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趣味のお料理を通して、地元の人と交流し、オーストラリア家庭料理の深さに驚いた“のりさん”こと豊永典子さん。家庭の味とともにオーストラリア人のライフスタイルを紹介してもらいます。


その16 オーストラリアン・ファミリー お料理:ホワイトクリスマス

 日本では少し前まで、「生活が欧米化して、人間関係がドライになり、家族の絆まで弱くなった」と言われたものです。
 もっとも、最近では、小学生の頃から夕食は塾のために家族バラバラ、学校に入ってからは部活のため夏休みの家族旅行も行けない、というような生活が当たり前になってしまったようで、そういった声もあまり聞かれなくなりました。

▲結婚57周年の仲の良いふたり

 欧米社会は大学に行く年齢になると、家から独立して生活を始めることが普通です。そういう面から「ドライな家族関係」という認識になったと思うのですが、実は日本人以上に家族の結びつきは強いように感じます。


 どこからみても、理想的なカップル、75歳のエドナと77歳のダグは、遙か昔に金婚式を済ませました。戦後すぐにたった二人から始まった家族も、今では孫4人、曾孫2人と大きなファミリーになりました。
 もちろん皆独立をしていますが、近所に住んでいて、何かといっては実家に集まってきます。私がお邪魔するときには必ずといってよいほど、家族の誰かが遊びに来ているので、私もファミリー・メンバーにはすっかり顔なじみになりました。

 この夫婦の過ごした60年近くの歴史を聞くと、オーストラリア発展期の生きた授業のようで、とても勉強になります。


 1945年。日本との戦争の真っ最中。
 18歳のダグは軍隊に属し、エドナは看護婦として病院で働いていました。二人は、その頃一番の社交場であったダンスホールで偶然出会いました。そしてその3週間後にはダグがプロポーズ。
 エドナは母や妹などの家族を経済的に支えていたため、一家は結婚に大反対でした。しかし、反対されると燃え上がるのは世の常です。エドナは、ダグが送ってくれたメルボルン行きの飛行機の片道切符だけを手に、ひとりで旅立ちました。
 今のエドナからは想像もつきませんが、「すごいでしょ!」とにこやかに、駆け落ち旅行の話をしてくれました。

 連合国側に属し戦争に勝った、とはいえオーストラリアはまだまだ貧しい国でした。戦争の混乱の時期から今の豊かな国になるまで、ダグもエドナも一生懸命働いて、子供達を育てました。

▲ブッシュの時に使ったQuart Pot。これにティーを入れて飲んだとか。

 様々な経験をしているダグの話は、皆楽しくてつい引き込まれてしまいます。
 父の家業だったお肉さんを手伝った後、美容師、郵便屋さん、そしてシェフまで。特に馬に乗ってブッシュの中に点在する家々に郵便を届けたという「馬上郵便配達人」だった頃の話は最高です。
 郵便物を鞄に詰め6日間かけてブッシュを回り、1日休んでまた出発という生活で、現代の私達には想像もつかないことばかり。食料も途中で野生動物をハンティングしながら得ていたとか。
 ダグを最後にこの方法の郵便配達は廃止されたので、ダグは、"the last packhorse mailman (最後の馬上郵便配達人)"として本にも紹介されています。

 エドナはケアンズ生まれ。生粋のオーストラリア人です。今でこそ大きな都市になったケアンズですが、エドナの年代でケアンズ出身という人は数少ないと思います。
 その頃のケアンズは、知らない人は誰もいないというくらい、本当に小さな町でした。エドナは、新婚時代の一時期を除いて、ケアンズにずっと住み、この町の発展を見てきました。
 ダルと同様、エドナも子育てをしながら、スーパー、ホテルなどで様々な仕事をしました。最後の仕事場は、皆さんおなじみのアボット・ストリートのウール・ワースでした。

 二人の頑張りのおかげで、一家はオージーの夢のひとつを実現しました。郊外にエーカーハウスを持つことができたのです。週末に家族はセカンドハウスで過ごし、ナチョラルライフを満喫しました。
 愛鳥家のダグは、傷を負った鳥や、巣から落ちたひな鳥を助け、注射器で4時間ごとに餌を与えたり、時にはフルーツバット(こうもり)の赤ちゃんにおむつまでして育てたこともあったそうです。


