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1996年2月号・其の5 俺も征く
「旗があるよ」
何列も、所狭しと雑多に並べられたアンティーク家具の間から、妻の声がした。彼女が見付けた旗は、第二次世界大戦中の出兵兵士の為の日の丸寄せ書きで、かなり古びていたし、おまけに安っぽい大きな額に入れてあった。
ブリスベンには、大きなアンティークマーケットが三ヶ所ある。つい一ヶ月も前、私達はその中の一つ、パディントンにいた。
ケインズに持ち帰るのに、額は邪魔になる。旗だけを売るか、と交渉すると、300ドルと言う。保存状態から考えると、高い。私は豪州で旧日本軍の遺品を収集しているので、旗は質の良否にかかわらず欲しかったが、勿論それ相応の値段次第である。迷った。この類の旗は、今ではめったにある代物ではない。
その時、一人の小太りの婦人が近寄ってきた。
「あんた、こんな旗が欲しいのかい」30年程も前、彼女の父親から貰った物を今でも持っていると言う。
「欲しければ、売ってやるよ」
そんな旗を衝動的に私に売ろうという彼女の気持ちが分からなかったが、「私が持っているより、旗を探している日本人のお前さんに譲った方がいいもんね」。
すぐ近くだから、と慌てて出ていった彼女が数分後に持ってきた旗は、シワだらけになっていたものの、はるかに質の良い物だった。
出征の宴に際し、集まった縁者知人の中で、一番主な人物が、日章旗の上部に出征のスローガンと出征兵士の名を記入する。その旗は、海軍少将加藤成禧の手により、七生報国、そして祈武運長久、小林啓志君と墨痕あざやかにあり、周囲の空間に100名程の署名が見えた。
少将と言えば高官である。普通の召集兵が簡単に署名してもらえるような人物ではない。私は今までに、かなりの数の寄せ書きの日章旗を見てきたが、海軍少将の署名した旗は初めてだった。
署名の中には、小林という姓が何人も目についた。加藤少将は小林家の知人で、小林家の誰かの出征の宴の主賓として、招待されたに違いない。
署名を丁寧に見てゆくと、片隅にごく小さく、俺も征く、鳥海平十朗、とあるのが目に入った。字が若い。その淡々とした短い言葉の中に、戦場に征くという気負いより、むしろ友を送る悲しみと、その時代に生きた若者の覚悟が感じられ、私はしばらくの間、その文字を見つめていた。
鳥海なる人物は、小林啓志の親友なのだろう。貴様と俺と呼び合った同期の桜か学友。もしかすると、この旗は学徒出陣の宴だったのかも知れない。
旗には何カ所か、小さな穴があった。よく見ると虫食いや綻びではない。強い力が作用していた。弾丸の通過した跡だと思った。旗を持ち上げ、光に透かしてみた。穴の周りに、微かに醤油で煮詰めたような染みがある。それはかなりの範囲に広がっていた。
血痕である。血染めの軍旗を何枚か持っている私は、すぐに分かった。この旗は血に染まっていた。まだ血痕の新しい頃、誰かがザッと水洗いをしておいたのだ。
そしてこれは、小林という若者の死をも意味していた。俺も征く、と短く書いて、この若者の後ろから征った鳥海平十朗という人物は、今も日本の何処かで存命であろうか。
ケインズで空手道場を長くやっていると、日本から行きたいという道場や大学の空手部は、いくらでもある。外国で親身になって受け入れてくれる道場が少ない為だ。学生や若い女性達が来ると、彼等の経験と本当の交流の為、私の弟子には、家族にHome Stayをさせる。
私の弟子には、日本から来る若者よりもはるかに日本的な人物が沢山いる。その彼等が不思議に思う事が二つある、と言う。日本の若者達は、日本の文化について全く知らないのに、どうして外国の文化を学びたがるのか。他の一つは、豪州がかつて日本の敵国であったという事実さえも知らない若者が多い、という事は信じられない思いがするらしい。日本ではどんな教育をしているのですか、という彼等の素朴な疑問には私は答えを戸惑ってしまう。
何かというと世界平和を唱える私の母国、日本。わずか50年前の悲惨な戦争事実に蓋をしないで、しっかりとその実態を次の時代を担う若い世代に伝えてゆく事が、むしろ本当の平和への、大きな布石の第一歩と思うのだが。
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