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第12回
ビカネーの砂埃



砂漠の城を後にこれから東へ向かうために朝4時に起きた。

見知らぬ土地に夜に着くと危険が伴うし、何よりリキシャーとの値段交渉の時に不利な状況に陥るので、なるべく目的地には太陽の手が届いている内に到着するようにしていた。

暗闇に覆われたこの城塞は、昼間の賑やかさを突風ですべてを吹きさらってしまったような空虚感を漂わせ、漆黒の闇の中から何人かのリキシャーの白い歯が浮かんだり消えたりしていた。

その中の気の良さそうなヤサ男に狙いを付け、値引きして乗り込んだ。意外にあっさり折れて交渉は成立したので不思議に思いながら乗っていると、途中から断りもしないでピンクと水色のサリーをまとった中年インド人女性を鮮やかにサッと乗せた。やっぱりな、この何かがないとインドらしくない。

現地人よりも余計に荷物代をとられバスに乗り込むと露出度の高い二人の若いイスラエル人が前の席に座った。胸の谷間を深々と露わにして周りの温度を少し上げていた。すると中年インド人達のギョロっとした野獣の目が周囲で光りだした。ヒンドゥー語で話しをしているが、明らかに露骨な会話を二人の女の子を見ながら目の前で喋っているのが手に取るように見てとれる。言われている本人達は全然気にせず居眠りをそのままの格好できめだした。普通インド人女性は体のラインを強調しないようにしている。彼らのなめる様な目線も気になったが、この二人のイスラエル人の常識の無さすぎも気になった。

砂埃を巻き上げながらビカネー市内だろう、ありきたりの場所でバスが止まった。エッ、ここが終点!?そのぐらいありきたりのなんの変哲も無い場所だ。灼熱の太陽はすでに暮れかかっていてオレンジの光りを西の方から振りまいていた。バスから降りると霧か?5メートル先が見えない。いやこれは砂埃(ほこり)だ!今までのインド旅行の中で最強の砂埃が辺りの視界を遮っているのと同時に僕の肺の中に容赦なくなだれ込んで来る。これはひどい!おもむろにTシャツを上げ、口、鼻を覆いホテルに向かった。


ホテルは"BHAIRON HOTEL”(バイロン ホテル)といい由緒ある建物で政府高官の所有物だけあって見事な細工が所々に施してある。エントランスの左側には大きな平瓶が置かれ、その中のなみなみと注がれている透き通った水の上には赤、ピンクのバラの花びらが惜しげもなく撒かれていて、それが涼しげに風になでられてゆったりとしたリズムで左横右横していた。そこの奥の茶色い大きなカウンターにいたマネージャーは無愛想でスイートルームをしきりに勧めて来たがあっさり断った。今までのインド旅行の蓄積で何気なく断るすべを身に付けていたのに気が付いた。夕食も兼ねて散策しようと外へ繰り出したがあの砂埃の世界に押し戻され、少し値は上がるがHOTELで食事を摂る事にした。その夜はカサカサしたシーツにくるまって眠りに入った。

次の日は朝の日差しよりも先にコーランが流れ出し、目が覚める。起きて外に身を投げ出すとひんやりとして冷たい。日本の秋の朝方を思い出した。五年も日本を離れていたのにこうやって日本の気候を思い出すのは妙だ。感覚というのは自分の中の片隅にいつまでも存在しているのだろう。

午前中はインド人と一緒にガイド付きのマハラジャ宮殿の見学に行った。地方の宮殿だからたいした事はないだろうと思っていたが、いやいや素晴らしい細やかな装飾が施された豪華な宮殿だった。ツアーに参加していたインド人達はみんな親切で英語で会話もかわした。その中のインド人おじさんと仲良くなってこの豪華な宮殿を一緒に見て回った。

午後はここビカネーにある有名な寺院"ネズミ寺院”に行くためにローカルバスに乗り込んだ。やはりインドのバスだけあって密度の濃い車内だ。場所が定かではなかったので行き過ぎない様に、時々回りのインド人に聞きながら降りる地点を確認した。知ったかぶりをするインド人もいるので必ず二人以上に聞いた。