 ダグは、私がオーストラリアやオージーの生活に興味があることを話して以来、私の疑問を何でも解決してくれる良き先生になってくれました。
 何しろ、曾おじいさんは囚人として英国から送られてきたのですから、ダグは由緒正しい(?)オーストラリア人なのです。

▲雛を抱くダグ。

▲鳥の世話をするエドナ。

 このことを本人はなかなか話したがらなかったのですが、エドナが「秘密だけどね」と教えてくれました。バレてしまったらしょうがない、と思ったのか、ダグは「囚人証明書」というのを見せてくれました。いやがりながらも、証明書を見せてくれた時のダグは少し自慢げだったりして、、、。

 やはり良く言われるように、ほんとうに些細な罪だったようです。ダグの世代では囚人だった祖先のことを恥ずかしく思う気持ちが強いようですが、「若い孫達は”僕らは囚人として送られてきた祖先を誇りに思うよ!”なんて平気で冗談を言うようになったわ」とエドナが教えてくれました。


 エドナとダグは私にとって、声を大にして「オーストラリアのお父さんお母さん」と言える存在です。また二人も私を本当の娘のように思ってくれています、いえ、いました。

 実は、今年(2004年)6月15日、二人の57回目の結婚記念日のわずか1週間前に、8ヶ月間の闘病の末、ダグが息を引き取りました。とても悲しい出来事でした。
 ダグは最後まで私に優しくしてくれました。自分のお葬式の身近な招待者の中に、「良い経験になるから」と私を入れておいてくれたのです。

 こちらのお葬式は、遺言で招待者を決めておく人もいるそうです。日本のように義理で葬式に出席する人、自分の葬式に来て欲しくない人は、呼んで欲しくない、と生前に決めておくのです。そんな優しい気持ちを、本人が亡くなってから知って、何度も何度も泣いてしまいました。

 ダグのお葬式は、とても心温まるものでした。
 100人もの人が集まったWAKE(お通夜)では、皆それぞれがダグとの思い出を語り合いました。エドナは、ダグが「似合う」と言っていたという真っ赤なワンピース姿。娘さんもダグの好きな紫の服を着ていました。
 ケアンズらしい、決して湿っぽくない、お葬式でした。これが、家族や仲の良い友達が集まって故人を心から偲ぶという、本来の姿なのだと思いました。


▲ホワイトクリスマスの出来上がり

「ダグがあなたには最後まで秘密にしていたことがあるのよ」
 とエドナがある日神妙な顔で話してくれました。

 ダグのお父さんは戦争中、シンガポールの捕虜収容所で日本軍に拷問を受け、片足が不自由になってしまったのだそうです。
 ダグにとっては、決して忘れることのできない、また許すことのできないことだったと思いますが、「ノリコが傷つくから」と私には話さなかったそうです。
 そんなダグが、スポーツでの日本人の活躍を喜んでくれたり、家族との会食を和食のレストランでしてくれたことに、彼の心の広さを今更ながら感じています。


 ダグやエドナから話を聞くと、私の両親の世代とおなじような経験をしてきたのだな、と思います。エドナの家には、今も子供や孫達が毎日のように集まってきます。私も、ダグとエドナに代表されるオーストラリアン・ファミリーのように、暖かな家庭を築いていけたらなあ、と思います。


 今回は、エドナに習った「ホワイトクリスマス」をご紹介します。クリスマスが近づいたこの時期、オーストラリアの家庭でよく作られるお菓子です。


ホワイトクリスマスの材料
・ライスバブル(ケッログ)…2カップ
・ミックスフルーツ…1カップ
・アイシングシュガー…1カップ
・ココナッツ…1カップ
・粉ミルク…1カップ
・ショートニング…200g

■作り方

1.

ボールにショートニング以外の材料を入れ混ぜる

2.

ショートニングを電子レンジで溶かし、1に入れよく混ぜる

3.

四角い型に2を流し込み、表面を手で押し形を整える

4.

冷蔵庫で固まるまで冷やす

5.

固まった所で、ナイフで1口大の四角にカットする

6.

冷蔵庫で保存する



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