一定以上の客観性を持つ様々な科学研究の結果を組み立てた西洋的な方法です。
多分、現在を生きる多くの人に当てはまる法則だと思うのですが、ヨガをはじめると心の構造が少し変わってきます。
私自身の心の内部観察から、今回は、ヨガのテクニックを使った心のコントロール方法について説明したいと思います。(心医術では足りない部分の探求をつづけて、考え続けることとヨガの行を同時に行い3年程度かかりましたので、少し根気が必要だと思います)
ヨガで特別な行法を行う以前には、心はとても速く動きました。
科学では、通常こころは神経伝達速度、1/1000秒単位のレベルで働くことがわかっています。哲学のレベルで考えれば、こころは簡単に未来に行きますから、光の速度を超えていそうです。
ですから、働き始めたときは手遅れで、なすすべがありません。一つのことに心がとらわれると、それから離れるのも一苦労です。
皆様はいかがでしょうか?
ところが、ヨガの呼吸法をはじめると、心の動きが少し緩やかになりました。おそらく、1/10秒単位のレベルだと思います。
その呼吸方法は、丹田呼吸といい、息を吸うときに臍の下を膨らませる呼吸方法を続けていると、その部分が気で満たされ、熱感を感じるようになってきます。
ネガティブな感情(情動)が起こったときに、丹田に気を下ろすと、以前よりは簡単に止めることが出来ます。
一方、脳だけを使った場合は、意思の力によって常に情動を監視下に置かなければならないので、油断をすると情動が動きます。
また、情動は思考によって抑えられるのを好まないようで、そのエネルギーはくすぶり続け、一時的には押さえ込むことが出来ても、やはり油断すると前よりも強くなり勢いづきます。
ところが、丹田にその気を下ろしたときには、燃やされたように消えてなくなってしまいます。燃やされるというのは、そのような想念を丹田に下ろすと、丹田がとても熱くなるからです。
そうすると、ポジティブな感情を引きよることが楽にできるようになります。
では、全て丹田で考えるのがよいかというとそうではなくて、全てを丹田で考えるのは現代には会わないように感じます。頭で考える利点は、そのスピードにあるからです。両方とも利点がありそうです。
丹田呼吸自体は、上に記した方法で簡単です。
ご興味がありましたらお試しください。
遅くなりましたが新年のご挨拶を
2012年01月19日
かなり遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年はパソコンからできるだけ離れようと思っていましたら、気がつくとかなり時間がたち、寒中見舞いの時期になってしまいました。
本年も自然とケアンズとの交流で健康に役立つ方法を考えてゆきたいと思います。
私自身もなるべく山小屋で過ごし、自然と触れ合う時間を増やそうと考えています。

(シークワーサー収穫中です。後先考えずに植えるとこうなります。)
こちらは先週末体験したシュタイナーの水彩画です。

自然と触れ合いながら、人間的な美も追求してゆくという、矛盾の内包を突き詰めてゆきたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
玄
2011年12月13日
本年も残りあとわずか
今年も毎日心医術を心がけて過ごしました。
心医術を行い困ることは、心医術では恒常性を保つことが重要ということを説いているのですが、脳がリフレッシュされると、どんどん新しいことが理解できるようになり、新しい知識や体験が入ってきます。
新しいことは恒常性を崩すのでストレスになるのですが、努力をしても起こってしまうことは仕方がないですね。
本年はここまで到達しました。哲学を使うと、無と有は、幻想ということがわかるのですが、これらを超えた玄という世界が存在するらしいです。
来年はこちらを探求してゆきたいと思います。
皆様、どうぞよいお年を!
紅葉
2011年12月04日
土曜日は少し空いた時間ができたのでレンガを敷く予定だったのですが、そんなつまらないことは後にしなよといわんばかりに雨。紅葉を楽しみました。


ケアンズの雨はバンザイして飛び出したくなるくらいパワフルだけど、日本の秋雨はしとしと遠慮がち。

落ち葉や花びらをごみという人もいるけれども、落ち葉や花びらも大切な景色だと思う。


最近雨を嫌がる人が多いけれども、雨のときにしか美しさを見ることが出来ない、しっとり濡れた飛び石などが、生活の場から少なくなって、雨が退屈になったからだと思う。


環境保全(社会の営みに都合のよいように自然を機能的にコントロールする)か環境保護(自然をありのままに保つ)かという議論もあるけれど、人はパンのみに生きるにあらず、神の言葉で生きる。日本の神様は「隠(か)れ身(み)」。自然を人間のいいように変えてしまったら、まだまだ人間に隠されて発見されていないすばらしいものを壊してしまうと思う。成長できなくなってしまう。だから、環境保護が大切だと思う。


だからといって、和と洋、自然と人工が極端に対立するわけでもなく、馴染むことも出来ると思う。


紅葉を楽しませてくれた秋雨に感謝です。
ココロのコントロール法・一瞬で幸せになる方法
2011年11月21日
心医術はレーサーがレーシングカーを自在に操るように、「自分」という意志の力、魂ないしクオリアによる、心身自在を目指しています。
前回、成功は幸せな状態のときに起こりやすいという、幸せの大切さを述べたので、今回は幸せを引き起こす方法を説明します。
人には「一瞬で幸せになる方法」があるということに気づいたのは、次のようなことが出来るようになったためです。
心医術p.295。
「夜に目を閉じて、あらゆる刺激を遮断しても、幸福であると思うだけで幸福を感じることが出来るからです。そして、このことは、一切の外界からの刺激を必要とせず、私自身という一つの独立した有機体の中で起こりうるものであることを示しています。」
