ケアンズ発のフリーペーパー【リビングインケアンズ】がお届けするケアンズ旅行前必見のケアンズポータルサイト

エッセー

グレートバリアリーフ最南端 Vol.47

2009年03月10日

 
グレートバリアリーフと言えばケアンズから行くノーザン(北部)セクションが有名である。

日帰りダイビングやダイブクルーズでケアンズから訪れることが出来るリーフは多くあり、ダイバーは時間と予算、経験などから行き先を決める。

 

 
僕がケアンズに来たときは日本で紹介されるグレートバリアリーフと言えばケアンズのみだったと言っても過言ではなく、限られたクルーズと日帰りボートが毎日ダイバーをリーフまで連れて行っていた。
  

 
全長2000キロにわたって広がっているグレートバリアリーフの大きさは、多くの人が知っているが、このグレートバリアリーフを全て潜ったダイバーなどは聞いたことがない。 

 

 

まずは一生かけて潜っても全てをカバーするのは不可能な広さなのだが、その広大なリーフシステムの中でも、すでにダイビングサービスがあるような場所は時間をかけて全て潜りに行きたいと思っている。

 

 
今まで働いていたダイブショップはケアンズとアーリービーチだったのでノーザンセクションとセントラルセクションはある程度潜っていたのだが、なかなかチャンスができずオーストラリアに来てから初めて潜れるまでに約10年かかったポイントがサザンセクション(最南端部)のグレートバリアリーフだった。
 

 
はじめて潜りに行ったのが、2000年の4月。

どんなところなのかの情報もなく、ただ始めて潜るスポットが新鮮だったし、水面に列を作って泳ぐ何十枚というマンタに出会ったのもその初めてのトリップであった。

 

 
ボートの設備やサービスは、今のケアンズに比べると確かに劣るが、野生的なダイビングスポットはケアンズ周辺にはない雰囲気を体験できた。周りにはボートが一隻もなく、リーフを独り占めといった感じであった。

 

釣りもしながらだったので、食事に刺身が出てきたのがうれしかった。

 

ボートが出る場所はバンダバーグかもしくはそこから北にあがったところにあるタウンオブ1770かどちらかである。
日帰りボートはタウンオブ1770、クルーズ船はバンダバーグから出ており、じっくりサザンセクションを見たいのであれば絶対にクルーズがお勧めである。
 

 
現在のところ、定期的にクルーズを行っているボートは1隻しかないので選択の余地はないのだが、素晴らしいダイビングができる。 

グレートバリアリーフの最南端に位置するバンカーグループと呼ばれる場所でダイビングをするのだが、写真のような無傷のサンゴ礁がずっと広がっている。

 
潜るダイバー数が絶対的に少ないからなのか、水温がある程度低めに保たれているからなのかそれとも外洋からの潮が入り込みやすいエリアだからなのか、明らかにこのエリアのサンゴ礁は元気である。

 

マンタやウミガメは当たり前といっていいほど出てくるし、冬場などはザトウクジラと水中で出会ったなんていうラッキーな話も聞く。

 

ケアンズからだと南へ1400キロという距離が壁になるが、これも1泊2日から2泊3日ほどのドライブだと考えれば楽しい旅行になること間違いなし。
どうしてもドライブが苦手ならばブリスベンまで飛行機で飛んで、そこから飛行機もしくはバスで北上するとバンダバーグに到着する。
 

 
バンダバーグといえばラムが有名である。

オージーが飲むラム&コークといえばここで作られているラムである。

 

 
シロクマが出てくるテレビのコマーシャルを見たことが有る人も多いとおもうが、そのシロクマが工場入り口にガラスケースの中に飾られており、工場見学に参加すると限定版のラムなんかも帰るので是非行ってほしい。

 
 
なかなか短期観光で行くには遠い場所ではあるが、ワーキングホリデーでフルーツピッキングなんかを考えているダイバーがいれば楽しめること間違いなし。

 
シーズン的にも真夏よりも秋口から冬場にかけて海が穏やかになってくるしマンタなんかの大物も出やすくなる。

 

 
それにしても最近このクルーズに乗っていないとふと思ったので、今年は1・2回潜りに行こうかと日程調整中。
ケアンズに住むダイバー で是非という方、一緒に行きませんか?
 
 

関連記事

コメントを送る

海の墓場 Vol.46

2008年01月10日

最近日本からハイビジョンの撮影が入ったり、テレビ局などからの問い合わせが多いヨンガラレック。

2008年はちょっとしたブームになるかもしれない。
 

 
以前から世界10大レックダイビングスポットとしてリストアップされているヨンガラも、オーストラリア最大の海難事故で沈んだ船である。

乗員乗客122名全員が死亡し、結局1体も遺体が上がっていない。

 

そもそも、沈んでから発見されてヨンガラ号と確認できるまで50年近くかかった。

そんなヨンガラレックは今、世界中からダイバーが潜りに来るオーストラリアが誇るダイブスポットになっている。
 
 

 ヨンガラ号が沈んだ経緯にはいろいろな不運が重なっていることも興味を引く部分である。

 

船舶無線をこの最後の航海となったあとに搭載する予定だったこと(もしすでに無線があれば、サイクロン情報を伝えることが出来たはずだった)や、ブリスベンで乗り遅れた競走馬がなければサイクロンの直撃は免れた可能性が高かったこと(これにより出港が遅れていたのである)、キャプテン引退前最後の航海だったなどなど、ヨンガラ号にまつわる話を知れば知るほどますますこのレックに興味がわいてくるのである。
 

 
レックダイビングというのは、ダイビングや人工漁礁などの目的に沈めた船以外は嵐などで遭難した場合が多い。

と言うことは大荒れの天候時にシェルターとなるような場所がない海域である場合が多いのである。

このヨンガラも風がある程度おさまらないと潜ることができないところにある。

 

ポイントの回りはひたすら水深30m弱の砂の水底が続く。何もない平たんな水底である。

そんなところに突如として全長100m以上の船が沈んだわけなので、周りの水中生物の格好の住処となった。

 

 

今ではこの船だけで完全なエコシステムが出来上がっていると言っても過言ではない。

魚影の濃さ、各個体の大きさなどはオーストラリアの他のダイブスポットと比べても対抗できるところは非常に少ない。

 

また、先述したとおりエコシステムが出来上がっているので、季節ごと、月ごとにその様子が変化する。弱肉強食関係が目に見えて体験することができるポイントでもある。
 
そこで、ダイビング小僧としては毎月のように潜りに行きたいポイントなのだが、天気図とのにらめっこでチャンスがあれば仕事でもプライベートでも潜りに行くようにしている。

 

つい先月もお客様を連れて行ったのだが、ツアー当日の朝に予報よりも風がおさまらずボートが出港せず涙を呑んだ。

 

タウンズビルまで行ってボートが出なかったことは今までなかったので、しばらく落ち込んだがそのときのメンバーとは12月中にリベンジ予定(これが出ているころにはリベンジが終了しているはずだが)である。

 