無事、辿り着いたネズミ寺院の門は予想以上に立派だった。が、中を覗くと無数の灰色のネズミが所構わず走り回っていた。ここはガネーシャ(像の頭を持った商売の神様)の眷属のネズミを放し飼いにして祀っていた。上を見上げるとネットが隙間無く張られて外敵からネズミを保護していた。そのお陰でここのネズミは増え放題だ。これがネズミ寺院たる所以だった。インドの寺院では裸足が通例になっている。ここもよく観察しているとみんな裸足になって奥に入り込んでいる。隣りのイギリス人の青年も首を横に振りながら靴を脱ぎだした。僕は知らない振りをして靴を履いたまま中に入ろうとしたらやっぱりバレた。よし!覚悟を決めた。靴を脱いで歩き出したが無意識つま先立ちになって歩いていた。


境内に入るとネズミの密度が更に増し、捧げものの餌をむさぼっている。よく見ると色々なネズミがいて、太っているものから、中には痩せていて毛が所々抜けている病気がちなネズミもいた。白いネズミもごく少数いてそれを見つけると幸運になると信じられている。僕はそれを探しているよりも、タイルの汚れの少ない箇所を探して歩いていた。気持ち悪さが足先から進入してきて背中を走って脳内に伝わった。身震いがする。一応お祈りをしてその場を立ち去ったが靴を履く前に持っていたアルコールで、足の裏を消毒をせずにはいられなかった。そのすぐ下をチョロッと痩せた尻尾の長いネズミが小走りして横切った。色々な意味で妙に後を引く寺院だ。


行きより多い車内の人の群れの中に自分の居場所を見つけ、市の中心街に戻って、次はラクダセンターに向かった。先ほど会ったイギリス人のイアンも同じリキシャーに乗り込んだ。目的地近くの民家で赤いサリーを着たインド人女性が牛の糞を素手でこね、円盤状に整型して天日干しにしるのが見えた。

センターに到着するとそこのガイドらしき人が入り口まで出てきて、中に入るとカメラ代取られるから俺に一人分だけ払えば何とかしてやるというので一人分だけ払って中に入った。ガイドと一緒にセンターに入るとラクダの一生やインドの歴史とラクダの関わり、それから地方のラクダの種類によって使われ方が違うという事を教えてくれた。外へ出ると、放牧から帰ってきた100頭以上のラクダの群れが砂埃を巻き上げこちらに向かってきた。圧巻で迫力があった。雌と子供の群れだった。ラクダは雄と雌を分けて育てられている。そうしないと雌の奪い合いで喧嘩になるそうだ。ちょうど雄は発情期で雄が紫の舌のような袋を口から出し、デロデロデロッというかなり遠くまで響く奇妙な低音を出していた。今まで聞いたことの無い不可思議な音だった。


出口辺りでガイドと別れ、リキシャーに乗り込んだ時に、カメラ代をこっそり自分の懐におさめていたガイドが見えた。

辺りは段々暗くなってきてリキシャーのライトが目の前の埃を一層際立たせていた。勿論、口と鼻を覆った。
ホテルに戻ると中庭で伝統的な人形劇を一生懸命やっていた。拍手の後、この所々破けた灰色の洋服を着た人形師が前に出てくると頭に砂埃を被っていた。

埃ではじまり埃で終わるビカネーだった。







SEIJI


SEIJI YAMAUCHI プロフィール
1997年オーストラリアから旅を始め、半年間東南アジアを陸路で巡り、次は中国からロンドンまでのユーラシア大陸撮影旅行、陸航路横断を達成する。その後ケアンズに4年留まり、絵画展、写真展、オリジナルパフォーマンスアートを展開、2005年リビングインケアンズの表紙、インタビュー撮影を担当、カジノや公共でのダンスパフォーマンス、ミュージカルにも出演。2006年の2月からインド一周、パリ、中国を撮影し、日本に帰国後、写真集旅日記を出版する予定。2006年10月に浜松でオペラ歌手とピアニスト共演のコラボレーションパフォーマンスがすでに決定している。



これまでの連載

2006-01-25 第1回 ケアンズからインドへ

2006-02-04 第2回 インドへ 出発

2006-03-07 第3回 列車の旅

2006-03-21 第4回 太陽と埃と野良牛の国から

2006-04-04 第5回 アーマダバード・1

2006-04-18 第6回 アーマダバード・2

2006-04-26 第7回 水上宮殿に泊まる・1

2006-04-26 第8回 水上宮殿に泊まる・2

2006-05-29 第9回 マウントアブーの奇跡

2006-08-28 第10回 ブルーシティ(Blue City)

2006-11-06 第11回 街の太陽 ジャイサルメール

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