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1996年6月号・其の9 あの刀

 私の趣味は、旧日本軍の遺品収集と日本刀である。戦後50年の今日でも、時にふれ、様々な品が私の手元に集まってくる。時には、どうしてこんな物が豪州にあるのだろう、と驚くような品に出くわす事もある。

 備州長船元重(おさふねもとしげ)は、建武年間の有名刀工である。建武は1334年。吉野朝時代の幕開けの年だ。この時代の刀は長い物が多く、戦闘様式の変化により、後世になって磨り上げ、短くして使用されたもので、その当時の姿のままで、且つ、銘もしっかり残っている刀は、日本でもまず少ない。有名刀工ならば尚更である。

 10年程前、私は日本の老剣客の役で、映画に出演した事があった。ロケは1ヶ月以上かかり、その為シドニーの映画会社が、ハーバーブリッジのすぐ近くに、ホテルをとってくれていた。

 私の友人に、豪州陸軍のA少佐がシドニーにいる。豪州日本刀研究の第一人者だ。

「私の手元に、元重があるよ」彼からの電話である。まさか、と思った。有名刀剣を見たら、まず贋作だと思え、と言われる程刀には偽物が多い。武士の魂と言われた程の日本刀に偽物が多いのは笑止な話だが、江戸時代に入り、商人が刀屋商売を一手に引き受けて以来、何時の時代でも、金が万事の世の中と思う人間達の悪知恵は、絶える事がないのだろう。

 A少佐は、元重は正真だ、と主張して譲らない。ロケの合間をぬって、シドニーハーバー対岸、モスマンの彼の家を訪ねた。

「日本人の刀屋に見せたら、ギャッと言うよ」と言いながら、一振りの白鞘の刀を差し出した。白鞘は別名、休め鞘と言い、使用しない刀を拵から抜いて保管する為の物だ。

 刀身に錆がきたりすると、すじに鞘を半分にパンと割り、錆の原因となっている箇所を削ったり出来るようになっている。従って、白鞘の刀で固い物や人間を斬ったりすれば、そのショックで柄は半分に割れてしまい、刀として使用出来なくなる。日本の映画で、白鞘で人をバタバタ斬り倒すのはまず嘘っぱちである。

 元重は、一目見て本物だ、と思った。典型的な南北朝期の姿。気品の高さ。更に驚いた事には、刀身の厚さもたっぷりあり、作られた当時の姿のままで、まったく現代作られた刀と同様の状態である。650年余を経た刀が、姿を完全に保っているという事は、恐らく大名の倉の中で、大切に保管されていた刀と思える。

 元重の持ち主は一人住まいの老女で、彼女の祖父が直接日本から持ち帰った物という。この刀の背後には、いったいどのようなドラマがあったのだろう、と思うと、元重が喉から手の出る程欲しくなった。A少佐が見つけ、手入れして世話している刀の事、彼も同じ気持ちに違いない。抜け駆けは、人の仁義に反する。キッパリと諦めた。

「豪州から、元重が来たよ」

 私の義弟は、日本文化庁の刀剣審査員で、日本ではトップクラスの目利きである。外国から送られてくる刀の入国審査も、彼の担当である。その義弟から電話があったのは、2年程も前の事だ。

 男は、A少佐の紹介で、元重を5万ドルで購入、日本へ持ち込むや否や、その3倍の値段で売却してしまった。私は元重を購入した男を知っていた。以前会った事がある。明治維新後の廃藩置県による大名家の没落により、彼等が食いつなぐ為に、涙をのんで手放したであろうその刀が、再び日本へ帰ったのだから、それはそれで良いかもしれないが、私にはそんな刀を、ただの金儲けの対象としか考えない男のやり方に、何ともすっきりしないものが残った。

 A少佐はなぜ私に一言、と悔やまれた。A少佐に仁義を通したが為に、私は聾さじきに置かれてしまっていた。故国日本へ帰ったが為に、元重はただの金の価値に代わり、豪州での100年近くの記憶が消えてしまった。

 物は物に過ぎないかも知れないが、物に心を入れる事が出来るのも人間である。元重は今日本の何処で、どんな暮らしをしているのだろうと時折思ったりする。

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