片道400キロ弱の行程も慣れてしまうと近いもの。プライベートでは日帰りダイビングも可能。意外に気軽に行くことが出来るスポットでもある。あとは天気が味方につくかどうかでヨンガラへのダイビングは決まる。

 
場所は変わるが、ウルル(エアーズロック)に行くと「聖地のため登らないで」と言うメッセージを見るだろう。

 

 

アボリジニにとっては神聖な場所なのである。それでも登る人は、そういった背景を理解し、尊重する必要がある。

ヨンガラレックもそれと近いものがある。

 

アボリジニの聖地ではないが、122名が亡くなった場所である。

オーストラリアにはその親族に当たる人たちが当然のことながら多く住んでおり、ヨンガラはそういった親族にとっては慰霊地にもなっている。

 

 

そこにダイビングするということは、単に水中生物を楽しみレックを楽しむだけではなく、昔沈んだヨンガラの悲劇を考えながら船と共に沈んだ人たちの冥福を祈ることも大事である。
 

 
それにしても毎回驚かされるヨンガラダイビングだが、何が出てくるのか予測が出来ない楽しさはたまらない。

いつかは、水中でヨンガラレックの横に並ぶザトウクジラとのダイビングを夢見ているのだが冬場の話なので来年までの楽しみにしている。

 

 

1年に1度は必ずといっていいほどヨンガラレックの水中ザトウクジラ遭遇という話を聞くので、いつかは自分もと・・・。

2007年は見事に撮影されたクジラとの写真を見たのだが、いつか自分も同様の写真が取れればと思っている。

 

これを書いている次の週もヨンガラツアーである。

これからも出来るだけ機会を見つけて潜り続けてヨンガラの全てを知るダイバーになれればなと。

 

それにしてもサカナの数多すぎ!群れの動きでめまいを感じるほどである。
 
 

関連記事

コメントを送る

vol.38「再会」

2006年07月06日

 人がダイビングに興味を持つ理由は色々あると思うが、僕がダイビングにどっぷりはまっている理由は、陸上に住むほ乳類の中で、非常に特異な存在である人間の起源にあるように思う。

 進化論にも色々あるが、個人的に気に入っているのは『水生のサル説』である。『アクア説』ともいわれるが、類人猿からヒトに進化する過程で、水中での生活を通じて進化したのが現在のヒトであると言うものだ。

 結局、ヒトは水中のほ乳類の方に近いことが多いというものであり、異論は様々な形であるだろうが、僕はダイバーとしてこの『アクア説』が、今の自分がダイビングにどっぷり漬かっている理由をうまく説明してくれているように思う。

 ダイビングを初めて20年程になるが、小さい頃から海水浴などで水中を眺めるのが非常に好きだった。ウツボとにらめっこしたり、貝を集めたりした頃のことは今でもよく覚えている。宮崎へ向かうフェリーに乗った時に船の周りにイルカの大群を見たこともある。

 そんな感じで小さい時から接して来た海だが、今ダイビング活動の中でも最も興味があるのが『クジラ』や『イルカ』との水中遭遇だ。

 魚との出会いよりも、ほ乳類であるクジラ類は、水中で出会う感動が他の生物よりも数倍大きくなる。この記事が出ている頃にはほとんど終わりかけているが、ここケアンズでは毎年写真のようなミンククジラが大集合する季節がある。どこからともなく現れては、ダイビングボートやダイバーに大接近する。ホエールウォッチングというよりは、クジラによるヒューマンウォッチングである。水中でタンクの空気を吸っている水生のサルは、クジラと出会うことで進化上の過去を再確認することになるような感じだ。

 ミンククジラは体の模様等での個体識別が出来るのだが、以前同じ個体のミンククジラに2年越しで再会したことがある。

 クジラはそれぞれ個性が強いため、ダイバーへの接近の仕方だけでも特徴がある。以前遭遇したシーンとふとダブるような個体に出会ったことがあり、もしかしてと思いながら撮った写真を比較してみると同じ個体だったのである。この広いGBRのダイブスポットで、1年後同じ個体にあえる確率は非常に少ない。

 さてこれを書いているのはFLOREATというチャーターボートの上である。ミンククジラを追跡するためのツアーにクルーとして乗船しているのだが、今月ミンクチャーターツアー3回目のこのボートには、僕がケアンズに来た頃からの友人である、インストラクターTOSHIの率いるグループが乗っている。彼は以前ケアンズの名ガイドであったが、今では沖縄県恩納村にある「シーワークス」というダイビングサービスを経営している。その彼が約5年ぶりにお客様を連れて船に乗ってくれたのである。

 非常に嬉しい。小さい頃から引越が多く、親友というものが出来にくい環境だった中、ケアンズで10年程の付き合いを通じてダイビング業界について熱く討論し続け、時にはけんかになるが、翌日にはケロッとしてまた会っている。そんな友人が5年ぶりに戻って来たのだから嬉しいに決まっている。

 グループの中にも今までケアンズで会ったリピーターのお客様が多くいて、再会の嬉しさが倍増した。相変わらず酒の量は非常に多いTOSHIであったが、熱く語るダイビングへの思いは以前と変わらず、いや以前にも増して強いものを感じた。今回はクルーズの期間だけのケアンズ滞在であったが、また次回ケアンズに来てくれる日が今から待ち遠しい。

 クジラに話を戻すが、ケアンズ沖にはザトウクジラも1年に1度北上してくる。ザトウクジラの歌を聴きながらダイビングが出来るシーズンだ。模様等がほとんどないザトウクジラの個体識別は、写真だけではほとんど無理だが、世界で1頭のみ確認されているアルビノ(白色個体)のザトウクジラがいる。今年もこの白鯨「MIGALOO」がバイロンベイ沖を通過したニュースが入って来ている。バイロンからだと3〜4週間程でケアンズに来る計算だ。この白鯨がケアンズに戻ってくるというニュースも毎年耳にするのだが、海へ出かける時のワクワクする気持ちを高めてくれることには間違いない。

 ダイビングの仕事をしていると見知らぬ人との出会いが楽しいのはもちろんだが、知り合った人たちとの再会はさらに楽しく嬉しいものだ。頻繁に日本へ帰るわけにもいかないので、なかなか再会のインターバルが長くなってしまうのは仕方がないのだが、それでも1年に1度、数年に1度と言った形で長くつながっているダイバーの輪は僕の宝物である。

 7月の下旬からはフィリピンへ3週間弱帰る予定である。3年ぶりである。現地にいる知り合いのダイバーはもちろん、フィリピン人の友人との再会が今から楽しみだ。

関連記事

コメントを送る

vol.42「異国人」

2007年03月06日

 2月、ひょんなことから日本へ帰ることになった。1年半ぶりである。といっても前回は2泊3日ほどの短期だったのでその前からとなると約3年ぶりとなる日本帰国であった。関空インの成田アウト。大阪と東京両方を訪問するのが目的であったのでこのようなスケジュールになったのだが、相変わらず海上空港である関空には惚れ惚れする。ケアンズを一飲みするんじゃないかというほどの大きさである。父親に迎えに来てもらって、実家へ直行。早速おふくろの懐かしい日本の食事を楽しんだ。

