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趣味のお料理を通して、地元の人と交流し、オーストラリア家庭料理の深さに驚いた“のりさん”こと豊永典子さん。家庭の味とともにオーストラリア人のライフスタイルを紹介してもらいます。


その25 40才で先生に ●お料理:野菜のフラン

キャンパスライフ。この言葉を聞くと、甘い、そしてほろ苦い青春のひとコマを思い出す方も多いのではないでしょうか。日本でキャンパスライフを送るのは、ふつう20歳前後の若者たち。でも、オーストラリアの大学キャンパスを歩くと、様々な年齢の学生達を見かけます。社会人、主婦、もちろんリタイア後の年輩の方々も。そして皆若者と同じように目を輝かせてキャンパスライフを送っているのです。


▲ビッキーと筆者

私と同世代の友人Vikki(ビッキー)は、つい先日大学を卒業し、念願だった教師として小学校の教壇に立ちました。38歳の時、3人の子供の母親として忙しい日々を送っていたものの、「どうしても教師になりたい」という思いが強くなり大学に入学。主婦、母親としての仕事もおろそかにせず、3年間の大学生活を送った後、41歳で無事卒業しました。教師を目指して大学を同時に卒業したのは120人。しかしフルタイムの教師としてケアンズで就職することができたのは、ビッキーを含め3人だけでした。彼女が難関と言われる地元の人気校に就職できたのは、S1ステューデント(成績がトップクラス)として卒業し、面接においてもその実力が高く評価されたためです。彼女の人柄と努力を称えた記事が地元新聞に掲載されたときには、彼女のこれまでの大変な道のりを知っていただけに、自分のことのように感動を覚えました。

実は、彼女が大学に籍をおいたのは今回で3回目です。大学へ入るための1年間の準備コースも含めると4回目のキャンパスライフということになります。成績も優秀で努力家、人柄も最高な彼女が、何度も大学にチャレンジしたのには、色々な事情がありました。

オーストラリアでは大学に行かずに就職する場合、Year10(高1)が最終学年となります。つまりYear11,12(高2,3)に在籍するというのは、基本的には大学入学を希望している生徒達です。Year11,12は大学入学準備期間として、資料の調べ方、論文のまとめ方などの学習が中心となります。成績の良かったビッキーも当然の如くYear 12まで高校生活を続けました。成績はトップクラスで、どんな大学どんな学部にも入学可能なほどでした。しかし卒業直前になり、自分がいったい何をしたいのか、何をすべきなのかわからなくなり、苦しみ悩んだ末、家族や教師の期待を裏切り、学校を中退してしまいました。

その後のビッキーは様々な職業を経験しました。百貨店やニュースエージェンシーの店員、空軍の通信士、英語教師など。社会に出て色々な経験を積むうちに、勉強の楽しさや学問の必要性を再認識したビッキーは、大学で勉強することを望むようになりました。

最初に大学に入学したのは、28歳の時。しかし3人の子供達は一番手がかかる時期でした。子供達を保育園に預け、2時間かけてキャンパスに通う生活はあまりにハードで、結局1年間で挫折してしまいました。

2回目は32歳の時。最初の失敗が尾を引いていて、やり通すことができるかどうか不安だったものの、無事卒業することができ、その後もキャリアを生かして仕事を続けることができました。しかし、徐々にどこか物足りなさを感じ、「もっと自分を生かせる仕事につきたい。私の場合、きっとそれは教師だ」と強く思うようになったのです。収入は半分になり家計が苦しくなることは分かっていましたが、家族は気持ちよく彼女を3回目の大学生活に送り出してくれました。そして彼女もその期待に応え、今では教師として充実した生活を送っています。


▲生徒に教えるビッキー


3回も大学でキャンパスライフを送れるとはうらやましい気もしますが、決して順風満帆な大学生活を送ったわけではありません。ビッキーだからこそ多くの困難を乗り越えることができ、そして、家族の、特にご主人Steven(スティーブン)の全面的なバックアップがあったからこそ、やり通すことができたのです。