つまり、幸せの状態を、意志の力で簡単に再現し、その気分でココロを満たすことができるのです。
理論上一つだけ条件があり、幸せを知っていることが必須ですが、幸せは人にとっての原体験であり、全ての人が、いかなるものかを知っていると考えられているので、誰でも出来ると思います。
では、早速その方法です。
それは、前述した「幸福であると思う」ことです。一度できるようになると簡単なのですが、できるようななるまではなかなか難しいようです。
そのため、ヨガのテクニックをかります。
「幸せになりたい」、「絶対に幸せになる」ということばは逆効果になることがあります。
今の時点で幸せでないことが、強く再確認され、かえってみじめになってくるからです。
ではどうすればよいのか。
「私は幸せになった」というマントラをつかいます。
これを、何度もココロに刻み込み、同時に、幸せの情動記憶(幸せの状態)を呼び起こすことです。最も幸せだった過去の経験を思い出すと、情動記憶を呼び起こしやすいです。
もう一点重要なのは、相対論にはまり、不幸があるからこそ幸せを感じることが出来るという、不幸がなくてはならないものだと思い込んでいると、なかなか不幸を止めることが出来ません。
間違ってはいませんが、不幸がなくても幸せを感じることが出来ます。
なぜなら、認識は、差から生まれます。
たとえば、現在と過去を認識できるのは、過去は現在と比べると記憶の鮮明さが劣るという差から生じるという、哲学上の仮説があります。つまり、過去を同じ強さで再現できれば、過去は認識上存在しなくなり、永遠の今が生じます。
これも個人的な考え方ですが、心医術p.301。
「最終的な目標は、毎日幸福でありながら、翌日はより幸福になり、最後に息を引き取るときには最も幸福になっていることです」
つまり、不幸を必要とせず、浅く弱い幸福を基準にして、より深く強い幸福を感じることが出来るのです。
幸せには、強さ深さがあります。
風の中のローソクのように一瞬で吹き消えてしまう、弱く浅い幸せもあれば、その場に泣き崩れてしまうような強く深い幸せもあります。
どのようなときに最も強い幸せが経験されるのかも、哲学の領域である程度わかっており、それは、いまのところおそらく被造物感情だといわれています。つまり、自分を創ってくれ、生かしてくれる愛に満ちた存在に対する感謝です。(個人的にはいまのところ、神秘体験が起こり、それを捨て去り乗り越えることが大切であると考えています)
意志の力で情動を動かすことには、最初は心理的抵抗があるのですが(このタブー感がどこから来るのかも探求してみたいと思っています)、たとえば、脳がお花畑
などと思われるかもしれませんが、脳が荒地
よりもずっと素敵です。
習慣になると特に良いも悪いもなくなってくるので、ご興味のある方はお試しください。
あと、一点大切なことなのですが、最初はストレスが無く、体調が良い状態のほうが、出来やすいと考えられます。
そのため、ケアンズは最適だと考えています。
最後に、幸せにより、慢心が起こると足をすくわれますのでご注意を。
心医術と引き寄せの法則
2011年11月15日
心医術がどうして引き寄せの法則なのか。
心医術を執筆した当初、私は引き寄せの法則というものがあることを知りませんでした。(しかもどちらかというと、こういうニューエイジ系は好きではなかった)
しかし、健康に良いとされる、質が高く、科学者の間で尊重されている医学調査の結果を集めてゆくと、次のことが見えてくるからです。
心医術の9ページ。
「幸福とは単なる目的ではなく、幸福であることが、健康や生活の質全体の向上にも役立ち、それがまた、さらなる幸福の実現にも役立つという好ましい循環を明らかにしていきます。」
不幸の中で頑張っても、いつまでたっても幸福にはなれないということです。
この気づきは、なんとしても人に伝えなければならないというほどまでに、強いインパクトがありました。
また、最近発売されたジョーン・エイカー氏によるベストセラー書、幸福優位7つの法則でも同じことが書かれています。
「幸せは、成功の結果ではなく、幸せでポジティブな気分の時に成功する」
したがって、幸せになることは、ゴール(目的)ではなく、スタートラインなのです。
そこで、次回はもう一度、瞬時に幸福になるための方法をおさらいします。
危機のときのココロの働き
2011年11月10日
ここのところ、世界中で地震、洪水の災害、経済システムの破綻傾向など危機が多発。
日本でも、最近の医学調査で、震災に対する心理的影響が、血圧などへの悪影響という形で現れています。
危機の時には動物はこのような行動を取ります。
たとえば、最も原始的な生物である線虫。
危険がないときには、単独行動で自由に動き回るけれども、有害物質などを感じて危険が迫ると、集団で行動するようになります。
こういう危機のときには、皆で協力しあうのが、ココロにはやさしいと思われます。
もう一つの動物の行動の特徴は、自分で出来ることは自分で。
なかには、自分で簡単に出来ることを、あれをやって、これをやってと人を使いたがる人もいるけれども、これは協力ではなく従事。
こういうときにはみんな大忙し。ご注意を。
人はもう一歩高度なことが出来て、ケアンズの自然の中で人工物が何もないところに一人ぼっちになってみると、究極的には観念の上で、社会との関係が断たれます。そうすると、人によって作られた経済からくる不安は和らぎます。
不安は良いアイデアの発想を妨げます。
そして、危機を乗り越えるためには良いアイデアが必要。
こういうときには、色々な方法で、積極的に不安の解消を。
木の気持ち
2011年10月11日