翌日は、仕事のため朝から梅田へ。懐かしい紀伊国屋で立ち読み。本屋の売り場面積にあらためて感動、その在庫数も信じられないくらいである。その足でヨドバシカメラへ。ビル全体が電気屋・・・でかすぎる。逆にこっちが何を探しに来ているのか途中で忘れてしまうほどの品数であった。

周りを見渡せばほとんど全員が日本人、日本なのだから当たり前なのだが自分にとってはそれが違和感にもなる。海外で住みながら、日本人であることを忘れないように日々過ごしているはずなのだが、どっぷりケアンズの空気に慣れてしまっていることは、日本に帰ってはじめて気がつく。人の流れ、車の流れ全てが早い。レストランで食事をしてもでてくるのが早い・・・・そして旨い。

夜は道頓堀に出かけた。大阪人として忘れてはいけないグリコの看板。思わずカメラを構えて写真を撮っている自分が外人のように思えた。昔は、当たり前のように毎日見ていた風景が全て新鮮である。人だかりになっているたこ焼き屋があったが、余分の空間が胃にはない。居酒屋に行っても、どのメニューもわくわくするほど見ていて楽しい。

とにかく、遊園地に行ってパニック状態になっている子供のような気分である。何から手をつけていいのかわからないが、全てを見てみたい、食べてみたい。そんなこんなで時間だけがどんどん過ぎていき、たった1週間の出張があっという間に終わることになる。

3日目からは、しっかりと風邪もひいた。体が完全夏専用モードになっているようである。なんかやばいなと思ったのが3日目の朝、その午後にはしっかり熱を出して寝込んでしまった。1日ほど時間を無駄にしてしまったが、予定の仕事はこなせたので良しとしよう。

それにしても、人が多いというのはいいことである。ビジネスにしても普通に生活するにしてもやっぱり人である。海外で暮らすのはとにかく大変だ。一見よく見えても細かいところでいろんな苦労が付きまとう。僕の場合、嫁さんが外人であるので海外で住むことに関して当然のような成り行きではあったが、個人的には日本がほんと好きである。ただ、今回の帰国は、自分が日本人感覚からどんどん遠ざかっているのを確認した時間でもあった。当たり前のようにあるサービスが分からない、温泉に入ると10分過ぎたころから息苦しくなってくる、平気で違う電車に乗ってとんでもない方向へ行ってしまう、携帯のリチャージの買い方がわからない・・・なんかケアンズにいるとよくワーキングホリデーの人たちから聞くような質問なのだが、自分が日本に帰ったときにそういった基本がわからない。そうそう、ヘルメットをしていない自転車に乗った人にも違和感を感じ、歩道を向こうから突っ込んでくる自転車に怒りを覚えたこともあったが、どうもそれは普通のことだったようである。

自己主張の強い外国に住んでいると、腰の低い日本人のよさをふと忘れがちである。はっきりものを言わないという欠点でもあるが、その物腰の低さは忘れてはいけない日本人のいいところだと思う。そして何にもまして、日本のいいところは、行き届いているサービスである。ある人と話しをしていて、スターバックスの中で日本ほどサービスのいいスターバックスはないそうである。本家でもびっくりしているほどらしい。その話は納得しやすい。で、今回出会った日本人サービスで1等賞は新宿から乗った成田エクスプレスの売り子さんである。振りまく笑顔に乾杯であった。

関連記事

コメントを送る

vol.44「東海岸縦断」

2007年07月06日

 先月は久々に東海岸を縦断することになった。ゴールドコーストにある店に荷物を運ぶためだった。だいたい自分で店をやっているのに、半年以上も放っておくこと自体なんとも申し訳なかったので、そのお詫びもかねての出張であった。
昔アーリービーチでダイビングコースを教えているときは、ケアンズに住みつつ毎月のように車で通っていた時期がある。片道650キロほど。慣れてくると7時間ぐらいで走ってもそんなにつらくはなくなってくる。途中の休憩パターンも型にはまってくるようになり、決まった場所で、決まった時間、決まったものを食べて次へと移動するようになっていた。

 ケアンズからゴールドコーストまでの移動となると、アーリービーチのそれに比べると約3倍、走行距離にして1800キロちょっとである。これぐらいの距離になると、結構前の日からの準備に気合が入ってくる。通常は1泊2日でロックハンプトンに宿泊してからゴールドコーストへと言うパターンである。昼間、天気がいいとこのロックハンプトンまでの約1000キロは結構気持ちがいい。周りはサトウキビか牧場ぐらい。約350キロから400キロごとに大きな街に到着し休憩と言った感じである。しかし、オーストラリアという国はでかい。それでもって人が少ない。何となく地球上で最後に残るのはオーストラリアのような気もするぐらいである。
そんなこんなで到着した今回のゴールドコースト。残念ながらダイビングをするまもなくケアンズに戻らなければならなかったが、今回の悲劇と言うかおろかな間違いは復路にあった。
バンダバーグで用事があったので、ゴールドコーストを朝3時半に出発。8時にバンダバーグ到着。2時間ほどのミーティングをしたあと10時に出発。ここで何を思ったのか、何となくケアンズまでその日のうちに帰れそうな気がしたのである。みんなには無理するなと言われたけれど、なんか体が大丈夫だといっている。結局そこから約15時間半かけて夜中にケアンズに到着した。最後の1時間は本当につらかったが、ちょうどタイミングよくパトカーに止められて飲酒検問を受けたり、道脇に止めているネズミ捕りのフラッシュがたかれたりしたのでケアンズまで目が覚めた状態で到着した。(ちなみに、検問は任意のもので何もお咎めなし、スピードカメラもなぜか制限速度で走っているのにバシャッと写された)
1泊を節約するために一気に帰ってきたのであるが、翌日からその無理がたたってむち打ちのような症状が首に出て、その後4・5日首が回らなくなってしまったのである。これにはびっくり。振動がずっと首に負担となって、ひどい筋肉痛と言うかむち打ちになったようである。
困ったのは、ケアンズに戻ってから2日後に飛行機でオークランドに行かなければいけなったこと。首が横に動かないにもかかわらず、隣の席に座っているオージーがよく話しかけてくるのである。顔を向けることが出来ないから体ごと向きを変えて話さなければならない。そこからくる頭痛も半端じゃない。気づいてくれればいいのに、ブリスベンまでの約2時間のフライトの間ずっと話をすることになった。到着間際に、「首大丈夫?」って。分かっていたらそっとしておいてくれればいいのにと。1週間のオークランド出張も半分はこの痛みのためにフルパワーならず。
全てが、何を思ったのか一気にゴールドコーストからケアンズまで帰ろうとした罰である。
オーストラリアの道は運転しやすそうで、実は結構スピードが出ているにもかかわらずそのスピード感がないため危険なことも多い。特に夜間なんかはどこからカンガルーが飛び出してくるか分からない。無理は禁物、次の縦断からは充分に休憩を取りながら移動することに決めた。

