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1998年6月号・其の31 ブリスベン ガンショウ

 10時前に会場に着いた。入場開始は9時なのに、大きなパビリオンの中は、もう千人程の人波で埋まっていた。年1回、5月に開催されるブリスベン ガンショウである。

 豪州各地からディーラーやコレクターが集まり、予約してあった自分のテーブルに収集物を並べて売買する、武器関係一般のショウである。第二次大戦中に豪州軍によって没収された日本刀も時々出品されるので、都合のついた時に行く事にしている。このショウで、豪州における武器コレクターの水準と動きが分かる。

 バリーとゲイルは、もう15年程も前に私の道場に入門した。それぞれ家庭持ちだったのに、空手を通して仲良くなり、その内二人とも離婚して一緒になった。

 バリーは、あごにかかるまで口の両側を垂れ下がるような、妙な口髭を蓄えた異相で、人を見下したような態度をとる変わった男である。そうやって初対面の相手を探り当てているように、私には思える。パブを経営していたので、酔っ払い相手の喧嘩にも慣れている。当然、腕っ節には自信があり、動きの勘も良い。彼と稽古をした時、彼の目付きから、私を本気で試そうとしているのがよく分かった。

 ところが、彼の肩までの小さな私に、触る事も出来ない。この時から、彼の態度がガラリと変わった。挑むような目が柔らかくなり、隠れていたバリーが出て来た。

 豪州人が気持のある人間を形容して、Heart as good as goldとよく言う。いったん気を許してしまうと、バリーはその形容そのままの人間で、昔の日本人のような義理固さも持ち合わせている、良い男だった。

 そのバリー達は2年程も前、ケインズを出て、現在ブリスベンの西方150キロの町、トゥウンバで、年老いた母の所有する経営不振のホテルの立て直しに頑張っている。

 ブリスベンには金曜日の早朝に着いた。いつものように、予約を入れておいたレンタカーのカウンターに行く。

 ゴールドコーストに行く途中から内陸に向いて折れ、すぐに都会の雑踏が嘘のように感じられる広々とした農地の中を走る。所々にアンティークショップがあり、寄って見た。結構、高い。道端にあるフルーツのストールは、果物の本場であるだけに、ビックリする程安い。

 ガトンの町に着いた。ここには、私の娘が入学したクイーンズランド大学の分校がある。娘の在学中、一度も訪れた事もなく、娘は一人で入学式に臨み、一人で卒業した。

 ケインズのハイスクール在学中は、試験中や山のように宿題があっても、一日として空手の稽古を休んだ事のない、しっかりとした根性を持っていた娘だけに、やり抜くとは思っていたものの、時には一人で寂しい思いをした事もあったに違いない。口では何一つ弱音を吐いた事のなかった子だけに、私も父親として甘い言葉の一つも言ってやれなかった。こんな小さな町で、娘は一人で4年も過ごしていたのかと思うと、初めて来た町なのに、ふと以前に来た事があるような親しみを感じた。

「センセイは、このシャイアンホテル、最初の日本人ですよ」

 垂れた口髭が横に開く程嬉しそうに笑いながら、バリーとゲイルが迎えてくれた。トゥウンバはGarden Cityと呼ばれる程、町中が美しい所だったが、テーブルランドのアセタンのように、山の上の町だけに、何とも寒い。翌朝は、車のフロントガラスが薄く凍っていた。ガンショウには、バリー達も久し振りに2日間の休みをとって一緒に来た。バリーは、アーマーガードの襲撃大会でクイーンズランド州1位の名手でもあり、銃に対する造詣も深い。

 豪州、特にカントリーサイドでは、銃はハンティングのみならず、アボリジニーや夜盗などから身を護る、唯一の生活の必需品だった。それら多くの古銃は、武士の家系が日本刀を大切に受け継いだように、そのまま家族に引き継がれ、グランドファーザーの銃は、普通に家庭に見られたものだった。

 不幸にして、ホバートの乱射事件の後、ハワード政府は早急な銃規制を実施する。この政権が今までに実行した唯一の良策は、銃規制である、という豪州在住の日本人評論家の意見を、日系新聞で読んだ事がある。その時私は、この評論家は豪州人のまったく表面しか知らない人だ、と思った。

 現代では都会に住むと、銃とは無縁の生活が多くなり、しばしば犯罪の為にしか使用されない銃を、危険な武器としてのみ認識する見方が強くなる傾向にあると思うが、だからと言って、豪州人の大切な短い歴史とカントリーサイドの人々の気持を無視した銃規制に加えて、銃回収後の処分の仕方は、リベラル党を長い間支持してきた私でさえも、持って行き場のない憤りを覚えた。もしかしたら、ハワード政権は良かれと思って実施した銃規制を押し進めた事により、むしろ命を縮めるのではないか、と懸念した事だった。

 そして、この弱点をうまく突いたのが、アジア人制限をポリシーの一つに掲げていたポーリンハンソンである。銃規制緩和を公約にして立ち上がった彼女への急激な支持層の増加は、私の心配が的を射ていた事にもなる。豪州の進むべき方向が、6月の選挙で変わるのではないか。いやな予感がする。この選挙は、どうやら大きく揺れそうだ。

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