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オーストラリアに住むようになるまで、私のゲイに関する知識や関心は貧弱なものでした。せいぜい友人から聞いたゲイ・バーのことや、テレビのバラエティ番組に出演しているゲイの映画評論家ぐらいしかイメージにはなく、それもその特徴的な話し方や衣装など外見上のことだけが気になっていて、何か現実離れしたこととしか感じていませんでした。きっと大方の日本人は私と同じ思いではないでしょうか。
しかしケアンズに住むと、「うちのお隣さんはゲイカップルなの」、「ボクのお父さんゲイなんだ」「シェアメイトにはゲイが安全よ」などといった会話が日常的に聞こえてきます。またシドニーで年一回開催されるマルディグラは、ゲイの一大イベントとして世界的に認知されるようになってきました。元々は彼らの人権(human rights)を求めての抗議行動が始まりですが、今では一般の人も楽しめるイベントになっています。ある意味でオーストラリアはゲイに関して寛容で自由な国なのでしょう。そして私も、カミングアウトしたゲイたちと普通に知り合うようになると、ゲイという人たちをより自然に自分の中で受け止められるようになってきたのです。
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▲お気に入りの自宅プール
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熱帯植物に囲まれたジャングルの中のような家に住むハワードと彼のパートナーのティムとは、友人のパーティで知り合いました。その後仲良くなって彼らの家に招待されて驚きました。私の自宅のすぐそばなのに、まるでバリ島のリゾートホテルのよう。センスの良い調度品とプール周囲の洗練された雰囲気、そして意表をつく室内の色彩など。プロのインテリアデザイナー顔負けなのは、彼らがシドニー出身だからでしょうか。今では穏やかなセミリタイア生活を送っている二人ですが、色々な話を聞き、いわゆるマイノリティゆえの苦しみを知ることになりました。
リタイアした年齢とはいえ、今もハンサムでインテリなハワードは、敬虔なクリスチャンの家庭に育ちました。お父様は大学教授。そんな堅い家庭であったからこそ、自分がゲイであることに気づいた思春期は悶々とした日々を過ごしました。もちろん友人にも家族にも相談することはできません。「今振り返ってみると『自分はゲイであってはならない』といつもに自分に言い聞かせていた」と。大学を卒業し高校の教師として働き始めてからも、周囲から何の疑問をもたれることもなく、当たり前に結婚し家庭を持つことを期待されていました。そして結局、自分の意思に反しながらも、弁護士の女性と結婚したのです。その後息子も一人生まれました。しかしそんな仮面の結婚生活はもちろん長く続かず、奥さんは息子を連れて出て行きました。
このことが契機となり、「これからは自分を偽らず、自然に生きていこう」と決心し、両親に自分がゲイであることを伝えました。両親、特にお父様はひどく驚き傷ついたようですが、ハワードが教会のメンバーに真実を告白したとき、非難の矢面に立った彼を弁護してくれたのもお父様でした。「自分がゲイであることを素直に受け入れてくれた両親には、心から感謝している」とハワード。
「ゲイであることで、何か辛かった事はある?」と聞いてみました。「シドニーの私立高校で教師をしている時、ゲイであることが問題になって、一部の父兄が学校側に自分を解任するように求めたんだ」と。今から15年以上も前のまだまだ保守的だった時代のことです。彼自身「仕方がないこと」と解任を受け入れましたが、彼の解任を阻止しようと父兄の応援団ができ、学校側と対決してくれたのです。この時は、「本当にありがたかった」と。現在のオーストラリアではゲイであることをカミングアウトしている教師も多くなってきました。子供を持つ何人かの友人に意見を聞いたところ「その教師が子供にとって良い教師であれば、ゲイであろうと関係ない」とコメントするオージーがほとんどだったのは、時代の変化を感じさせます。
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▲植物園のような庭で
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パートナーのティムにもまた辛い過去があります。ヘアードレッサーの彼は、小さい頃からゲイであることを家族に告げていました。妹の一人もレズということなので、「もしかしたら遺伝子に組み込まれているのかな?」とティム。7人兄弟の大家族に育った彼は、小学校から寮に入りましたが、高校の頃からクラスメートとの関係が難しくなり、何回も学校を替わることになりました。高校卒業後は美容師になり、雑誌にもよく登場するシドニーの有名なヘアーサロンで働きました。その後、ロンドンのヴィダルサスーンで2年間勉強し、美容師として常に華やかな世界に身をおくことになりました。ティムは、そのファッショナブルで繊細な雰囲気から、すぐゲイとわかってしまいます。そして、それが災いし、ある日大変な事件に巻き込まれてしまうのです。
ある晩、シドニーの通りをひとりで歩いていると、いきなり数人の反同性愛者の男たちに囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けたのです。意識を失い、その次に目が覚めたのは6週間後、病院のベッドの上でした。一命はとりとめたものの、この時の暴行で後遺症が残り、障害者になってしまったのです。リハビリのおかげでなんとか歩けるようになるまでには回復しましたが、歩き方が不自然なため、街を歩いていると酔っ払いか麻薬中毒者に間違えられ、警官にたびたび呼び止められて職務質問をされるのです。そのたびに障害者手帳を見せ、自分の障害を説明しなければならない。これは本当に屈辱的でした。自分が悪いわけじゃないのに。もちろん、美容師として働くことも、断念しなければなりませんでした。それでも何か社会のために役に立ちたいと考えたティムは、その後数年間ボランティアとして、お年寄りの買い物の手伝いや食事の世話をしたり、HIV感染者を助ける団体で働きました。そこで偶然、同じ様にボランティア活動をしていたハワードと出会ったのです。
二人はセミリタイアという形でケアンズに移り住んできました。シドニーに比べると人々がのんびりとしていて優しく、とても暮らしやすいそうです。シドニー以上に友人もたくさんでき、「週末はいつもパーティに招待されるので忙しい」とうれしい悲鳴をあげています。
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▲ラムカレーの出来上がり
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彼らと話していると、何故かとても優しい気持ちになります。おしゃべりしていて心から一緒に楽しめる素敵なカップルです。日本で生まれ育った私は、最初は彼らに戸惑い、またある種の偏見を持っていたのも事実です。しかしゲイであろうがストレートであろうが、人間として付き合う場合、結局はその人の人間性にかかっているのだと強く思うようになりました。一人の人間としてもがき苦しみ、数々の試練を乗り越えてきた彼らは、人に対して思いやりがあり、とてもあたたかいのです。実は今回ご紹介するラムカレーの他にも、彼らは別の料理も考えてくれていました。「日本人は余りラムを食べないと聞いたから」だそうです。ここまで気をつかってくれたオージーはこれまでいませんでした。彼らの優しさにふれた気がしました。
彼ら特製のラムカレーには、ココナッツがたっぷり入っているので、臭みもなく日本人の友だちにも大好評です。是非新鮮なラムを使って作ってみてください。
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