さてさてダイビング小僧もすっかり潜る本数が減ってきたのだけれど、ダイビングの仕事で、拠点がケアンズ・ゴールドコースト・バンダバーグ・オークランドとなったので、これからもっとそこからいろんな場所へ潜りに行こうと思っている。
好きなお酒のほうも、今回のオークランド出張で初めてニュージーランドのワインをじっくり飲んだのだけれども、あまりにも飲みやすく、あまりにもおいしかったので記憶を失うほど飲む羽目になってしまった。キーウイワインには注意である。

関連記事

コメントを送る

vol.43「ボートから見たイルカ」

2007年05月06日

 海に出かけると思いがけない光景に出会うことがある。日没の瞬間に天候やその他の条件が揃ったときにだけ見ることができる「グリーンフラッシュ」などは見ることができると感動である。
僕の中で一番印象に残っているのは、セブ島で夜、海を見ていると水面を泳ぐイルカの背中が夜光虫で光り暗闇の中にぼんやりとイルカの形のような光が浮かび上がったことである。その1回しかその光景は見ていないが、今でもはっきりと記憶に残っている。  

 もちろん写真など撮れるような条件ではないので皆さんに見せることは出来な いが、海に出るとそんな不思議な体験をすることがある。
2年前のミンククジラ追跡クルーズでの話。グレートバリアリーフは冬の期間南東の風が吹き、決して穏やかな海況とは言えない日が続くことが多い。
それでもリーフの内側に入ってしまえば問題なくダイビングができるし、水中のコンディションも全く問題にはならない。この時期のクルーズで4・5日間北へ向かってミンククジラとの遭遇を楽しむのだが(ちなみにこれは世界中を見ても珍しい)、毎年ある程度の風は覚悟しているし、多少の船の揺れも予想してツアーに出かける。
ところが、出発してから5日間全く風が吹かなかったのである。水面がオイルを張ったような滑らかなガラスのようになっていて、水平線のほうを見ても空と水面との境目がわからないほどである。
通常1日だけ同じようなコンディションになることはあるのだが、5日間のクルーズでそのうち4日間、それも冬季にである。そのときのダイバーはラッキーとしか言いようがない。

当然、水面で何かが動けばすぐにわかる為、クルーズ中のミンククジラ遭遇率は今まで行った中でも最高だったのは言うまでもない。
そこで、また思いがけない光景に出会ったのである。それがこの写真。撮影したのは走っているボートの上からである。
写真の右下のボートが写っているのがはっきりと見える。これほど水中にいるイルカをボートからはっきりと写真に収めたことがなかった。空を飛んでいるような感じである。
しばらくボートの船首部分で遊んでダイバーを楽しませてくれたが、水中でイルカを見たとき以来の全身をはっきりと見たイルカ…最高であった。
単純にミンククジラとの水中での遭遇も衝撃的な体験であるが、その中でも特に印象に残っているシーンを上げるとするなら、昨年のクジラの中でダイバーが前に差し出した手のひらを口先がくっつくぐらいまで体をまっすぐ立てて上がってきたときだろう。
全身が8mほどもあるクジラがである。ダイバーのほうがビビッてしまい、クジラが触れる直前に手を引いてしまったのであるがそのまま出していれば確実に「ミンククジラの手のひらキス」であった。
イルカ・クジラではないが、マンタのひれでビンタを食らったことがある。マンタとの出会いだけでも興奮するが、そのときはなぜか1列になって水面近くを行進しており、スノーケリングで次から次へとやってくるマンタを正面から眺めることが出来たのである。その数20枚以上。
どうも行進中のコース上にいたのが僕だったようで、一枚のマンタがにらめっこするほど寄って来たと思ったら、くるりと体の向きを変えるときにヒレの先で僕のほっぺたを「パシッ」と叩いたのである。これにはびっくり、ビンタをされて感動してしまった。
そうだ、一つ忘れていた感動のシーン。またまたイルカに戻るが、アーリービーチで働いていたときの話。
水中でなくした講習用のスレートを探しにボートから一人で潜ったとき、ふと気配を感じて振り返ってみるとそこにイルカの赤ちゃんが体を立てて僕を見ていたことがある。すぐに母親のイルカが呼びに来て泳ぎ去ってしまったが、しばらく呆然としてその場から動くことができなかった。
われに返り、水面に浮上してみると、ボートのクルーが他のお客様と一緒にイルカの群れを追っていた。近くに群れがいたようである。
最近どうも事務仕事が多く、ダイビングに行く機会が少なくなってきている。旅行に行く機会も減ってきている。 なので、昔のこんなシーンを思い出すことが多くなってきてしまった。
またこれからも新しい感動の瞬間を期待しつつ潜りに行かなければ!

関連記事

コメントを送る

vol.41「バスの旅」

2007年01月06日

 ここ2年ほど西オーストラリアに行っていない。特に行かなくなった理由はないのだが、行けなくなっていると言ったところだろう。他の場所での仕事に余裕ができればすぐにでも戻りたいところだが、その中でも今すぐにでも行きたい町が西オーストラリア南部にある。
パースから車で5・6時間のところにその小さな町はある。
幹線道路が通っているわけではないので、地図を頼りにたどり着くと、家はそこそこあるのだが観光地化されていないこの町に着く。宿泊施設は1軒のみ。モーテルといっていい感じだが、結構ちゃんとした宿泊施設である。前回行ったときは、ダイビング前夜にレストランで西オーストラリアのワインをたらふく飲み、かなりいい感じに酔っ払ってしまった。食事のメニューはお世辞にも決していいとは言えないが他の選択肢がないので我慢しなければならないが、この西オーストラリアのワインはほんとにおいしいものが多いので良しとしよう。
このエリア、ダイビングで言うとシードラゴンといわれるオーストラリアの固有種が多く見られる。
シードラゴンとは、シーホースといわれるタツノオトシゴなどの親戚にあたるが、全長30cmほどでその擬態が素晴らしく、日本のテレビや世界のメディアで幾度となく紹介されている。たぶん南海岸域では1・2を争うシードラゴンポイントだろう。
シーズンさえ間違わずに選んで行くと(9月から2月ぐらいまでが産卵時期で1年を通じてもっとも多くのシードラゴンを見ることができる)リーフィーシードラゴンとウィーディーシードラゴンの両方を見ることができる。 また、それだけではなく冬期(7月から9月)には多くのミナミセミクジラが集って来ることでも知られ、地元のオージーが「ボートの横に集ってきて、多いときは背中を歩くこともできるぞ」なんてことも言っていた。実際に歩く人などはいないだろうが、この周辺のビーチには本当に多くのセミクジラが集ってくる。
4WDでしか入っていけそうにないような道を突き進んでいくと、そういった隠れたビーチにたどり着く。そこにはサーファーであれば泣いて喜ぶような波が立っているが人はほとんどいない。海の色も藍色といったほうがいいような深い青である。観光地としてまだ有名ではないため、キャラバンか何かでオーストラリアを廻っているオージーぐらいしか訪れることはない。そんな特別な場所なので、この記事の中ではあえて町の名前は出していない。

