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1999年2月号・其の36 豪州は狭い

 もう10年以上も前になるだろう。ビルはケインズのシェリダンStreetの丁度真ん中辺りに、何とか言うレストランを経営していた。私の道場の門弟でもあったので、食べに行ってやった事があるが、大した味ではなかったように思う。

 真面目そうな感じの男で、子供2人と共に稽古に通っていた。組手をさせると、結構癇の強い、合わせづらい動きをする。大人しそうに見えても癖のある性格かも知れぬ、と思ったりした。

 二人の子供は各々可愛い男の子で、特に弟のルーディは6歳。綿菓子のようにフンワリと丸く盛り付けたような髪の、妻に言わせれば、「お人形のように可愛い」。

 ところが母親がまずい。相手の事を考えず、いかにも自分の私利ばかりを主張するタイプの女で、「まず、長くはもつまい」と思っていたら、やはり男をつくって別居した。ビルはビルで、タイか何処かの東洋系の女が出来たらしい。まァどっちもどっちだ、と思って放っておいた。

「ダディはJAILに入ったよ。センセイ」

 ある日、ルーディ達が稽古に来ると、道場に礼をして入ってくるや否や、私の所に走り寄ってきた。幼児独特のたどたどしい口調で、それでもいかにも嬉しそうに私に言うものだから、場所が場所だけに、「エッ?」

 体を屈めて聞き返すと、「JAILだよ。JAIL!!」。やはり刑務所だ。どうやらルーディには、ビルが何か悪い事をしてム所に入れられた事の意味が、分かっていないらしい。いかにも自慢そうに言うものだから、妻と二人で呆れていいのか感心していいのか、分からなかった。そう言えばこのところ、ビルが稽古に来ていなかった。

 ポリスの門弟に手を回して、それとなく事情を調べてもらうと、やはりそうだった。タイから麻薬を持ち込んで捕まり、実刑6年をくらったらしい。「馬鹿め」。

 どうやら私の彼の性格への危惧が当たったらしい。ところがその内、ム所から時々便りが来たり、電話まで掛かってきたりする。そればかりか、実刑が終了する前には、仕事を見つける為の身元保証人になってくれ、と頼んできた。

 私も数え切れない程の門弟の身分保証をしてやったが、ム所の中から依頼してきたのを引き受けたのは、後にも先にもこの男1人だけだった。ム所を出た後一度だけ、私の道場に挨拶に来た。それ以後会っていない。

「センセーイ!!」背後から駆け寄ってきた親子連れがいた。ブリスベンから乗ってきた乗客らしい。つい2週間前のアデレード空港での事だ。振り返ると何と、1年前まで私の道場で稽古をしていたが、いつの間にか居なくなった姉と弟だった。両親の仕事の関係でブリスベンに転勤になったらしく、まだ空手を続けたい、と言うので、私の友人の道場を紹介してやった。

 砂漠の中のオパールの町Cooper Pidyに数日行き、正月の1月1日、アデレードに戻る。明けて2日。のんびりとアデレードより車で30分の地点にあるドイツ移民の町Handorfに行く。もうこれで四度目だ。行くたびにドイツ人の町というキャラクターが薄くなり、ケインズからのクランダのように、ただ普通の観光地になりつつあるのが残念だ。

 ジャーマンアームというパブがある。そこのジャガイモのスープとビールがうまい。朝食をぬいて食べに行ったのに、その日のスープは大したことなかった。勘定を払いにカウンターに行くと、「お前、マツモトだろう」。

わざわざテーブルから立ち上がってきた男がいた。私は彼を知らなかったが「俺はあんたをよく知ってるよ」。

 いかにもなつかしそうに握手を求めてきた。ケインズからの歯科医でブライアンと言った。

 ポートアデレードの町は、アデレードの玄関口として盛えた頃の町並みがそっくりそのまま残っている、私の好きな町の一つである。町中をブラブラ歩くと、古い建物をそのまま使ったアンティークショップがあちこちにあり、日曜日には桟橋にある大きな倉庫の中で、朝9時から一日中、マーケットが開かれる。

 ここは楽しい。アンティークも上等ではないが、何か掘り出し物がありそうな雰囲気の、ズラリと並んだ小店に頭を突っ込みながら見て回ると、時間のたつのを忘れてしまう。妻は何枚かの英国製のBone China, Royal Doultonの美しい小皿などを購入した。町中よりずっと安い。私は第二次戦の豪州軍用銃303の銃剣の鞘だけを見つけたので、これも安く買った。ここでも何とまァ、ケインズからの知人の夫婦に会った。

 アデレードを出る日、気温は47℃。ケインズとは異質の暑さである。ブリスベンに着くと、何とも涼しく感じた。ケインズ便を待つ間に手洗いから戻ってくると、妻が誰かと話している。ここでも又知人か、と思って近寄ると、その男がヒョイ、と振り返った。

 ビル!!

 数年振りのム所帰りである。小ざっぱりとした格好をしている。Sunshine CoastのTAFEで、外国人相手の英語の教師をしているという。変われば変わるものだ。

 その内ビルの息子が3人の友人とやって来た。彼等が通ると、すれ違う人達が道を開ける。まるでMAD MAXの映画の中の世界からやって来たチンピラギャングそのものだ。それでも私を見つけると、ビックリしたように、ニコリと笑った。10年振り位だ。

 笑うとガキそのものなのに、何処でどう間違ってこんなになったのか。その内ケインズからルーディが着いた。彼等はルーディの迎えに来ていたのだ。別れた母親の手に負えなくなり、ビルが引き取ったのらしい。ゲイトから出て来たルーディは、これがあの“ダディはJAILだよ”と無邪気に喜んでいたルーディかと思った。

 豪州という国の社会保障は、こんなチンピラ共にとっては天国だ。一生失業手当をもらい、麻薬でも売ってりゃ、御の字だ。チンピラ共が私達を囲んでグルリと立っているものだから、ジャパニーズのオジンと何の関係にあるのだろう、と思われたのかも知れない。周囲の乗客が皆、注目しているのが痛い程感じられた。このガキ共をコントロール出来るのは唯一、力、でしかない。

 ケインズまでは天候不順で、機はよく揺れた。飛行機嫌いの私は、無事着いてヤレヤレと思いながら座席から立つと、隣の座席の天婦者が、「又、明日からジョギングだな」。

 私は週2〜3回、ケインズ市のダムのあるLake Morris Rd. の山道を1時間走る。それを何処かで見ていたのだろう。有名でも何でもない私が、何処に行っても知人と会う。国土が日本の27倍もある広い豪州でも、人口が少ないと、何とも狭い国になるものだ、と感じられたSouth Australia散歩だった。

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