2回目の大学生活の時、論文の提出期限が迫っていたにも関わらず、どうしても課題の意味が理解できずに、追いつめられてしまったことがありました。リビングルームが勉強部屋だったため、隣では子供たちが騒がしく走り回っています。ついイラついて声を荒げ、「もうダメ。難しすぎる。私には無理!」と叫びました。するとスティーブンは彼女には何も言わず、子供たちに「さあ、お弁当を持って出かけるぞ。車にみんな乗れ」と声をかけました。子供たちを、ムービーマラソンと呼ばれる6時間連続で3本の映画を上映する映画館に連れ出してくれたのです。突然ひっそりと静まり返った家の中で、子供たちが戻ってくるまでの6時間、冷静に文献を読み返すことができました。すると霧が晴れたように、今まで理解できなかった内容がするすると頭に入ってきたのです。また課題が終わらず徹夜して仕上げたことは何度もありました。やはりそのたびにスティーブンは子供たちの面倒を見てくれました。

3回目の教育学部の学生の時には、さらなる試練が家族を襲いました。卒業まであと1年、彼女が教育実習に励んでいる時、不運にもスティーブンが仕事中に大きな怪我をして松葉杖での生活になってしまったのです。家と車を購入したばかりで、多額なローンもあるのに、収入が突然ゼロになってしましました。ビッキーは大学を辞めようと決意しました。しかしスティーブンも子供たちも、「自分たちが何とか頑張るから、卒業して先生になって」と彼女を励まし続けたのです。

▲ケアンズポストの記事

▲男の料理の出来上がり

実はスティーブンも社会に出てから大学に入り直して卒業したという経歴を持っています。空軍という安定した職場に勤めていたにも関わらず、仕事を辞め、昼間は学校に通い夕方からは生活のために働く。周囲の人たちからは「3人も子供がいるのにクレイジーだ」と言われたそうですが、その時、スティーブンを応援し励ましたのがビッキーだったのです。「家庭を持ちながら大学に通っても、多くは脱落していってしまうの。私の場合、主人のサポートがなければとても卒業は無理だったと思うわ。家族の協力を得られなかった人達は、結局皆辞めていってしまったもの」というビッキーの言葉は真実でしょう。



オーストラリアの大学には、在学中は学費を払わず卒業してからの収入で少しずつかかった費用を返していく奨学金制度や、政府がシングルマザーや社会人、リタイアした人たちなどの学費を全面的に補助してくれるシステムがあり、誰でも簡単に利用できます。

「人は、早いうちに自分のやりたいことを知る人もいるし、それを見つけるのにとても時間のかかる人もいる。自分はまさに後者だと思う。でもだからこそ『みんなが行っているから』とか『親が言うから』といった安易な理由で大学に行くのではなく、『もう一度勉強したい』『教師になりたい』という強い動機があった。そして『全てのことを吸収してやる』という気持ちだった自分はまるでスポンジのようだった」とビッキーは熱く語ってくれました。家族からは「また10年後に、違う勉強をしたい、って言うんじゃない?」と冷やかされているそうです。

頑張り屋のビッキーだからこそ自分の思ったことをやり遂げ、夢を実現させたのだと思いますが、それが可能なオーストラリアのゆとりある教育制度にも感心せずにはいられません。

今回はビッキー以上に?お料理が得意というスティーブンの「野菜のフラン」をご紹介します。ゲストを呼ぶときには必ずと言って良いほどスティーブンのお料理が食卓に並びます。日本の男性諸氏にも是非学んで欲しいところです。



野菜のフラン

材料
A
玉ねぎ1個(みじん切り)
赤のパプリカ1個 (1cm角)
マッシュルーム6個(スライス)
ズッキーニ1本(スライス)

B
卵4個(割ほぐす)
リコッタチーズ…1カップ
市販のパイ生地

■作り方

1.

パイ生地は22cmの型に合わせて切る(底とトップ)

2.

Aの野菜を炒める

3.

ボールにBを入れ、塩、胡椒をふる

4.

バターを塗ったオーブン皿にパイ生地をのせ、2を入れる

5.

3を流し入れ、パイ生地をかぶせ、ふちを押さえる

6.

200度のオーブンで30分焼く



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