さて、この町にある唯一のダイビングサービスに名物ガイドがいる。もともとアメリカ人らしいがひげを伸ばした仙人のような風貌に最初はちょっと引いてしまう。周辺のダイビングポイントの知識は豊富で素晴らしいダイビングガイドをしてくれるが、シーズンオフの期間は農業などを営んでいるようで初対面の印象は確かにダイビングガイドというよりも農家のおじさんという感じではある。なんせ彼一人でやっているダイビングサービスなので、決まった営業時間というものはないらしい。ダイビングに行っているときはもちろん店は休み、お客さんが少ないときはもちろんすぐに閉まってしまうような感じである。同じくダイビングサービスをやっている僕から見るとうらやましい限りのスタイルである。
なので、これを読んで行きたいと思っている人は必ず電話で予約をしてから行くように。あと、この周辺は夏場でも水温が18℃ほどまでしか上がらないので、ドライスーツを持っているといいだろう。
オーストラリア各地にはここで紹介したような個人で営んでいるようなダイビングサービスがいくつもある。雑誌の情報だけではなく、自分の足で探し出して丸秘ポイントを開拓するのは本当に楽しい。大勢でダイビングに出かけるのも楽しいが、自分だけが知っているところで自由気ままにダイビングもいいものである。
その延長線でもあるが、昨年からソロダイビングたるものも始めた。ダイビングはバディーで潜るものという常識があるのだが、ソロダイビングというテクニックもアメリカを中心に開発されてきており、正しいトレーニング・器材と経験があればひとりでダイビングができるところが増えてきている。

 プライベートでは一人旅が好きである。これからも仕事でのダイビングと遊びでのダイビングとの区別をしっかりとして両方楽しみ続けたい。

 

関連記事

コメントを送る

vol.40「ゴールドコースト」

2006年11月06日

 10月はじめ、久しぶりにゴールドコーストまで車で行ってきた。そもそもの目的は仕事だったのだがゴールドコーストまでの約1700キロを1泊2日、1人で運転したのは何年ぶりだろうか。

10年ほど前まではケアンズに住みながらアーリービーチで仕事をしていたこともあって、ほぼ毎月片道約650キロほどの行程を車で往復していた。ゴールドコーストまではその約3倍、1日で走りきるには無理である。ロックハンプトンでモーテルに泊まり、翌朝早く出発、昼過ぎにはゴールドコーストに着いた。
長距離を運転するのは基本的に好きだが、途中あれば嬉しいのが日本のようなサービスエリアである。ブリスベン近郊までくるとかなり充実した施設はあるが、途中はガソリンスタンドにコンビニエンスストアだけといったところばかりである。
そんなわけで、オーストラリアの車の移動でいつも飽きてしまうのが移動中の食事。フライドポテト、チキンドラムスティック、フィッシュアンドチップスなどに限定されてしまう。これが、かなりの距離を移動するときには苦痛に変わってくる。大きな街ごとに休憩するとマクドナルドのはしごになってしまう日も多い。ソーセージアンドエッグマフィンの朝食と、クオーターパウンダーセットのランチ、ビッグマックでディナーなんて日もある。
まだ、西オーストラリアを北上することを考えれば東海岸は街もあるし、人の匂いもするので快適といえば快適なのだが、ハイウエイ沿いの食事だけ何とかならないだろうか。

 15年前の1号線に比べると舗装も道幅も数段よくなってきているのは確かである。追い越し車線なんかも、一定区間ごとに整備されてきて運転も以前に比べるとしやすい。昔は、巨大なトラックが向かってくると路肩に止まるしかなかったことも多かった。巨大なトラックで思い出したが、オーストラリアではたまに家をそのままトラックに乗せて引越しをすることがある。昔ケアンズの郊外に住んでいるとき、なんか隣の家に人が集まって工事をしているなと思っていたら、次の日の朝にはそっくり家ごとなくなっていたことがある。家ごと移動したのはすぐ分かったが、どうやって狭い道を通っていったのかはわからなかった。しばらく経って、マルグレーブ通りで早朝、家が動いているのを見て初めてオーストラリアのすさまじい引越しテクニックを実際の目で見たのだが、日本ではありえない方法である。
途中、いろんなところに寄って観光やダイビングなどができれば文句ないのだが、残念ながら今回は一気にゴールドコーストまで降りなければならず、給油のための休憩ぐらいでどこにも寄らず目的地を目指した。ケアンズに比べるとさすが都会である。何度行っても圧倒されるのがサーファーズの高層マンション。上を見上げながら運転していると事故を起こしそうである。
この時期はINDYのレース前でもあり渋滞も相当なものだったが、午後2時ごろ無事サーファーズに到着、宿にチェックイン。
滞在中の仕事の合間に立ち寄ったのが写真のビーチ。朝早くから多くのサーファーが来ているのだが、その向こうにサーファーズのビルが見える。海の青さも素晴らしかったが、ビルを背景にサーフィンを眺めるのはケアンズにはない光景である。そもそも、ケアンズ周辺はサーフィンができるビーチが皆無と言っていい。北に行ったビーチのごく一部でできるところがあるらしいが波の大きさなどはサーファーズの比ではない。それにしてもサーファーズパラダイスとサーファー、見事に合体してかっこいい空間を作り出している。
ダイビングは見せるスポーツではないので、ダイバーとゴールドコーストといってもちょっと地味な印象が残ってしまうのは仕方ない。ただここの海は、サーファーだけにしておくのはもったいない。大物三昧のダイバーなら涙を流したくなるようなポイントが一杯ある。仕事の合間にダイビングができるかと器材を車に積んできたのだが、残念ながらそういった時間をとることはできなかった。
今回の出張の帰りは、ブリスベンで合流した嫁さんと2人で帰る事になったので行きに比べると楽だったが、次の出張からは間違いなく飛行機で行くことになるだろう。しばらく車での移動は控えようと思っている。

