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1998年10月号・其の34 緊張のPNG
「我慢してたんだけど、痛かったよ」
ケブン夫妻が、ジャックのユニットまで送ってくれた。警備員が鉄のゲイトを開ける。24時間体制の厳重な警戒振りである。メイドが二重構造の頑丈なドアを、我々と認識して開いてくれた。我々の部屋に入り、ベッドに腰を下ろすと、妻がズボンの裾を引き上げながら、そう言った。
不審に思いながら彼女の足を見ると、向こう臑の中程から血が滲み出している。よく見ると何かの歯の跡で、腫れ上がっていた。
ジャックは、私の空手道場の生徒である。1年ほども前、ニューギニア(PNG)のポートモレスビー(POM)に、仕事の関係で行っている。一見して混血だが、稽古態度を見ていると、信用しても良い男だと踏んでいた。その彼からPNGに来ませんか、と問われた時、「行くよ」一つ返事で引き受けた。あまりに私があっさりと同意したものだから、彼の方が半信半疑の顔をした。
彼の私生活について、まったく知らなかった私だったが、つい先日PNGに行って意外な思いをした。PNGのハイランド域を、Gorokaを振り出しに、テンブー、マウントハーゲン、ターリーにかけて、最初の探検を成功させた白人、ジムテーラーが彼の叔父だった。PNGのハイランドの部族は、1930年、初めて白人に接触した事になる。有名な冒険談である。
ジャックの母は、PNG新聞社の重要なポストにあり、姉は米国駐在のPNGコミッショナーを数年間勤めた程のエリートの家系だった。二人とも顔が広い。話をしている内に、ポロリ、とケブンの名前が飛び出してきた。ケブン・バーンズ。現在のケインズ市長の前任者である。私の道場は、彼に色々と世話になった。現在PNG観光局の局長。そのケブンに昼食を誘われた。
ケブンの家は、POMを見下ろす素晴らしい丘の上にあった。ここも又、警備員が車を中に入れてくれた。どこに行っても何と警備の厳重な事。車から先に出かかった妻が、「アッ」。小さく叫んだ。けたたましい犬の吠え声。ケブンが飛び出て、犬を叱りつけた。警備員がすっ飛んできた。ガードドックである。妻はその時、何も言わなかったし、素振りにも出さなかったが、その時に食い付かれていたのだ。私さえも、知らなかった。「ケブンが知ったら心配すると思い、黙っていたよ」。
生地の強い長いズボンを穿いていたので、軽傷ですんだ。それにしても、POMの警備の厳重さには、目を見張るものがある。
私が最後に最初にPNGに行ったのが、独立前の1974年である。当時豪州管轄下のPNGは、何処を旅しても安全な、美しい国だった。独立後23年で、何という変わり様だろう。白人の住むユニットは、どれも24時間警備。ドアというドア、ウィンドーには、頑丈な鍵のみならず、外側はワイアメッシュで囲ってある。まるで鳥篭の中に住んでいるようなものだ。
「私の知人がね、この家のすぐ下側の道路の急カーブを車で回った時・・・」
男が1人、拳銃を備えて道の真ん中に立っていたそうだ。車を止めたケブンの知人は、その場で刺殺、おまけに舌まで切り取られていたというから、何とも凄まじい殺し方である。ジャックの知人は、レストランで食事中、乱入してきた6人の暴漢を、足首に常時隠している38経口で射殺。5人即死、一人重傷。いい腕だ。射撃クラブに入っているに違いない。それでも裁判では無罪。Pay Back というPNG独特の仕返しを恐れて、数カ月豪州に戻っているように、との判決であったそうだ。
殺人は日常茶飯事のように起こる。ほとんどがニュースにもならないようだ。POMをあちこち動き回っている内に、何処の地域が危ないのか、体で感じられるようになった。
「もし俺が、伏せろ!と叫んだら、そのまま座席の間にしゃがみ込めよ」
万一の場合、後部座席にいる妻に言っておいた。道路上のホールドアップや、地域によっては、赤信号でストップしている間に殺されることがよくあるそうだ。ドライブしている間に、もしそんな目に会ったとしたら、車を止めないで体を伏せ気味にして突っ走るつもりだった。相手を撥ねても、鉛玉のおみやげだけは、あまり貰いたくない。
GorokaのSing Singにも行った。ジャックの父の家がそのまま残っており、そこに泊めてもらった。電気も水もあり快適だったが、一歩外に出て村に入ると、電気はおろか水もなく、村民は土間で生活していた。
Goroka Showは凄かった。ハイランドから様々な部族が一ヶ所に集まり、3日間、彼等の勢力を誇示しながら、昔ながらの出で立ちで、歌い踊りまくる。私は妻と共に、踊りの真ん中に入って行った。赤土や不気味な色を体中に塗りたくった彼等の体臭、戦士の気迫のリズム、ボンボンと体の奥底まで響くようなドラムの音、鋭く尖った矢とスピア。圧倒される程のこのエネルギーは、何なのだろう。
惜しい国だと思う。独立はしてもしっかりしたリーダーもなく、私服を肥やす事に熱心な政治家ばかりのこの国は、もう駄目だ。POM失業率80%。アフリカのジョハネスバーグもひどかったが、POM程、体にピリピリと感じる危機感はなかった。国という動かしようもないような大きな共同体は、リーダーや方針次第で知らぬ間に大きく変わるものだ、という事をアフリカでもPNGでも体で感じてきた。
豪州も又、大きく動いている。間もなく首相選挙。国民の無知と政治家への不信不満が、大きく票をOne Nation党にSwingさせた。その分Labourが入る可能性が強い。そうなればようやく少し上り坂にかかった豪州は、再び大きく後退する事になるだろう。
別れるときにケブンが言った。
「マツモトサン。私のPNGでの任期は後1年です。ここはますます危なくなるので、アマンダ(妻君)はケインズに帰します。ケインズに帰ったら、次期の市長選に出馬するつもりです。ケインズの町の皆に言っておいて下さい」
ケブンは必ず次の市長になる。それまでPOMでの彼の安全を願っている。私はもう一度PNGに行きたい。危ない国は人間の本音が出る。それが面白い。
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