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映画"Rabbit-Proof Fence(邦題:裸足の1500マイル)"は、日本でも話題になったようなので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。時は1931年、政府のアボリジニ隔離同化政策によって母親から引き裂かれた子供達が、収容所を抜け出し、砂漠の中2000キロをウサギ防護柵に沿って故郷まで歩いて帰る、という実話に沿った映画です。
でもこれは決して昔話ではありません。60年代後半まで実際に行われていた政策であり、私達の近くにも、この被害にあった人々が暮らしているのです。
「友達は私のことを『ココナッツみたい!』って言うの。どういうことかわかる?」とエンジ(Angie)が笑いながら私に尋ねました。
私が答えに窮していると、「外見は黒いからアボリジニと分かるけど、中身は白人だって。まるでココナッツの実みたいだって」
彼女は1955年生まれ。アボリジニの母と白人の父の間に生まれました。後に"Stolen Generation (盗まれた世代)"と呼ばれるようになる人々の大半は、こうした混血児達です。
オーストラリア政府が1911年から1960年代後半まで行った強引な隔離同化政策は、主に混血の子供達を親元から引き離し、白人教育を施す。そして白人と結婚させ、3世代後には外見上白人と区別がつかないようにさせる、という非人間的な政策でした。
純粋なアボリジニの子供より少しでも白人の血が混ざっている方が、より白人社会に同化しやすいと考えたのでしょう。
穏やかなエンジの話し振りに比して、その内容はまるで壮絶なドラマのようです。
彼女が捕らわれ(「盗まれ」)て強制的に収容されたのは、3歳の時でした。もちろん母親達は必死に抵抗しました。それまでも「係官が来たぞ!」と誰かが叫ぶと、いっせいに母親達は子供を家の床下に隠したり山に逃げ込みました。
しかしそれも結局叶わず、エンジは捕らえられ母から引き離されてダーウィン近くの小さな島に送られました。それ以来母とは会っていませんし、母の顔さえも覚えていません。
島では多くの混血児達が集められ、その面倒は修道女がみていました。英語での教育がなされましたが、決して整然としたものではありません。
同年代の子供達が集まっているのでそれなりの楽しさもありましたが、白人家庭に引き取られるまでの一時的な収容所のような場所でした。子供達の写真は、各地の教会のニュースレターに掲載され、養父母に気に入られた子供だけが島から少しずつ引き取られていく、という場所だったのです。
エンジは8歳のとき、南オーストラリアに住む家庭に引き取られることになりました。養父母は4人の子供を持つ熱心なキリスト教信者でした。養母はしつけと勉強にとても厳しく、それまで島で比較的自由に育っていた彼女には辛い面もありましたが、反面、自分のことを怒ったり心配してくれる人に初めて出会ったことをうれしくも思いました。
養父母の家から学校に通うことになりましたが、地元の学校では、彼女はたった一人の黒人で、よくいじめられたりからかわれたりしました。彼女が学校から泣いて帰ってくると、養母は「あなたのせいじゃないわ。いじめる側の心の問題よ。どんなにひどいことを言われても、笑って微笑んで、手を振ってあげなさい」と励ましてくれました。
そしてアボリジニへの偏見が強い近所の人たちから「エンジはハワイとかフィジーで生まれたと言った方がいいわ。決してアボリジニの子なんて話すべきじゃない」と言われても、養母はエンジに「あなたはアボリジニの子供よ。そして、そのことを誇りに思いなさい」とも言ってくれました。
そんな養父母でしたが、10歳になって養子として戸籍に入るかどうかを尋ねられたとき、いったんは断ったといいます。
養子になるということは、アボリジニの姓を捨てること。養父母にかわいがってもらったとはいえ、「自分は望んでここで生活しているわけじゃない」という気持ちが幼いながらもずっと心の奥に潜んでいたのでしょう。
養父母は不自由のない生活を彼女に与えてくれましたが、次第に意見の衝突が起きるようになりました。白人家庭で育てられてはいましたが、思春期になった彼女は、次第にアボリジニに興味を持ち、アボリジニの人たちと話してみたいと思うようになりました。しかし養母は「あなたは他のアボリジニとは違うのよ。彼らと友達になってはダメ」と言って、彼らと交流することを許してはくれません。
彼女は反発しましたが、養母に逆らうことはできませんでした。しかし、心の中では「それは、おかしい。何かが間違っている」と思い続けていました。そして、ある時「彼らが、臭かろうと汚かろうといいじゃない。教育をうけていなくてもいいじゃない。私にはアボリジニの血が流れているんだ。友達になって何が悪い」と強く思ったのです。
養父母と衝突することが多くなった彼女は、12年生になると家を出て学校の寮で生活を送ることになりました。そして、寮生の中にアボリジニの学生を見つけた時には、自然と惹かれていきました。というより、心の奥底で「彼らを受け入れなければ」と思うようになったのです。
しかし、彼らと二、三言葉を交わした時、愕然としました。「自分とは違う」と悟ったのです。長い間ずっと白人家庭で育ち、白人の教育を受けてきた彼女は、考え方、話す言葉もアボリジニのそれとは、全く違っていました。
「お前はいい子ちゃん(goody twoshoes)だ。何一つ悪いことをしようとしない」そう言ってアボリジニの寮生たちは彼女をあざ笑いました。
ある日、アボリジニの子が「私たちの見ている前であの家の庭の果物を盗んでごらん」と彼女に言いました。彼女は仲間に入りたい一心で、夢中で走って行って果物を盗もうとしました。慣れていない彼女は、案の定その家の人に捕まり、学校に連絡されひどく叱られました。
でもおかしなもので、その事件から彼女はアボリジニの友達から受け入れられるようになったそうです。
その後、彼女はパプアニューギニアからエンジニアリングの勉強に来ていたご主人と出会い、結婚を決意しました。この時にも養父母からは強く反対されたそうですが、とにかく自立したいという思いが強く、高校を卒業後すぐに、ご主人の待つパプアニューギニアに旅立ち、以来28年間パプアニューギニアで暮らし3人の子供にも恵まれました。
今は再びオーストラリアに戻ってきましたが、「振り返ると自分は本当に神様に守られている気がする」と今の心境を教えてくれました。
彼女は幸運にも良い家庭に引き取られましたが、同じ境遇の人たちの多くは、虐待を受けたり不幸な子供時代を送っています。"Stolen Generation (盗まれた世代)"は"Lost Generation(失われた世代)"とも称されます。彼女たちは、子供のときに政府に「盗まれ」た世代、そして「ココナッツ」と呼ばれるように、アボリジニでも白人でもないという、アイデンティティを「喪失して(失って)」しまった世代ともいえるのでしょう。
最後に、彼女はオーストラリア人そしてアボリジニ達に、とメッセージをくれました。
「オーストラリア人には、自分達の傲慢さを反省し、過去にアボリジニをどのように扱ったかを知り、謝って欲しい。そして、アボリジニ達は、過去を洗い流して、白人を許す心を持って欲しい」
彼女のような存在が、オーストラリア人とアボリジニを結びつける架け橋になることを願わずにはいられません。
今回はエンジから教えてもらった、ココナッツ・チキンをご紹介します。これは、彼女が長く暮らしたパプアニューギニアのお得意料理だそうです。
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▲オーストラリア人の家族とのスナップ
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▲エンジの家族(パプアニューギニアで)
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▲教会の仲間といっしょに歌うエンジ
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▲ココナッツの実を割るエンジ
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▲ココナッツ・チキンの出来上がり
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