関連記事

コメントを送る

vol.37「バスの旅」

2006年05月06日

 
最近ガソリンの値上がりが激しい。新聞やニュースでは連日取り上げられているが、ここ数年の国内線の飛行機の値下がりとガソリンの高騰で、バスや車でオーストラリアを周る人が少なくなってきているのではないだろうか。
以前は、ワーキングホリデーなどがケアンズからゴールドコーストへ向かう場合、バスを利用するのが当たり前であった。が、飛行機の方が安い(場合が多い)今、途中どこにも寄らずに飛行機で一気に南下してしまう(もしくは逆に北上してしまう)ケースが多いようだ。便利にはなったが、見逃してしまうものも多いだろう。
東海岸をじっくり移動するのは非常に楽しい。ダイバーならなおさらである。日本のダイビング雑誌は、ケアンズからのダイビングの情報がほとんどであるが、東海岸全域には多くのダイビングスポットが点在する。
アーリービーチのダイビングサービスで働いていたころは、1ヶ月に少なくとも1〜2回程は、ケアンズから車かバスで通ったものである。片道630キロ。日本の感覚でいえば、車で通勤するような距離ではないが、オーストラリアでは長距離に入るほどでもない。
バスだと11時間程の行程が、僕の中ではかなりお気に入りだった。普段あまり読むことのできない本を持ち込み、じっくり読んだこともあるし、サトウキビ畑や牧場なんかを、ただただボーっと眺めていただけのときもある。
ちょっと時間の余裕があると、途中タウンズビルに寄って、水族館で時間をつぶすこともあった。
タウンズビルにはグレートバリアリーフマリンパークの本部があり、オフィスに立ち寄れば数多くの資料を入手することもできるし、水族館にある売店に行くと、興味深い本を購入することもできる。
また、オーストラリア最大の陸軍の基地があり、QLD州の第2の首都とも言われている。町の中心にある『キャッスルヒル』からの夜景はかなりきれいでお気に入りの場所。ここからはあの有名な『ヨンガラレック』というダイビングスポットへ行くこともできる。
アーリービーチは東海岸最大のパーティータウンとして、バックパッカーの集まる小さな町である。数百mの一本道の両側に、かわいいショップやパブが立ち並び、ビーチが目の前に見える。昼間からビールを思いっきり飲みたいのなら、アーリービーチでの滞在を考えてみるといいだろう。

さらに南下していくと、グレートバリアリーフの南端へのダイビングを楽しむこともできる。バンダバーグからGBR最南端部へのダイビングに行くのもいいし、そのさらに南では(もうブリスベンが目前だが)、退役軍艦のレックダイビングやマンタ・サメなどとのダイビングを思う存分楽しめる。
ブリスベンのさらに南に位置し、毎年のようにチャンスを見つけては行っているのが『バイロンベイ』である。前述のアーリービーチに雰囲気のよく似た町で、オージーには有名なダイビングスポットがある。サーファーにとってもかなり人気のポイントなので、数年前にサーファーとダイバー合同企画みたいなものを組んで行ったこともある。
いつも個人で潜りに行くことが多かったバイロンベイに、ゴールドコーストからサーファーと一緒にバスでツアーとしていったのだが、全く共通点がないと思っていたサーファーとダイバーに、多くの部分で共通する部分があり面白かった。
西海岸には、毎年のように『エクスマウス』へジンベイザメを見に行く。自分で車を運転して行くより、飛行機で行くほうが安く行けてしまうのかもしれないけれど、陸路で感じるオーストラリアならではの風景などを見逃してしまうのは非常にもったいない。
オーストラリアに長く居ると、日本に居た時と比べ距離感が大きく変わってしまう。3桁の移動はごく普通、4桁になれば長距離かなといった感じである。1000キロを超える移動も、時速100キロでずっと運転できるので、休憩を入れても12時間ほどで着いてしまう。
その間の風景は、だだっ広いオーストラリア大陸しか入ってこないのだが、日本を離れてオーストラリアに住んでいることを一番感じられるときでもある。
地図に地名が載っていても町だと思い込むのは危険である。ガソリンスタンド1件だけのところでも、地図にしっかり地名が載る場合もあるからだ。
5月から8月頃は、東海岸南部のダイビングが非常に面白くなってくるので、できればダイビングをやりながらの移動が最高だと思うが、ダイビングをしない人も、この時期はクジラが北上してくるので、いたるところでホエールウォッチングができるだろう。一気に各都市を移動する旅もいいが、時間がある限り、じっくりオーストラリアを見てもらいたい。

関連記事

コメントを送る

vol.36「ニュージーランドのリズム」

2006年03月06日

 
ニュージーランドに行ってきた。15年前、ケアンズに到着したときは「何とのんびりしたところだろう」と感じたが、今回初めて訪れたオークランドは都会だった。高層ビルが立ち並び、町中にはハイウエイも走っている。
今回はビジネスで来たので、用件を片っ端から済ませていかなければならない。そんな感じで始まったニュージーランド出張なのだが…。予想していなかったニュージーランドの壁に初日からぶち当たってしまった。
リズムである。
生活のリズムというか、仕事のリズムというか、全てがのんびりしている。オーストラリアもかなりのんびりした国だと思っていたが、ニュージーランドはその数倍のんびりしていた。
オークランドといえば、ニュージーランドの中でも大都市のはずなのだが、そこで働く人々はのんびりと日々を暮らしているようである。
まずは銀行の口座開設が1日でできない。携帯電話がその日のうちにつながらない。マクドナルドでは注文してから5分は待たされる(滞在中4回行ったが、例外なく待たされた)。
最初はこのリズムにとまどったが、慣れてくると、結構そのリズムを楽しめるようになった。
ファカタネ、という町でダイビングをした時に出会った、マオリのダイブマスター「ジェームス」。
何でもファカタネはマオリの先祖が最初にニュージーランドへ上陸した場所らしく、いろいろな話を聞かせてくれた。町名の由来や、マオリ部族間の争いの話し、マオリの長い名前の話など、ビールを飲みながら語ってくれたのだが、やはりニュージーランドのライフスタイルが一番良いといっていた。忙しく働いて金を儲けるのもいいが、生きていくだけの収入があれば、あとは楽しければ一番良いという。
ちなみにこの町でダイビングショップを経営しているのは、ファカタネの元町長なのだが、本人にはそんな雰囲気は全くなく、言われるまで気付かなかった。日本にも、姉妹都市との交流などで何度か行ったことがあるらしく、親日家であった。
みんな口を揃えて、これからもっとファカタネのダイビングが有名になって欲しいというのだが、同時に今の少ない人数で楽しく続けていくのが一番良いとも言う。のんびりしている上に、かなり保守的、というのが僕の印象だが、今までのリズムを変えたくない、そんな印象をいたるところで強く感じた。
さてジェームスが僕に、「一番住みたい場所はどこだ?」と、聞いてきた。そのとき彼はニヤリと笑っていたのだが、僕が「日本だ」と答えると非常に驚いたように、「ファカタネじゃないのか?」と聞き返してきた。ファカタネに来た多くの人が、そのまま住み着いているそうである。当然、僕もそれぐらいここを気に入っていると思い込んだ上での質問だったらしい。
確かにいい場所だなとは思ったが、まだまだこれから色んなところを見てみたいし、今のところ日本が僕の一番好きな場所であるのは間違いない。
しかし、オーストラリアに長く住んでいると、距離感がオーストラリア式になってしまうのか、ニュージーランドは非常にこじんまりした小さな国だという印象だった。今回は北島だけの滞在だったが、どこに行くにしてもすぐ近所、という感じである。東側から西側の海岸まで北島を縦断するのも容易である。南島になるとかなりワイルドなところが多くなるらしいので、それなりの準備と時間があった方が楽しめるようだが、はじめて行ったニュージーランド、なかなかいい国である。
ニュージーランド人は食べることがこよなく好きなようである。マクドナルドに行くとNZ独特の特別メニューが目に付く。ハンガーバスターやその他ビックサイズのセットメニューが多くある。マオリの人たちにとって、通常のLセットでは物足りないらしい。
ビールもいろいろ揃っている。不思議なのはオーストラリアで買うオーストラリアのビールよりも、ニュージーランドのほうがずっと安かった点だ。なぜだろう。