ヨガスタジオの建設を計画している、昨年購入した土地があるのですが、数十年放置され原野状態になっています。庭木は野生化して、花や実がなるのははるか頭上、巨木になっています。(しかし、栗・柿・梅・木蓮・もみじ・金木犀・百日紅・椿・薔薇など貴重)
自然が一番といいたいところですが、色々な木々の枝が押し合い圧し合いで、風通しも悪く、窮屈そうなので、少し枝をはずしました。
観賞に耐えるようにするための枝のはずし方には、いくつかの先人たちの知恵とルールがあります。
忌み枝といって、嫌われ者の枝があります。
なんだか木も人も似ています。
まずは、徒長枝、立ち枝。
まっすぐ上に勢いよく伸びる枝。出る杭は打たれ、正論や義を振りかざすと嫌われたりします。しかし、他の木の陰になるようなときには、いち早く陰を突き抜けて、木の生長を助けます。危機の際には重宝されます。
逆さ枝。
幹の反対側に伸びてゆく枝です。樹形が乱れるので剪定されます。アマノジャクのようにも見えますが、人の行く裏に道あり花の道。なぜか成長して太くなると見事です。日比谷公園に、すごく見事な逆さ枝の木があり、圧倒されます。わが道を突き通し続けるのも立派。
胴吹き。
忘れた頃に主幹から生えてくる枝。昔は良かったと、ノスタルジックな懐古主義者。または幼児退行? 気持ちはわかります。あまり成長しないので、目立たず、はずすのも面倒なのであってもいいかという気分になる。当たらず触らず。
ヒコ生え。
地際から伸びる枝です。これも栄養を取るために剪定されます。しかし、主幹が倒れたときにはこのヒコ生えが成長することによって、木の生命が保たれます。新しい思想の源流のようです。また、ヒコ生えが主幹と同じくらいに成長すると、株立ち、武者立ちになります。色々な思想が調和しているようにも見えます。先駆者。
斜めに外側に向かってでる枝。
調和が取れています。これを全て切ると枝がなくなる大衆。庭の主人の気分しだいで、込み入ってきたときなどに剪定されます。
その中でも、たとえば平行枝。同じものは二つもいらない。まねっこ。
交差枝。人にちょっかいを出すと嫌われる。寂しがり屋?
折れ枝。燃え尽き症候群?
枯れ枝。
日陰に生え、葉もなく、何ものにも塩しない枝。しかし、どの枝もゆくゆくは枯れ枝になります。
枯れ枝以外はどの枝も、木の成長に役立つので、個性を尊重するのか、それとも全体のバランスを保つのか、難しい問題です。
枝だけでなく主幹も、直立していたり、倒れても生きつづけていたり、流枝になっていたりで、いままでの成長を物語っています。
環境に恵まれたんだなぁとか、厳しい環境で生き抜いてきたんだなぁとか。周りと仲良くやってきたんだなぁとか。
ケアンズは広い場所でのびのび自由に育っている木も多いです。(つる植物に絞められて苦しそうな観光名物の木もある)
ケアンズで木々をみるとき、どのように光を求めて成長してきたのかを見るのも楽しいですよ。
見とれる壁紙
2011年09月24日
芸術の秋ということで、急にパソコンのデスクトップを名画にしようと思い立ちサーチエンジンで検索するとたくさんのサイトがヒットしました。
サイトの開設者の方々に感謝です。
色々見比べて、ラファエロのアテナイの学堂にしました。

(こちらからダウンロードさせていただきました)http://matome.naver.jp/odai/2129792289098372501/2129792382798444103
デスクトップにすると、額縁がなく全部を見渡せるためか、不思議とウフィツィ美術館でラファエロを見たときよりも、臨場感がとてつもなく、話し声のざわめきが聞こえてきそうで、その場にいるような気がしてきます。
写真が発明されてから、いくらリアルに写実しても写真にはかわないという理由で、近代から現代美術はアボリジニ絵画のような抽象画に向かっていますが、ラファエロはリアルでありながら写真を超えていると感じました。
見とれてしまい、吐く息とともにストレスが抜けていきます。
芸術の持つ癒しを治療に使おうという動きもあり、治療効果があるのかないのかは主観的な評価になってきますが、美しいものには治療的な効果があると私は信じています。
ケアンズでもアートテラピーなどをされている先生もいらっしゃるようです。
ぜひ、芸術の癒しに触れてみてください。
ケアンズ療法実践編・チャクラバランシング
2011年07月20日
チャクラというのはヨガでいう、体内にある7つのエネルギーセンターのことです。
pubmedでキーワード「chakra」で検索してみると、論文は一件もヒットしません。
というわけで、西洋医学では未知の領域になります。
しかし、ヨガで瞑想の行を行っていると、だんだん自分の中にチャクラがあることがわかってきます。
眉間の内側にアジナチャクラというチャクラがありますが、瞑想をしているときに、ここに色々と鮮明な像を結ぶようになります。
しかし、なかなか精神集中が大変で、期待したり、見ようとする意志が出ると見ることができないという厄介な性質を持つため(見えたからなんだという気もするのですが)、もっと楽にできないものかと、Shirodharaを受けてきました。
Shirodharaというのは、オイルポットからアジナチャクラの表面に向けて、オイルを数十分たらして、深い瞑想状態に誘導するアーユルヴェーダのテクニックです。
「Shirodhara」をpubmedで検索すると4件の論文がヒットします。いずれも確定的な論文ではありませんが、神経免疫学的に良い作用を及ぼす可能性が示唆されています。
スパを訪れ、ベッドにあおむけに横たわり、期待に胸を膨らませ、始めてもらいました。
暖かく、心地よいオイルが額をゆっくりと流れていきます。
が。。。。。
ちがう。アジナはそこではない。。。もっと下なのだが。。。あーそうそう。下がってきた。。あともうちょっと下。えっ????どうして上にもどる???しかもぐるぐる回してはいかん。誰からそんな方法教わったのですか????
