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1997年5月号・其の19 豪州病
バングラディッシュの首都ダッカから、つい先月、カトマンズへ飛んだ。機は20年程前のモデル、ボーイング727。何とか無事着いた。カトマンズは標高1300メートル。膚寒い。何とも歯がゆい入国手続きに腹を立てながら外に出ると、日本からのT先生とネパールの師範、指導員達が出迎えてくれた。T先生は日本から単身ネパールに乗り込み、空手道の指導をされている異才である。
ネパール糸東会の会員数は43万人。これはネパールの人口の5%近くを占める。まずこの数字に驚く。何世紀もの間、変わっていないのではないか、と思われるような寺院や街並みを縫って、毎日あちこちに散在する道場を訪問した。
小さく束ねた野の花や花輪を訪問者に捧げるのは、ネパールの人々の歓迎と尊敬の意が込められている習慣だそうだ。どこの道場に行っても道場生がズラリと並び、一人一人が花を手渡しし花輪を首に掛けてくれる。何百人もいると、もらった花で両手が一杯になり、付き添ってくれる指導員連中に手渡ししながら進まねばならない。面映ゆいばかりの歓迎振りで、まるでローヤルファミリー並みである。
これは取りも直さず、日本の空手道を正しく伝えたいというT先生の無償の貢献と、ネパールの人々の空手という日本文化に対する尊敬と理解度によるものだろう。
空手関係者は挨拶その他に、オス、という言葉をよく使う。押忍、と書く。ネパールの人々は、オシ、と発音した。何処に行っても、オシ、の大洪水。妻と娘も同行していたので、三人一緒にいると、オシ、オシ、オシ。小さな子供から大人までキチンと礼をして、精一杯の敬意を払ってくれる。
ネパールでもトップレベルという私立学校にも招待された。全校生徒職員が一時授業をストップして歓迎してくれたのも、あり得ないような話である。学校の空手クラブの人数は、何と六百人。道場では一時間程、生徒の演武を含めたレセプションがあった。生徒がズラリと並び、小さな子供にいたるまで足を軽く開き、両拳を腰の位置で前に構えた自然体のまま、ピクリとも動かない。
ほとんどの生徒が、道場に入門しても、会費等払えないそうだ。稽古着も手縫いの物ばかり。空手道という日本文化の良さに目を付けた政府が、指導員には月120ドル位の給料を支払い、その支払い能力のない家庭の子供は無料で習える。せめて空手着だけは自前で、というのが入門の条件という。その空手着さえも用意できない子供も多い。
年収平均が七百ドル前後のネパール。この貧しさにもかかわらず、子供達のキラキラと光る目はどうだ。彼等の空手にかけるあの溢れるばかりのエネルギーは、いったい何処から出てくるのだろう。ネパールオリンピック委員会の会長や時期カトマンズ市長に当選確実という人達が代わるがわる食事に招待してくれる。国の空手に対する思い入れ、が感じられる。
ネパールに最初に空手を紹介したのが、シンガポールで日本人の師範から指導を受けたという、ライ先生。17年間で政府がらみの現在の組織を築いたというから、すごい。この人とは沢山の話をしたかったが、彼の英語はまったく聞きとれない。
物静かな人柄だがレセプションでの演説を聞くと、言葉が分からないなりにも、彼の空手にかけた情熱が伝わってくる。21年間、プロとしてケインズで道場をやっているものの、ライ先生の偉業に比べると私は一体何をしていたのだろう、と思う。
それにしてもネパールの子供は素晴らしい。子供は子供なのだ、というごく単純な心理が自然に生きている。当たり前だ、と言われるかも知れないが、この当たり前の事実をしっかりと踏まえた上での仕付け、教育方針が、現代の極端に文明化した社会からずれかかってはいないだろうか。人間の社会、人生というものに対して何の考えもない子供に、一人前の人権を与えるという事は、一見子供を保護しているようで、実は何とも無責任な仕打ちには思えないか。
自由、という何とも有り難い生活をエンジョイしていた豪州に、様々な規制が知らぬ間に浸透し始めたのが15年程前。それまでの自主政権が共産主義を根底に踏む労働党政権に取って代わってからである。
新政府は人民を政府の支配下に集めるために、失業保険その他の社会保障、手当に、湯水の如く金を使い始める。私の娘が高校を卒業する一ヶ月程も前、学校側は卒業生に、失業保険の申請用紙を配る。申請しておくと、卒業と同時に失業手当がもらえるから、と言う。70ドル位だったと記憶している。この金がどれだけ働こうとする生徒の意欲をそいだ事か。やがては、これが当然の事となる。大人に関しても同じ。これ以後働かず失業保険で食う人間が増加する。
学校に初めて入学する幼児にも、権利が与えられる。幼児への叱責、強制の禁止。声を荒げるのも駄目。ましてや体罰厳禁。子供の自主性に任せる教育方針。豪州の教育は個性的でよい、という日本人の意見をよく聞く。表面的にはそう見えるかも知れない。しかし、何も分からない幼児の時から、幼児の権利を主張させる教育をしていいのだろうか。その結果が今出ている。
私は豪州では30年、ケインズだけでも、21年、沢山の子供に空手を指導してきた。学校の授業も受け持った。武道は本音の世界である。子供の変化は誰よりも強く膚で感じられるし、その質は毎年確実に落ちていっている。集中力、尊敬心が低下し、我侭でやる気のない、それでいて精神的に弱い子供が急増している。机上の空論から生まれる贅沢病で、私は豪州病と名付けている。
環境は最高の豪州で教育を受けさせる必須条件は、親が子供の小さい時に、しっかりとした性格の仕付けをしておく事だ。さもないと豪州病にかかり、逆効果になる可能性は十分にある。こんな豊かな国で良い生活をしていながら、子供の質はあんな貧乏国ネパールと雲泥の差である。
教育の原点は、物質や豊かさではないのだろう。大人は大人、子供は子供というまったく当たり前のけじめに基づく自然な信頼関係の上に成り立っているのかも知れない。ネパールの空手と子供を見て、何とも考えさせられた。
日本から連絡が入った。ネパールのナショナルチームがライ先生と共にケインズに来たい由。空手を通して又一つ、つながりが生まれた。
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