ジェームスから聞いたのだが、彼の知り合いのマオリで、クジラの骨を使ってアクセサリーを作るカーバーがいるらしい。オーダー時、彼に直接会って話をして、そこから得られるインスピレーションで作ってくれると言う。出来上がるまでには数日かかり、店を持ってやっている訳ではないので、紹介がないと会うことができないが、次回行ったときには是非時間をとって会ってみたい。
クジラの骨から作るだけでも、ダイバーとして是非身に付けておきたいが、会話の中から読み取られる自分をベースにして作るというところがさらに魅力的である。
ュージーランドに行ってきた。15年前、ケアンズに到着したときは「何とのんびりしたところだろう」と感じたが、今回初めて訪れたオークランドは都会だった。高層ビルが立ち並び、町中にはハイウエイも走っている。
今回はビジネスで来たので、用件を片っ端から済ませていかなければならない。そんな感じで始まったニュージーランド出張なのだが…。予想していなかったニュージーランドの壁に初日からぶち当たってしまった。
リズムである。
生活のリズムというか、仕事のリズムというか、全てがのんびりしている。オーストラリアもかなりのんびりした国だと思っていたが、ニュージーランドはその数倍のんびりしていた。
オークランドといえば、ニュージーランドの中でも大都市のはずなのだが、そこで働く人々はのんびりと日々を暮らしているようである。
まずは銀行の口座開設が1日でできない。携帯電話がその日のうちにつながらない。マクドナルドでは注文してから5分は待たされる(滞在中4回行ったが、例外なく待たされた)。
最初はこのリズムにとまどったが、慣れてくると、結構そのリズムを楽しめるようになった。
ファカタネ、という町でダイビングをした時に出会った、マオリのダイブマスター「ジェームス」。
何でもファカタネはマオリの先祖が最初にニュージーランドへ上陸した場所らしく、いろいろな話を聞かせてくれた。町名の由来や、マオリ部族間の争いの話し、マオリの長い名前の話など、ビールを飲みながら語ってくれたのだが、やはりニュージーランドのライフスタイルが一番良いといっていた。忙しく働いて金を儲けるのもいいが、生きていくだけの収入があれば、あとは楽しければ一番良いという。
ちなみにこの町でダイビングショップを経営しているのは、ファカタネの元町長なのだが、本人にはそんな雰囲気は全くなく、言われるまで気付かなかった。日本にも、姉妹都市との交流などで何度か行ったことがあるらしく、親日家であった。
みんな口を揃えて、これからもっとファカタネのダイビングが有名になって欲しいというのだが、同時に今の少ない人数で楽しく続けていくのが一番良いとも言う。のんびりしている上に、かなり保守的、というのが僕の印象だが、今までのリズムを変えたくない、そんな印象をいたるところで強く感じた。
さてジェームスが僕に、「一番住みたい場所はどこだ?」と、聞いてきた。そのとき彼はニヤリと笑っていたのだが、僕が「日本だ」と答えると非常に驚いたように、「ファカタネじゃないのか?」と聞き返してきた。ファカタネに来た多くの人が、そのまま住み着いているそうである。当然、僕もそれぐらいここを気に入っていると思い込んだ上での質問だったらしい。
確かにいい場所だなとは思ったが、まだまだこれから色んなところを見てみたいし、今のところ日本が僕の一番好きな場所であるのは間違いない。
しかし、オーストラリアに長く住んでいると、距離感がオーストラリア式になってしまうのか、ニュージーランドは非常にこじんまりした小さな国だという印象だった。今回は北島だけの滞在だったが、どこに行くにしてもすぐ近所、という感じである。東側から西側の海岸まで北島を縦断するのも容易である。南島になるとかなりワイルドなところが多くなるらしいので、それなりの準備と時間があった方が楽しめるようだが、はじめて行ったニュージーランド、なかなかいい国である。
ニュージーランド人は食べることがこよなく好きなようである。マクドナルドに行くとNZ独特の特別メニューが目に付く。ハンガーバスターやその他ビックサイズのセットメニューが多くある。マオリの人たちにとって、通常のLセットでは物足りないらしい。
ビールもいろいろ揃っている。不思議なのはオーストラリアで買うオーストラリアのビールよりも、ニュージーランドのほうがずっと安かった点だ。なぜだろう。

ジェームスから聞いたのだが、彼の知り合いのマオリで、クジラの骨を使ってアクセサリーを作るカーバーがいるらしい。オーダー時、彼に直接会って話をして、そこから得られるインスピレーションで作ってくれると言う。出来上がるまでには数日かかり、店を持ってやっている訳ではないので、紹介がないと会うことができないが、次回行ったときには是非時間をとって会ってみたい。
クジラの骨から作るだけでも、ダイバーとして是非身に付けておきたいが、会話の中から読み取られる自分をベースにして作るというところがさらに魅力的である。

 

関連記事

コメントを送る

vol.35「オーストラリアでのクリスマス」

2006年01月06日

これを書いているのは12月25日、クリスマスの日である。日本から観光できた人はかなり驚いたかもしれないが、ケアンズ(オーストラリア全体と言っていいが)のクリスマスは非常に静かだ。
家族が集合して、特別なランチやディナーを楽しむというのが一般的な過ごし方である。クリスマスの日に仕事をするなんて、考えたこともない人が多いので、当然、多くのお店も閉めることになる。
シドニーなどの都市部でも、クリスマスの日の営業が法律で禁じられているほどである。珍しく開いているレストランで食事をしようと思うと、特別料金だった、なんて事も珍しくない。
街中を走っている車の数もまばらである。何がすごいって、あのエスプラネードの24時間営業マクドナルドも閉まっている。
日本だと師走で忙しい時期だが、こちらではクリスマスのかなり前から新年にかけて、クリスマスホリデーをとるビジネスが多く、スムーズに物事が動かなくなることが多い。政府関連の窓口などは遅れる言い訳が全て「クリスマスだからね」と来る。どんな業者に連絡を取っても、「クリスマスだから」と1月まで待ってくれとくる。
今月、エアコンの業者に設置を頼んだのだが、ユニットが22日に届いても設置が1月9日になると言ってきた。この暑いクリスマスを涼しく過ごそうと思って頼んだのにである。
日本にいるときはクリスマスの日に仕事をすることに何の抵抗もなかったが、オーストラリアに来てからは25日に仕事をするのが犯罪のような雰囲気まで漂っている。
こんなクリスマスを過ごすことになって15年。その雰囲気にすっかり慣れてしまった。毎年、過ごし方は違うのだが、最近はマッタリと朝から家族と一緒にいることが多い。ホテルに部屋をとって、何もせずにゴロゴロするのも最高だ。
以前、フィリピンの両親がケアンズに来ていた時に、たまたまダイビングツアーでバンダバーグに行くことになり、その最終日がクリスマスだった。両親は敬虔なカトリック教徒でもあり、従ってクリスマスディナーが非常に重要である。
ダイビングクルーズから下船したのが24日夜。夜中に車を走らせるのは好きではなかったが、その日のうちにロックハンプトンまで北上し一泊。翌朝4時に出発し、ケアンズまで一気に死に物狂いで帰ってきた。