というわけで、深い瞑想状態ではなく、思考の迷走状態を体験し、スイートスポットに一度も当たらず、やや不満。
チャクラバランシングのマッサージを受けた妻は、爽快な表情で、気持ちよかったと満足げに出てきて、こちらにすればよかったと後悔。
しかし、その夜瞑想をすると、間違いなく今までよりも簡単にアジナチャクラを意識できるようになりました。(翌日には元の木阿弥になっていました。継続したほうがいいのかもしれません。)
スイートスポットに当たらなくてもいいのか????もしかしたら私が間違っているのだろうか???もし、スイートスポットに当たったらどうなるのだろう???とさらに混乱。
そして、アジナだけでなく、他のチャクラに当ててみたらどうなるかというイタズラごごろも。
帰国後すぐに、Shirodharaセット一式を購入してしまいました。
ケアンズでは、色々なスパでチャクラバランシングのマッサージを受けることができます。
効果が実感できるスパを探してみてください。
ケアンズ療法実践編・愛情について
2011年07月07日
友人の結婚式に出席してきましたので、愛情について考えてみました。
愛情は人間にとってアプリオリに貴く、謎が解けると魅力が薄れると心配されるかもしれませんが、形而上のため捉え難く、探求しつくされる性質のものではありません。
むしろ、愛情という美を突き詰めてゆく美学は、わくわくする楽しいものです。
愛は、多種多様でバラエティに富んでいます。
キリスト教的な全人類に対する普遍的な博愛もあれば、友人や家族のような限定を対象にした友愛もあります。
自己を大切にする自己愛もあります。
自己の中にも、たとえば身体を犠牲にして信念を愛するというような、自己の中のより小さな対象に向かう愛情もあります。
その表現も様々で、成長を望み試練を与えたり、無干渉に徹する父性愛もあれば、苦の試練を取り去り和らげる慈愛もあります。
心理学者のマズローの研究が治療的ですので、今回はマズローの愛情に表現をかります。1)
マズローは愛情を二つに分けています。
ひとつは、B愛情(他人の生命のための愛情、求めない愛情、無我の愛情)。
もうひとつは、D愛情(欠乏の愛情、愛情要求、利己的愛情)です。
B愛情は他人に与え、D愛情は人から与えられるプロセスにより、こころに引き起こされるという正反対の性質を持ちます。
B愛情は深く長く続き、飽きられず、消滅せずに逆に大きく成長してゆきますが、D愛情は無意識的な欠乏と欲求を引き起こし、与えられてもすぐに消滅し、求められ続け、手に入らない時には欲求不満を引き起こし、しばしばトラブルの原因になります。
ピンとこない方も多いかもしれませんが、マズローは、B愛情を与えることによって、与えた愛情よりも大きな愛情が、無限に与えられるという大変な発見をしたのです。
つまり、自分のこころのありかたひとつで、こころが愛情で際限なくどんどん満たされてゆくのです。(引き寄せの法則が当てはまるように見えます)
B愛情を実践するようになると、もはやD愛情は色褪せ魅力を失い、求められなくなります。
つまり高次へのワンウェイであることから、人格の成長と解釈することができます。
欠乏は病気を生み出します。
したがって、必ず欠乏を必須とするD愛情以外に、B愛情があることを知り、こころが愛情で満たされるようになると、人はより健康になると期待されます。
ケアンズはいつも惜しみなく愛情を与えてくれているように感じます。
何も恩返しをしなくても、ただ与え続けてくれています。
そして、愛情を与えるときには、ケアンズをお手本にすればよいように思われます。
来週はケアンズ旅行です。
しっかりケアンズと向き合って来ようと思います。
参考文献)1)アブラハム.H.マズロー 上田吉一訳 (1998) 完全なる人間 魂のめざすもの 第2版 pp.52 誠信書房
武道は戦いを無くす?
