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1996年11月号・其の13 金木犀

 11時を回っていた、と思う。喉が乾いていた。ホテルに戻ってきた時、すぐ近くの仕舞屋風の家の前に、何台かの自動販売機があったので、何か飲もうと思った。

 日本の販売機は、我々の知らない品が豊富にある。妻と二人で販売機を前にして、どれを取ろうかと迷っている子供のように佇んでいると、私達の声を聞いてか、一人の老人が、閉まっていたガラス戸を開けて出てきた。

 3年前の事だった。日本へ行くと、必ず大阪に寄る。親しい、塚本の空手師範に会う為である。

 老人は、戸惑っている私達を見て、旅行者と見てか、話しかけてきた。豪州から来た、と言うと、そんな遠い所からよく来たと、体中に親しみを浮かべ、マァ家へ入ってお茶でも飲んで行け、と言う。身も知らぬ人である。おまけに真夜中に近い。妻は尻込みしていた。悪そうな人物ではない。私は老人の誘いに応じる事にした。

 ビールが出て、酒が続いた。若い頃、満州で会社を起こして仕事をしていたという一人暮らしの老人は、イソイソと我々を歓待してくれた。夢を抱いて外地で鳴らした老人の郷愁が、外国から来たという我々に被さったのだろうか。お互いに名前も知らず、引き止める老人の家を出たのは、もう2時が近かった。

 つい最近、門弟6名を連れて日本へ行った。ある道場の10周年記念大会に、ゲスト選手として招待された為である。日本遠征は過去何回か行ったが、正式の試合に参加するのは初めてだった。やれる、と思っていた。

 ところが、防具として面、着用の試合だった。面着用の経験がないと、間合いのとり方がずれる。側面からの攻撃も読みづらい。遠い間合いから、飛び込み様の攻撃を得意とするニックは、まったく間合いがとれず、1回戦で惨敗。成人男子では、何とか2名が3位。高校の部は、決勝で敗れて2位。成人女子は、ヘタな試合ながらも、1位と3位に食い込んだものの、全員が本領を発揮出来ないままに終わってしまった。

 どんな理由があるにしろ、試合は勝たなければならない。この経験を、これからの稽古に生かして欲しい、と思う。

 豪州に住み着いて、もう30年以上が過ぎ去った。会社を思い切って辞めて、21年前、ケインズで空手道場を開いた時は、軌道に乗るまで食えなかったので、8年も日本へ行けなかった。知らぬ間に少しづつ、当然の事として日本は動いている。

 私の故郷は四国の松山だが、地方都市の松山でさえ、すっかり変わってしまった。外地に長く住み、時折は日本へ行くと、その失いつつあるものが何であるのか、自分の体に感じて、分かるような思いがする。

 大阪の塚本にホテルをとった。3年前と同じ宿である。友人の師範と、久し振りに良い酒を飲んだ。真夜中に我々を歓待してくれた老人は息災であろうか。一目会って、あの時の礼を言いたかった。

 あの時と同じ販売機のある、仕舞屋風の老人の家のガラス戸は、閉まっていた。汚れた窓のガラス越しに、何がしかの家財道具が見える。不在なのであろうか。夜の帳がおりても、老人の家の明かりは点いでいなかった。

 次の日も又、翌日も、人のいる気配がない。塚本を出る前日に、近所の小料理屋のおばさんに、老人の事を尋ねてみた。3年前に、亡くなったそうだ。よく聞くと、どうも私達が老人に会ったすぐその後のようだ。元気そうに、イソイソと見知らぬ私達を歓待してくれた老人の面影が見える。老人は、死ぬ前に会った妙な豪州人の思い出を、天国まで持って行ってくれただろうか。合掌。

 東京、中野の商店街は、いつも雑踏の中である。なのに、一歩路地に入ると閑静な住宅街で、私がいつも通り抜ける道である。狭い道の両側に、ビッシリと隙間なく家が建っている。小さな庭の植え込みが、何とも窮屈そうだ。

 大阪から中野に着いた、その翌日の事だった。道路を抜ける私の鼻孔に、甘酸っぱい、やさしい香りが広がってきた。昔、よく嗅いだ香りだった。目で探すと、すぐ近くの家の垣根越しに、金木犀が小さなオレンジ色の花を一杯につけていた。

 そうか、金木犀は、秋に咲いた花だっけ。花を愛でる年ではなかった餓鬼の頃でも、その甘い香りは、私の体の何処かに残っていた。急に、今はなくなりつつある私の日本が、甦ってくる思いがした。

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