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2000年2月号・その11 コドモの意志をどこまで尊重すべきか…
毎日は小さな決断の連続だ。
今日はどの洋服を着ていこうかな、から始まって夕御飯は何にしようまで、いろいろなことを人は選んでいく。それはコドモも同じである。
2歳近くになると一人前になってきて「花柄のシャツでなきゃいやだ〜」とか「今見たいのはこのビデオじゃな〜い」とか「ミルクはこの温度は好きじゃな〜い」とかうまく伝えられなくて泣いて訴えたりする。(親が早くしゃべれるようになってほしいと切に思う瞬間だ)。
こうして人は自然に我が出てくるものだが、日本人は大きくなってくると自分の意志をあまり押し出さない人が多いようだ。よく言えば周りに合わせることがうまい。悪く言えば、自分の意志があまりない。
最近、オーストラリア人一家と時間を共にする機会が多かった。会話を聞いていると、2歳半くらいの子供に何から何まで意志を尋ねていたのでびっくり。
「水玉と縞とどっちのシャツにする?」
「お風呂に入るそれとも短いシャワーにする?」
「あなたも私達みたいに飲み物に氷入れる?」と何から何まで聞くのだ。Would you like ~ ? の連続。
彼女はちゃんと考えて、
「今日はブルーの縞にする」などと答えていた。
こうして小さいうちから決断する訓練がなされるのか〜と一人感心してしまった(うちの子は、このシャツかわいいね、と言おうものなら喜んで着るタイプ)。
オージーがイエス、ノーが非常にはっきりしているのは、小さい時から習慣がついているからなのらしい。日本人のお母さんは、大抵、聞く前にやってあげちゃうではないですか?
一から十まで選ばせるのはコドモの意志を尊重しているようでもあり、コドモにとって不自由でもある。親の与えた選択肢しかないからだ。また、親だったら意志を通してくれても大きくなったら世間はそうはいかない。自分の意志で決断、選択するのは大切なことだけれど、意志が通ることが当然になってしまったら、危険。周りの動きもみなければ、ただのワガママな人になってしまう。
一方、日本流に色々な世話をしてあげるのは、コドモにあまり自由がなさそうでもあるが、与えられた環境の中でそれなりにやっていく知恵を与える。でも親が世話を焼きすぎると、自分で考えるのが面倒くさくなって、無気力な、どっちでもい〜よ〜という人になってしまう。
・・・と、バランスを取るのがとても難しい。でもどんな接し方が良いのか正解を知っている人はいない。子育ては模索しながら、自分が正しいと思ったことを実行するしかないのだ。その点、外国に住んでいると、色々な躾の仕方を見れてとても興味深い。
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