2011年07月04日
週末は高校の同級生の結婚式で東京へ。
そこで、心医術でご著書から引用させていただいている、山本哲士先生とお話をさせていただきました。
先生はホスピタリティ学の重鎮でおられ、結婚式会場のペニンシュラホテルのホスピタリティにも携わったとのことです。
ホスピタリティには利他のエッセンスがありますから、このような話に。
最近、先生は剣術のマスターとやりとりをする機会があって、それによると、技術だけでは到達できないある一定のレベルに達すると、刀を交えた瞬間に、どちらが切られるのかがわかる。
それは、西洋の剣術が絶えず剣を振り回すのとは違って、刀を合わせた静で完全に相手と自分が一体になるからわかる。ということでした。
そうなると、無駄に争う必要が無くなる。
未熟だから戦ってみないとわからないんだよ、と言っておられました。
私も最近、ヨガのマスターと対面で瞑想をしていた時に、鼻炎で鼻がむずむずし始め、良くなったと思った瞬間に、マスターが鼻をずるずるさせ、「鼻炎がひどいねぇ」といわれ、私の鼻炎をうつしとられたという経験をしました。
この経験を山本先生に話すと、おそらく人間には、自分と他人を統一させる何らかの方法があるんだろうねぇと話されました。
多分これは、日本人に備わった特別な感覚で、つねに分離が根底にある、他の人種にはできないだろうと。
日本の武道には、相手を倒すという要素よりも、お互いに成長することにより、お互いを生かすという精神があるのかもしれません。
勉強になりました。
心医術は完全なプラグマティズム(アメリカ哲学のひとつ)、現在力を入れているヨガはインド哲学、普段の思考方法はヨーロッパ哲学の力を借りているので、妙にヨーロッパの友人と話があったり、また、こころはすぐにケアンズに向かってしまったりするのですが、少し、地に足をつけて、日本人の感覚を磨いて、日本のためにも仕事をしなければならないのかもしれないなぁと感じました。
不思議な体験
2011年06月20日
従来科学や五感は一貫性は提供してくれますが、完全を提供してくれません。
進化心理学のような前衛的な科学や哲学は完全のまどろみを見せてくれますが、やはり完全には手が届きません。
人間には、ある種の条件がそろうと引き起こる、不思議な感覚があるようです。
以前、神秘体験について書きましたが、高嶋さんもそれを経験された一人です。
ご自身のブログで心医術の記事を書いてくださいました。
http://bwalpha.blog122.fc2.com/
以前にも書きましたが、河原道三氏が「参りました」といいたくなるくらい、神秘体験について、詳細かつ正確に分析されています。
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site1/cover.htm
神秘体験は、より良い健康を実現するための、重要なエッセンスになるのではないかと考えています。
不思議な体験を経験されて、それがどう考えても大きな意味があるように思えて、あれはなんだったのか?と不思議に思われている方は、ぜひ意見交換をお願いいたします。
lep-wellness@hotmail.co.jpまでメールください。
なお、これが起こる条件の一つには、自身の体験から、アボリジニの通過儀礼のひとつに、そのヒントがあると思っています。
アボリジニ・ツアーでも通過儀礼を説明してくれますので、ぜひ、ツアーに参加してみてください。

十年経つと・・・
2011年06月17日
朝出勤をして掲示板を見ると、勤続10年の表彰があるとのこと。
対象者に私の名前がありました。
ああ、もうここにきて10年経ったんだと思いました。
最初に勤務した病院は、皆、すぐに対立しあい、イヤイヤ文句を言いながら仕事をしており、私にとってはあまり良い環境と感じることはできませんでした。
イヤなら他に行けばよいのに、なぜ居続けるのだろう???という単純な疑問を胸に、ここに居てはいけない、というこころの奥の警鐘を感じ、希望を出して早期出向。
いまでこそ、大学病院以外で研修することが普通になりましたが、当時は一匹狼と呼ばれるほどの本当にごく一部の例外でしたので、多くの方から反対をされました。
出向先は、前身が明治時代からのかつての日本海軍の関連病院。
尊敬できる上司のもと、歴史と伝統のある病院で、沢山の経験を積み、勉強をさせていただきました。
その後、出向元へ戻るようにという人事がありましたが、戻らないことを決意しての出向でしたので、退職。
人手が足りないので手伝ってほしいという要望があり、母の従兄弟が院長をしていた現在の病院に勤務することとなりました。
勤務したばかりの時は、専門職というのはそういう方が多いのですが、協力し合おうという風潮はあまりなく、効率的ではありませんでした。
その後分業を提案し続け、現在では以前よりは効率的になりました。休日の出勤も減りました。
そして、医師不足で多くの病院で医者が減り続ける中、現在、高校の同級生2名が常勤になってくれ一緒に仕事をしています。
話を聞くと、今までいた病院は、喧嘩腰の人が多く、拘束時間が異常に長く、離婚をしてしまったり、子供に会う時間がなかったりと、過労で士気もなくなり、うつに罹ってしまっている先生もいらっしゃるそうです。私が最初にいた勤務先と似ています。
もう少し、人を信頼して、お互いに相手を大切にすることを学べば、協力をしあえるのになと思ったりもします。
そして、相手を大切にすることは、自分を大切にすることと同じだということにも気づきました。
仕事場なんてどこも一緒と思われている方も多いですが、ひとが近づく環境、遠ざかる環境というものも、やはり、あるのではないかと思います。
そして、こころの奥からの声に注意深く耳を傾け、一日一日、昨日よりも少しでも良くなるように努力していれば、自然と収まるところに収まってくるのだろうと思います。
一年経つと・・・
2011年06月08日
今年もクレマチスが咲き始めました。

昨年、クレマチスとミミズコンポストの記事を書いたのを思い出します。
