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1996年4月号・其の7 SEVENTEEN
私の道場への見学者は多い。様々な人間がやって来る。普通の見学者は、30分もいれば、単調な空手の稽古に飽きて帰って行く。それ以上残るのは、興味を持っている者か、経験者である。
その男はどちらにも見えなかった。長い間、人間を見て空手を指導していると、人間のタイプが読めるようになる。男は、子供と、大人のクラス、のべ3時間以上もひっそりと見学席に座っていた。
ところが次の日も、又次の日も、同じようにやって来る。稽古に興味を持っているのではない。何かある。5日目に入門を申し出た。年を聞くと、17歳、と言う。明らかに鯖を読んでいると思ったが、黙っていた。どうせすぐ止めるタイプである。それにしても、何かしっくりしなかった。
数日経ったある午後、いつものように道場へ行く。ドアを開けると、正面の二階の窓から入る光が目を刺した。窓が開いている。床を見ると、土足厳禁の黒っぽい床の上に、微かに白い靴跡が横切っている。私のカウンターの下側に仕舞ってあったクラブの金と、愛用していた叙(サイ)という、十手のような武器が消えていた。
侵入者は、一階の窓ガラスを外して入ろうとしていた。ガラスを外したものの、内部には鉄パイプの強いフレイムがある。そこを締め、道場の背後に回ると、古びた木の梯子があった。それを使って二階から入ったのである。
一階の外したガラスは4枚、きれいに積み重ねてあった。暗闇で外したガラスは、何処にでも置けば良い。その重ね方に、一片の良心のようなものを感じた思いがした。道場で稽古をした人間ではないか。私の勘だった。あの男の顔が浮かんだ。あのしっくりしなかった私の気持ちは、これだったのだ。
信用のおける数名の有段者連中に話をした。中にはポリスもいる。あの男だという証拠は、何もない。住所は、入門した時に控えておいた。証拠なしでは、ポリスと言えども、踏み込む事は出来ないし、下手をすると人権侵害で訴えられる。
我々が動いているのを悟られると、ケインズを出られてしまう。外で、且つこっそりと男を見つけなくてはならない。無職の若い連中が日中集まる所は限られている。それならば、手の空いた門弟達が時間の許す限り、パトロールをする事になった。
3日目、あるショッピングセンターで男を発見。偶然に会った振りをして接近、話し込んだ。そして彼を送っていく、という前提で道場に寄り道させるのに成功。
私には、前もって連絡が入っていた。午後遅くだった。すぐにポリスの門弟に繋ぎを付け、男を道場に引き留めている間に、彼の間借りの一部屋を捜索、ベッドの下から私の叙を発見した。私の門弟とは言え、ポリスと仲間が協力して賊を捕らえた事は、新聞に美談として紹介され、話題になった。
その時から、もう4年近く経った。激化するケインズのバンダリズムを横目に見て、私の無人の道場はまったく無事だった。つい先週、いつものように稽古に行った時、車から出るとすぐに、道場の左側の窓の木枠が道路に落ちているのが目に入った。
やられた、と思った。油断しきっている体勢に、ポンと一本入れられた感じである。賊は窓の木枠を壊してルーバーのガラスを外し、内部からの鉄のフレイムを通り抜けて侵入していた。小さな子供を隙間から押し込み、内側からドアを開けさせて侵入したのだ。現金だけを持ち去っていた。遊び金欲しさの子供、17歳以下の犯行である。
豪州の法律では、17歳以下の子供なら、何をしても罪にならない。反対に、侵入した子供を掴まえて殴りでもしたら、逆に訴えられて罪になる。4年前、侵入した男を捕らえた時は、法律にもまだ少し余裕らしきものがあり、ポリスも、殴ってもマークを体に残すなよ、と言ってくれたりした。
今は腕を握っただけで、子供虐待罪で訴えられる。店で万引きしている子供を見つけても、手を触れてはならない。品物を元に戻すように忠告できるだけだ。ポリスでも同じである。悪い子供程この馬鹿げた法律をよく知っていて、それだからこそ、悪い事のし放題でもある。
道場の一件も、一応ポリスに報告しておいたが、彼等は見にも来なかった。子供の犯罪である。ポリスが時間をかけて捕らえても、罪にならない。すぐに釈放だ。その為にポリスに残されるのは、毎年量を増し、複雑化してくる報告書の仕事だけである。ポリスも見て見ぬ振りをしてしまう。
この数年来、犯罪者天国と異名をとる豪州でも、あまりにも馬鹿げた法律に、良識の残っている市民の不満が高まってきた事は、三月の総選挙で、豪州始まって以来という逆転劇を演じさせた一つの要因になっていると思う。
私は、子供はまだまともな人間ではないし、又、人権もないと思っている。あるのは、未来を担う為の尊い生命である。その生命に人間としての命を吹き込み、人権を支える良識を与えるのは、我々大人の役目である。
私の道場には、沢山の子供が入門してくる。甘やかされて育った子供が大半を占める。稽古は、比較的自由に楽しくやらせているが、締めるところは締める。悪い事をして、言っても聞かないと、尻をひっぱたく時もある。
悪い時に、しっかりと叱られていない子供は、碌な子に育たない。人間として、その痛みを体で感じ、子供同士で分かち合えるような子供に育てたいと願い、私は体を張っている。
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