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1995年9月号・其の1 Thank You
私の娘はケインズの国際空港のカンタス航空で働いている。その娘から聞いた話である。
その朝は、ひどい雨だった。日本からの便は、どれも早朝にケインズに到着する。娘は、タラップの下で待ち受け、下りて来る乗客の一人一人に雨傘を手渡さなければならなかった。
機は満席だった。最後の乗客の一人が出てくるまで立ち続けていた娘は、雨具を着けていても、体の芯までびしょ濡れになり、靴の中にまで水が溜まった。二百人以上の乗客の内、傘を手渡された時に、有り難うと礼を言った客は、ほんの数人。それも年配の人で、若い客は完全無視であったという。
同じ朝、シンガポールから中国人の団体の便も到着した。雨はまだ降っていた。濡れたまま、娘は再び同じ仕事をした。ところが、ほとんどの乗客がきちんと礼を言って傘を受け取り、言わなかった客は数人、日本人の乗客の場合と、まったく正反対だったという。
面白い話だ、と私は思った。日本に行くと、日本のサービスは素晴らしい。とにかくお客様第一で、そういう習慣のない豪州人と比較すると、まるで殿様にでもなったような気がして、面映ゆい。
しかし、サービスも度が過ぎると、人間性の軽視にも結びついてくる。客は何処にいっても客として扱われ、知らぬ間に、客だからサービスしてもらうのが当然だ、と意識が変わってくる。そこには、礼を言ったりする対等な感覚は存在しない。日本という階級意識の強い、過当競争の激しい国ならでは、の現象なのだろうか。
豪州は、日本と比較すると、サービスはひどく悪い。その背景には、仕事は生活をエンジョイする為の一つの手段であり、良しにつけ悪しにつけ、豪州人は対等なのである、という意識が存在する。
豪州に来ると、ここは日本の延長である、という思いを捨て、人間は対等である、と考える国だ、と意識する事だ。英語を話せなくても、まったく関係ない。誰もが知っている、サンキュー、を使おう。
店のアシスタント、レストランのウェイトレス、ホテルのドアマン、誰でもいい。客という意識を捨て、何かをしてもらった時は、サンキュー、を連発してみよう。相手の行為を認め、対等に人間を認め合う第一歩を、サンキューは感じさせてくれると思う。豪州の旅が楽しくなるはずだ。
豪州に住んで三十三年。私の職業は空手道場の師範である。職業柄、日本人からは敬遠される。道場は本音の世界である。豪州人の中に入り込んで、本気で生活しなければならない。
日本は日々遠ざかり、又、豪州人を理解する程、最終的に豪州人になり得ない人間像が出来てくる。日本の国籍はもうすでに無い。中途半端な豪州人として、感じる事を連載してみたい。
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