ミミズコンポストの代わりに、米ぬか堆肥を作ってみたのですが、あまりの臭いに(冬場だったので異臭騒ぎには至らなかった)ガーデニングにいいものは万人受けしないというパラドックスをどう解決するか次なる手を考えています。
この米ぬか堆肥を使ったゼラニウムは、たった3か月で3年物以上に成長しました。
一年経ちヨガ事業も形になってきました。この日は、定員12名に対して、レッスンを1クラス追加し、16名の皆様が参加してくださいました。
ホームページも出来上がりました。
一年前より始めた、本のプロジェクト。
予想された通り、無限の罠にはまってしまっているのですが、SEIJIさんの「いつまでも待ちますよ」というあたたかいお言葉に甘えているところです。
私は、ある程度の根拠に基づいて、人生を適切な方法で楽しめば健康になると信じていますので、楽しむというのはどういうことだろうのを深く考察したいと思っています。
これも万人受けしなさそうなので、出版しても多分売れないだろうなぁと思います。
一年経ち娘も成長しました。

科学的根拠に基づき、あまり余計なストレスを与えないようにしながら、生後8か月くらいから英語をはじめて、1歳半から英語教室に通い始めました。英語の発音もよく、同じように過ごされてきた、週末遊びに来てくださったお友達は、ほとんどネイティヴです。
この、ほさか英語教室の保坂校長も遊びに来てくださいました。
保坂先生の教室のお庭はイングリッシュガーデンでいつも花が咲いています。
そこにある年代物のゼラニウムの話になりました。
15年前に英会話の幼児教育を始めたころに植えられたらしく、その頃はまだ、だれも子供に英語を教えることを理解してくれなかったそうです。
そして、私の行っている事業も、今はたぶん理解できる人は少ないけれども、必ず3,40年くらいすれば、わかる人が増えてくると励ましてくださいました。
健康をより良くするからといって、人格や自尊心や良心といったこころの部分、スピリチュアルという、人間の最も大切な部分に触れることが許されるのかということはずっと問い続けていますが、最近はむしろ、しっかりと向き合わなければならないのではないかと思っています。
人間は脳を2,3%しか使っていないといわれています。
英会話もそうですが、潜在能力を引き出す環境や教育方法がわかるようになれば、まだまだ人間は成長できるでしょう。
植物には成長と衰退がありますが、人間の一生はいまのところ短く、生涯のあいだ成長し続けることができるような気がしています。
ケアンズの星空
2011年05月27日
ケアンズから車で少し郊外へ走ると、人工照明が全くない星空が広がります。
視界いっぱいに星の粒が広がり、本当に壮大で綺麗です。
ケアンズの星空を見上げていると、色々な思いが湧いてきます。
自分はどこから来たのかなぁとか、これからどこにいくのかなぁと思ったりします。
自分の体の元は、宇宙のはじまりにできた塵から来ているからです。
星には色々な種類があります。
ひとつは巨大な重い星。自分の重さのために短命で、爆発すると粉々になります。それでまた、新しい星の原料になる。輪廻のようです。もしくは、永遠にあらゆるものを吸い込み続けるブラックホール。
次は、少し軽い星。少し寿命が延びて爆発した後、規則的に煌めくパルサーという星に生まれ変わります。(余談ですが、輝ら星の如くという銘柄の日本酒はとても美味です)
そして、太陽程度のさらに軽い星。そこそこの寿命があり、爆発した後、薄暗い星になります
最後に、もっと軽い小さい星。ずっとそのまま変わらないままで仙人のようです。
摩訶不思議なのは、星にも生死があるように見える、私の観念です。
しかも、生前や死後にも、個性によってそれぞれの運命があるようにも見えます。
人間も似ているのかなぁと何となく思います。
周りとの摩擦も気にせず、欲張って、何でもかんでも自分のものにしていきながら、ついには心身が欲を支えきれずに寿命を終えてしまうようなパターンは、一からやり直し。
運が悪いと、手に入れても手に入れても満足できない無間地獄のようなところへ。
欲張るわけではないけれども、無欲なわけでもなく、大切なことを成し遂げたいという気持ちを持ち続けた一生は、その後もずっと煌めき続ける。
無気力や惰性で終えた一生は、その後しばらくお休み。
無私無欲になったら、もはや生死がなくなる。
宇宙のような大きな視点に立った時、星にはどれも正しいや間違いがないように、どのような生き方にも正しいや間違いはありませんが、たまには、ケアンズの星空を見ながら思いにふけるのもいいかもしれません。
病気を防ぐためには
2011年05月24日
一度生じてしまうと、なかなか元の健康に戻るのが難しい病気がたくさんあります。
医学も進歩していますから、治すことができる病気もまた、たくさんあります。
しかし、いままで10年以上医師の仕事をしてきましたが、治しても治しても後から後から患者さんが押し寄せきりがありません。
そうである以上、病気になってはやはりいけない。
今では、病気を治すこと以上に病気になることをいかに防ぐかが大切だと考えています。
どうすれば病気を防ぐことができるかもだいぶわかってきています。
ひとことで何がもっとも大切かと言えば、感性豊かで、こころを落ち着け、規則正しい生活をすることにつきます。
私の性格は、理想に向かって、一直線に最短距離で向かうこと。(真正面にうすーく写っているのは富士山です。最近、撮る写真にも性格があらわれるんだなぁと思います)

そのコンセプトで開発したのが心医術です。
一度読んで、理解しておくと(難しいようなのですがこれがポイントなのです)、読んだことも忘れたころに、ある時突然、美しいものに意識が向くようになったり、運動をしようと思い立ったり、気が付いたら体調がよくなっていたり、数か月から数年かけてじわっと効いてきます。
そして、ケアンズは実行する環境として最高
リビングインケアンズとKOALANDに置いてくれてありますので、どうかお試しください。
運命は決まっているのか?
