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1998年12月号・其の35 精霊

 30年も前、私はパプアニューギニア(PNG)独特の原始的な民族アートに興味を持ち、手当たり次第に何でも集めた事があった。今は目が肥えてきた所為が、めったに欲しいと思う代物に出会わないが、まだ興味は十分にある。

 つい先月、ジャックの招待でPNGに行った時、ポートモレスビー(POM)を代表する、PNGアート、という店に行ってみた。日曜日だったが、ジャックの母親の顔で特別に私達の為に開けてくれた。大きな倉庫のような何の変哲もない店の中に入ると、凄い。足の踏み場もない程、何千という原始的な生活用品、戦闘武具等、値段を見ると数百ドルもの品が、無造作に積み上げてある。

 時間をかけて楽しみながら、何点かの品を選び出した。それらの中には、何となく不気味な感じがする黒っぽいマスクの木彫りもあった。

「悪い事は言わんが、そのマスクはお止めなさい。Spiritが強すぎまっせ」

 妻は、恐い、と言って反対したが、カウンターまで持って行くと、ジャックの母親の紹介と言うことで親切に何事も面倒を見てくれていた店員が、そう言う。私には彼の忠告がピンと来なかった。Spiritが強いとどうなるのかと思ったが、「何かお前さんの身の上に起こる事があるよ」。

 何言ってやがる、そんなもの迷信に決まってらァ、と思ったけれど、その場に居合わせたジャックも糞真面目な顔をして、止めたほうがいい、と言う。PNGの原始アートは、作られた情況と地域、部族によってSpiritの入れ方が違うらしい。

 Spirit、すなわち精霊、とでも言おうか。現代社会に生きている我々には信じ難い分野だけれど、PNGのように人間が原始的な生活を営む社会ほど、その精霊は強いと言う。そう言われると、へそ曲がりの私は余計に欲しいと思ったが、よく見ていると、いかにも何かありそうなマスクではある。

 それならば、と店員に頼んで精霊の弱いマスクを何点か選んでもらい、その中から一点、高かったけれど何となく穏やかな感じのするものを購入した。Spiritの染み込んだマスクを長い間扱っている老人の店員には、精霊の強弱を体で感じる事が出来るようだ。

 その夜、ジャックの母親のユニットに招待されて驚いた。素晴らしいPNGアートのコレクションである。すべて確かな目で選りすぐった品ばかりだ。

 半年程も前、彼女は良いマスクを入手したそうだが、奇妙な事に何処に置いてもその部屋に馴染まない。仕方なく彼女の友人のPNGアートに依頼して、その店で売ってもらっているとの事。ところがそんな事は露知らず、何百点のマスクの中から私が選んで購入した物が、彼女のマスクそのものだった。偶然とは言え、不思議な縁を感じさせられた。

 ジャックは私の空手道場の生徒である。PNGと白人の混血として生まれた彼は、シドニーで大学を終えケインズで働いていたが、米国の会社がPNGで新しいプロジェクトを遂行するに当たり、その適任者として採用され、1年半程も前、POMに赴任した。

「毎晩決まって、同じ時間に同じ夢を見るんですよ。高熱が出てうなされ、寝汗を水を被ったようにビッショリかき、恐くて苦しくて、大声をあげて目が覚めるんですよ」

 ジャックとその日の奇妙な体験をした精霊について話していた時だ。彼が二度と思い出したくもないような表情で、ポツリと言った。彼はケインズに来る前、ソロモン群島の首都ホニアラに数カ月、大学からのボランティア活動で行っていたらしい。ホニアラにも私の道場の生徒がいて、過去2回ばかり行った事がある。

 海岸にへばりついたような町の背後は、第二次世界大戦中何万という日本兵が玉砕したジャングルで、その中に、「ある村の者しか知らない洞窟がありましたよ。私はたまたま、その村の長である古老と知り合いになり・・・」。

 その洞窟は村人にとってSpiritual Placeとして、侵すべからざる聖域という。古老の信頼を得たジャックは、その証としてある日、洞窟の聖域に案内される。

「絶対に、何も触ったら駄目ですぞ」

 一言、古老から言われたそうな。ジャングルを分け入って辿り着いた洞窟の内部には、「沢山の人間の頭蓋骨がありましたよ」。その聖域は若いジャックにも感じられる程、「何とも言えない不思議な雰囲気で、確かに何かを感じましたよ」。

 その時、足を滑らせたジャックは、無意識に骨を積み上げてあった自然石の台座に手をつき、そこにあった丁度手の平に入ってしまうような小石を動かしてしまったようだ。その晩からだそうだ。悪夢と高熱に悩まされ始めたのは。朝になると嘘のようにケロリと治る。しかし1週間も過ぎると、「もう寝るのが恐くて恐くて。10日も過ぎた頃は発狂するのではないかと思いました」。

 当然医者に診せても駄目。原因がまったく分からない。妻君のデビーが偶然に村の古老に会い、その話をしたところ、「すぐに連れて来い」。

 衰弱していた彼女は、藁をも掴む気持ちだったという。ジャックには古老の言う事がはっきりとは分からなかったそうだが、足を滑らせた時に掴んだ小石を元の位置と思われる所に戻し、洞窟の闇の中で何回も謝罪させられたそうだ。その夜からピタリ、と悪夢と高熱が出なくなったという。

 私はこの話を信じる。原始信仰の聖域には、我々現代人が想像も出来ない何かがあるようだ。ケインズの近くにも、アボリジニーが聖域と崇める場所がある。アセタン高原から少し入った小さな町、ハービトンの近くに一ヶ所。ここには豪州で一番長いという蛇の壁画がある。他はマリーバから洞窟の村チリゴーに向かう途中のペットフォード。わずか数軒の村とも言えないような所だが、この近くに1ヶ所。恐竜の足跡の化石が、地表にあるそうな。

 二ヶ所とも禁断の聖域で、普通の人は入れない。ここを守るアボリジニーの古老が、ジャックの友人なので、チャンスがあれば一緒に連れて行ってくれるそうだ。


 ちなみにPNGから持ち帰ったマスクは、私の家のどの部屋にも妙に合わなかった。明かりを消して真っ暗になると、部屋の中に誰かがいるような気配がするのだ。あちこち位置を変え、一番奥まった部屋の隅の壁に掛けてみたところ、何となく収まった感じがする。それでも2、3日、何かの気配を感じたと思ったけれど、その内まったく静かになり、マスクの顔付きも穏やかになった。今はマスクも永住の地を得たようだ。

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