 

その距離約1200キロ。営業しているのはガソリンスタンドだけで、ランチを取れる場所すら見つからない。スタンドに置いてあった僅かなミートパイとポテトチップスをほおばりながら、何とか夜7時、ケアンズでのクリスマスディナーに間に合った。それ以来、無理なスケジュールはクリスマス前に入れないようにしている。
もうひとつ、オーストラリアのクリスマスが日本と大きく違うのが、真夏のクリスマスであるということだ。ホワイトクリスマスが非常に懐かしいが、毎年蒸し暑いクリスマスを過ごすのもなかなかのものである。サンタのひげを見るだけでも暑苦しく感じてしまうのは僕だけではないはずだ。
それでもクリスマスともなるとデパートでは雪景色の前で、あの暑苦しいサンタが大勢出没する。南半球バージョンのサンタを徹底したほうがいいと思うのだが…。
クリスマスをはさんで来年の計画(この号が出ている時はすでに2006年だが)なども立てているのだが、ダイビングでは南オーストラリアを攻めようかと計画中。ちょっと変わったダイビングがいろんなところで楽しめる。夏限定になるのかもしれないが、そのあたりの旅の報告もこの紙面でできればなと思っている。
南半球という広い目で見てみると、ニュージーランドが面白そうである。ただなんとなく日本と形が似ているだけで親近感があるのだが、冷たい水でのダイビングが楽しみなのである。
ケアンズに長くいると、「寒い」「冷たい」ダイビングが懐かしくなってくる。もちろんドライスーツで完全防寒対策をした上での話しだが、常夏のダイビングとはまったく違うところがいいのである。
それと、寒いところはなんとなく海の幸も旨そうである。ケアンズで熱燗を飲んでも、なんか汗をかきながら飲んでいるようでいまひとつだが、プルッとくるような寒さの中で、釣った魚を塩焼きにして、豪酒の熱燗を飲むなんていうのもいい。
オーストラリアに住んでいると、1年が過ぎるのが恐ろしいほど早く感じるのだが、2006年も今までと変わらずいろんなところに行って、いろんなことを試してみよう思う年末である。

関連記事

コメントを送る

vol.45「なんで海外に住むことになったのか?」

2007年09月10日

7月に伊豆に行ってきた。伊豆で潜るのは10年以上ぶりだったが、約2週間毎日温泉・講習・ダイビングと満喫してきた。ケアンズに来て以来、仕事はオーストラリアが舞台と突っ走ってきたけれど、今回チャンスがあり日本での仕事となったわけである。いわゆるインストラクターの逆輸入。

40歳を過ぎケアンズに住んでダイビングの仕事をしているなんて20年前には想像していなかった。そもそも海外に住もうなんて考えは全くなかったわけで、人生とは不思議なもんである。こうなった原点を思い出してみると、全ては大学に入る前に行ったセブ島ホームステイにある。その当時、セブ島と聞いてもどこの国かも知らず、とんでもない無人島に行くような気がしていた。スーツケースの中にはトイレットペーパーまで入っていたような覚えがある。今考えるととんでもない無知で偏見があったと恥ずかしいばかりだが、初めての海外旅行でもあったので結局トンチンカンな準備をして出かけていった。
その旅行は、「アジア自然塾」と言う団体が主催したもので、普通のパッケージ旅行とは違った。参加者は全て小学生が中学生。いろいろな問題を抱えた子供たちが海外の異文化に触れて何かを感じ取ってもらおうと企画されたものである。そんなツアーに、何も学校でも家庭内でも問題のなかった(たぶん・・)僕を母親が参加させてしまったのである。1週間あまりのホームステイであったのだが、少し年齢が高かったため僕とツアーリーダーは1軒の普通の家に泊まることになった。普通と言うのは、他の子供たちはフィリピンの非常に貧しい家族に振り分けられていたからである。キッチン・ベットルーム・ダイニングが全て一部屋で収まっているような家も多かったような気がする。玄関なんかは、腰をかがめないとは入れないようなところも多くあった。そんな中、僕が泊まった家はもともと地主の家系で、部屋もちゃんとベットもあり、シャワーやトイレなども何の不便もなく出来た(ただし、水は自分で汲んでこなければいけなかったが)。その家の両隣、向かい全てが親戚である。そこの娘さんが今の嫁である。母親にしてみれば、軽い気持ちでプレゼントした海外旅行だったのかもしれないが、僕にとって見ればそれが初の海外であり、カルチャーショックであり、出会いであり、そしてダイビング触れることになるきっかけでもあった。

そこから始まった日本国外への興味が、大学の休学・結婚・ダイビングへと続いていくことになり、気がつけばオーストラリアへの移住となったわけである。1年休学中にセブ島に住み、ダイビングのインストラクターまで取得し大学へ復学したときには、週末は全てインストラクターの仕事で明け暮れた。大学の就活なんかは無縁、教授には「退学したらフルコースやな」とまで言われていた(ちなみに浪人・休学・留年をしていたからである)。理系の大学を出ながら、卒業名簿の就職欄にはサービス業なんて書いてある。

ケアンズでワーキングホリデーの人を見ていると、昔の僕と同じような経験をしているんじゃないかなと思ってしまう。ワーホリの1年が、その後の人生のどれだけを占めていくのか。

僕の場合、そこから始まった海外生活は合計20年ほどになる。人生の半分だ。日本に帰るときは帰国と言うよりも海外旅行といった感じのほうが強い。渋谷に行っても道頓堀に行っても、完全に外人である。

写真は、大阪ミナミの法善寺横町。もちろん昔住んでいたころに行ったことがあるはずなのだがその記憶がない。知人に連れて行ってもらったのだが、ここで食った串焼きは最高だった。入り口のすぐ前の角にある4人も入ればいっぱいになる立ち飲みバーもかなり感動。バーマンのお兄ちゃんはオーストラリアに行ったことがあるらしく、ちょっと会話が弾んだ。

オーストラリアに住んでいるのは仕事のためである。どこまでこの仕事でやっていけるのかを試しているだけだ。海外で長くいればいるほど日本のよさが見えてくる。これからはケアンズに住みつつ、その日本のよさを楽しめるようなライフスタイルにできればいいなと考え中。永住権はとったけど、僕は市民権は取れないなぁ。どうしても日本のほうが好きだから、日本人でい続けるんだろうなと。そんな感じでオーストラリアと日本を移動中のダイビング小僧である。

関連記事

コメントを送る