2011年05月18日
不幸な出来事が起こった時にはこのような問いかけが生まれます。
「運命は決まっているのか、それとも自分で変えることができるのか?」
ものごとは必然か偶然かということです。
あるものは偶然で、あるものは必然なんていう折衷案に逃げる人もいます。
実はこの問いかけも、きちんと考えないと、言葉の罠にはまります。
必然と偶然は、違う次元にあります。
必然は時間を含み、偶然は時間を含みません。
というのは、全てが偶然だと考えた場合、物事の因果がないということです。
つまり、因果という前後関係を考える必要がない。
前後関係は時間軸に乗っている。
だから、全てが偶然と考えた場合、時間の次元を含んでいない。ということになります。
同じ次元に無いものは、単純比較ができませんので、偶然か必然かという問いかけ自体が、どちらかを肯定して、他方を否定するという解答を出すことができないのです。
では、時間が経つとどうでしょうか?
究極的には、ヘーゲルが言ったように、いつか人間は、全て必然に到達できるのかもしれません。
一方、ゲーテが言うように、人間には到達できないところもあるという考えもあります。(私はゲーテ派です)
やはり次元が異なるので答えが出ません。
そのため、どちらにしても、今のところは、どれかを選択しなければなりません。
必然という因果の法則(カルマの法則)は、物事の原因をたどっていくと、必ず生まれる前や、究極的には、絶対的な創造主にまでたどり着きます。
科学は今のところ因果を証明するもっとも優れた法則ですから、科学が進歩してゆくと、必然の領域がどんどん広がってゆきます。
しかし、その根っこ(絶対的真理)にまではまだ到達していません。
そのため、ここで、ふたたび、気まぐれな創造主による偶然に逆戻りします。
ですから、結局のところ、時間にとらわれている人間は、必然か偶然かを選択しなければなりません。
色々な方々と話をすると、全ては必然であるという考え方の方々はやはり強い。
そして、人生を楽しまれているように見えます。
会社を経営されていたり、リーダーシップをとっている方が多いように感じます。
たとえば、私の友人のビジョンサプライを経営する中村さん。会社のホームページで
「全ては偶然ではなく、必然
」
と言い切っています。
http://www.vision-supply.com/html/representative_director.html
ただし、現在の出来事が過去生の生き様によるものからだ、というふうに、あまりにも、全ての出来事を自分の責任に押し付けると、時にこころが折れます。
強いものは脆いのです。
そういう時には、やはりケアンズ。
ケアンズのエネルギーは時空を超えているような気がします。
不安と引き寄せの法則
2011年04月24日
最近の状況ですと、不安から引き起こされる健康被害が予想されるので、今回は不安の話を。
脳には引き寄せの法則としかいえないメカニズムがあります。
たとえば、不安なときには不安なことが思い出され、不安が強くなってゆくメカニズムです。
不安の増強作用と呼ばれています。
これを止めるには、脳の前頭前野に働いてもらう必要があります。
前頭前野を働かせるためには、リラックスすればよいのです。
最近の私のリラックス方法はこちら。
今の時期はベランダのゼラニウムが満開。
こちらで、朝の時間を過ごすと至福になります。
こんな論文もありました。
ゼラニウムの花はα波(リラックスしているときの脳波)を増やすとのこと。
http://157.1.40.181/naid/110004701430
ゼラニウムを見てリラックスするのは私だけではないようです。
ゼラニウムは挿し木で簡単に増やせます。
なお、こちらはデイリリーとクリスマスローズ。


震災で仕入れが難しくなってしまい、観念して自分で育てることにしました。
順調に育っているかと、わが子のように不安になるので、ガーデニングもほどほどに。
魂の存在
2011年04月14日
今号の日本補完代替医療学会誌に「哲学でスピリチュアルを考える」というタイトルの論文が掲載されました。
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/8/1/43/_pdf/-char/ja/
というわけで、人間にはどうも魂があります。
多分、脳のホルモンやら電気信号やらなんやらが大きく関係はしていますが、それだけでは還元できせん。
脳が広く深く、関係しているようにも思えますが、もしかしたら、そんなものは砂粒みたいなもので、それを超える膨大な領域が広がっているのかもしれません。
自分全体と他者や自然とのかかわりなど、環境などの全領域と相互に関係する存在であることは間違いがないと考えています。
魂なんぞ存在しないという人もいますが(過去の私のように)、人間の最重要のものとして在るものをないと信じ込むと、著しく調和を欠き、相当なストレスになります。
問題は、連続性を保ちながら、魂が肉体を一度離れることができる存在なのかどうかということです。
不完全な教えを無理やり信じ込むことや、デウス・エクス・マキナ(困ったときの神頼み)や、エネルギーに自己を投射する方法では、私の性格上いまひとつ納得できません。
客体に存在するかどうかわからないものを、どう繋がりとして証明するかです。
これは、魂というよりも霊の証明に近いように思います。
おそらく、ヨガやカバラや密教、最近の方法ですと、シュタイナーの霊智学などによって、実際に体験してみることがステップとして必要だろうとも考えています。
ただし、この方法の欠点は、体験できない人はまったくできないということです。
このような、あくまで主観の中だけの繋がりを、客体の存在ということができるほどに、なにか法則性を持って簡単な計算式などで矛盾なく表すことができるのか、今後の私の探求の課題です。
また、面白いことを発見したら報告します。
癒しのためのヨガ・シークエンス
2011年03月31日
私がお世話になっておりますヨガ・コーディネータの松波さまが、ジェイソン・クランデルさまからのヨガのシークエンスを送ってくださいました。
大震災の直後から、ジェイソンさまは心配して何度も連絡をくださり、できることがあれば何でもしたいと言ってくださっていたとのこと。そして、日本の皆さんの痛みが癒されて、安定感を取り戻せるように祈りをこめて、シークエンスを作ってくれました。
神経をしずめて調整し、心と身体に安定感を戻し、心をクリアにして集中力を高めてくれる、30分のシークエンスです。
(こちらのURLからご覧いただけます。)http://sachiwaves.blogspot.com/2011/03/message-for-japanese-yogis-from-jason.html
ジェイソン・クランデル (Jason Crandell)
Facebook Fan Page:
http://www.facebook.com/pages/Jason-Crandell-Yoga/306517597590
私も早速試してみようと思っています。ジェイソンさまと松波さまに感謝です。
以下英語
Dear all,
We hope that this email finds you well.
