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1999年4月号・其の38 祟り(?)

 まったく、何の前触れもなかった。突然、足元がグラッ、とした。

「イケネェ。体の部品が、どっか壊れたのかいな」そう思った。

 同行した妻は、気付かずに、ドンドン1人で先に歩いている。私はよくケインズ市のダムに通じるLake Morris Rdを歩く。坂道が多いので、平地を歩くよりズッと足腰の運動になる。その日もいつものように、早足で歩いている最中だった。

 立ち止まって深呼吸をし、頭をユックリと回転させてみた。空は青いし木は緑。何とかまだ立っている。

「ヤレヤレ、脅かすなよ」

 数歩、歩いてみた。フラッ、とした。やはりおかしい。空手の稽古で、いつも体を使っている私の事だ。体の変調はすぐに分かる。歩いている間に正常に戻るかも知れない、と思い、我慢して妻の後を追った。

 その2週間前、知人のKより電話があった。ケインズのある回漕会社が、日本から中古の船を購入したところ、小さなお社が船内に残されていたそうだ。廃棄処分にしたいのだけれど、どのように取り扱ったらいいのだろうか、という珍しい問い合わせである。偶像崇拝かも知れないが、船の守り神としてのお社の事、うかつに処分も出来ないだろうと思い、それならば、私が貰い受けて世話をしようと思った。

「私共の会社はクリスチャンなのに、購入した船にジャパニーズ神道のお社があり、どうしようかと困っていましたよ。いや、貴方に引き取ってもらって、大助かり」 

 逆に感謝されてしまった。お社は数枚の金比羅様のお札と共に、小さな水屋のような家具にキチンと収められていた。そのお社を、道場の稽古帰りに受け取って来たのが、山歩きに出た2日前の事だった。

 我慢して妻の後を追う間にも、しょっちゅうフラッとしたり、足から力が抜けてしゃがみ込みそうになる。自分で脈を測ってみた。正常のようだ。気分も悪い。顔色が青くなるのが感じられた。

 私の家系では、男はほとんど高血圧で他界している。コリャぼつぼつお迎えでも近づいたかな、と思ったが、それには少しまだ早すぎる。それに運動をしている所為か、私の血圧は今でも理想的な位、正常である。何が原因なのか、体がまったく感じられない。それだからこそ、気味が悪かった。

 私の道場にも、正面に小さなお社がある。道場の出入りの際、稽古の終わった時等、正面への礼を欠かさない。門弟も同じである。私の妻は、四国八十八ヶ所の47番札所八坂寺の娘である。だのに結構無神論者で、私も似たようなものだ。

 道場のお社は、そんな我々が正面の格好をつける為だけに、日本から担いで来たのだが、もう20年以上も毎日お社に向かって礼をしていると、何だか知らぬ間に、このお社が道場の守り神のように思えてくるから不思議である。信仰なんてものは、そんな人間の心から根付いてくるのが、元来のものかも知れぬ。本部道場にはすでにお社があるので、支部のイニスフェイル道場に引き取ったお社を使う事にした。

 支部は分家のようなもので、当然本家である本部の下にある。お社の中にあった何枚かの金比羅様のお札は、本家でもお世話する意味で、本部のお社にも何枚か分けて入れた。

 体の変調は、その後も続いた。食欲も減り、ビールやワインが飲みたくない。私がビールを飲まない時は、1年に一度あれば、妻が、エーッ、と驚く程だ。ところが妙な事に、道場で稽古をする時だけ、体がピシッ、として何の異常もない。

「お社の祟りじゃないの」

 ある日、妻がポツンと言う。海の神様を奉ったお社を陸に上げ、勝手に分家させた罰じゃないか、と言うのだ。私は昨年似たような経験をしたので、一概に、NO、とは言い切れなかった。

「あんなものはね、勝手に触るものじゃないんだよ」と、お寺の娘らしい事を言う。

 考えてみれば、そうだ。海の神様を道場に連れて来たんだから、道場の神様、面くらった事だろう。もしかしたら、「オマエさんの来る所じゃネェよ」と言ったかも知れない。ところが海の神様、豪州の一角に放り出されて行く所がない。

「そんな事言わなネェで、同居させてくれよ」そこで一悶着あったかも知れぬ。

「こんな羽目になったのも、元はと言えば、あのマツモトという野郎の所為だ。よし、少し罰を与えよう」 と決議したのかもナー。

 私は道場のお社の前に立ち、心の中で謝った。「お社を分家させたのは悪かったけど、道場の神様と、仲良くやってつかーさい。チャンと面倒見させてもらうし、豪州人達も敬ってくれまっせ。神様も豪州では行くとこ、ないでしょうが」と、神様の弱い所もチョット突いた。

 私の体の変調は、その後1週間位たって自然に収まった。いったいあれは何だったのだろう。

 こんな事があってある夜、道場を出る時、闇の中の正面に向かって立った。道場とは、不思議な空間である。その闇が穏やかだった。

「神様、仲良くやってるな」礼をして、道場を出た。

 この話を信じますか。私自身、よく分からない。でも、人間を長い間やっていると、人間には何とも理屈で割り切れない分野がある、という事も否定出来なくなる。

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