Firstly we would like to express our heartfelt sympathy to the victims and their families of the recent quake.
Jason has worried about all of you in Japan. And he designed a special sequence to nurture your bodies and minds in this difficult time.
(If you cannot open the attached file, you can see the same sequence at
http://sachiwaves.blogspot.com/2011/03/message-for-japanese-yogis-from-jason.html
)
We look forward to seeing you again.
With best wishes,
Jason Crandell
Facebook Fan Page:
http://www.facebook.com/pages/Jason-Crandell-Yoga/306517597590
福島のクリスマスローズ
2011年03月28日
クリスマスローズ畑からクリスマスローズを移植しました。
このクリスマスローズは3年前は10cmくらいの小さな苗でした。
良心的な価格でとても元気なこの苗を注文しようと思いましたが、震災の影響でお店を閉じているとのこと。
住所を調べると、原発のすぐ近くで避難区域に入っています。
どのようになさっているのか心配になります。
義援金を送ることと祈ることしかできないけれども、想いや祈りはある種のエネルギーを持ちます。
良い方向に向かうことを信じて祈ることも大切と感じます。
地震
2011年03月17日
地震から一週間たち、職場でも停電の対策などなどが一服してやっと少し落ち着いてきました。
日本国内やオーストラリアだけでなく、スイス、ウルグアイ、イスラエルなどなどに住む友人から「私のこころは日本の人たちとともにある」とか「とにかくできることは何でもする」など、安否を気遣うメールをたくさんいただきました。
多分、日本の問題とかそういう境界の意識はあまりなくて、どの国の人もみんな仏様のような悲しみを慈しむこころを持っているのだと感じました。
いままで関係が良くない国の、心無いコメントが報道されたりもするけれど、日本や友好国の中にもそういう人はいるわけで、どんな国の人も、根は変わらないのだとも思います。
そして、そういうコメントをする人たちも、まだ自分のこころの中に、慈しみがあることに気づいていないだけだと思います。
緊急事態の時は精神が緊張するので一時的には元気になるけれど、そのような元気は長く続きません。
昨日も会った方には気をつかいすぎ、だんだんと元気がなくなってきている方もいらっしゃいます。
ショッキングな映像などを何度も見ていると、どうしても気が動きやすくなります。
こういう時には情報収集は最小限にとどめて、自分ではどうにもできないことは、身を天にゆだねて、メディア断食も必要かもしれません。
人間の体も社会も似ていて、他の部分がきちんと働いていれば、傷ついたところは癒えてゆきます。
このようなときは浮足立たずに、自分の持ち場をしっかり守ることが、もっとも被災者の方々を助けることになるのではないかと思います。
元気がないと、必要なときに必要なことができません。
どうか、できる方は心穏やかにお過ごしください。
地球と人間
2011年03月03日
今回も知恵遊びを。(そろそろ、たいがいにせいという声が聞こえてきそうですが…)
世界人口はもうすぐ70億人。
日本では少子化が叫ばれていますが、地球規模では多子化。
どちらにしても困った。
普通に考えればこのように考えられます。
しかし、このようにも考えられます。
ケアンズでも行くたびに人が多く、車や建築物が増えていっているような気がします。
地球にある資源や植物や動物など、人間以外のあらゆるものがどんどん人間に近づき、それから人間の一部に置き換わっていると。
あらゆるものが人間を体験したくてそれを実現していると。
では、人間はこれから何を体験してゆきたいのでしょうか?
脳とこころは柔軟に。
生まれてきた意味
2011年03月01日
前回、人間には、「何でこの世に生まれてきたのかなぁ?」という、生まれてきた意味にたいする問いがあることを説明しました。
今回は、理詰めでこれを考えてみたいと思います。
これには、先人たちの様々な回答があります。
哲学の分野での例をあげると、生きる目的などはなく生きていること自体が目的だとする考え方や、人間はこの答えには到達することはできないとする考え方です。
どれも、何か引っかかりを感じます。
楽しくないからです。
どうも、理性だけを使って追い求めると、逃げていくようです。
では、どうすれば生まれてきた目的を見つけることができるのか。
固定観念を捨てて発想を切り替えればとても簡単です。
それは、生まれてきた目的を見つけた時のことを考えればよいのです。
生まれてきた目的を見つけたら、あなたはどのように感じるでしょうか?
「私はこれに出会うために今まで生きてきたのだ」「私の○○年の人生はこれに出会うためにあった」とこころの奥から感じるでしょう。
それが、生まれてきた目的です。
これは、一つではなく、たくさんあります。
ケアンズでリラックスを知ると、なぜか見つけやすくなるような気がします。
あなたもたくさん見つけてみてください。
生活が楽しくなります。
プロフィール
ymitsui- 三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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