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第14回
聖なる湖 プシュカルへ  後編




このシーク教寺院から聖なる湖までは歩いて5分程の距離だが、道が狭く入り組んでいるので、なかなか湖が見えてこない。


右へ曲がり、左へと何度も折れながら奥へ奥へと入っていくとやがて当然のようにその湖はあった。


なんて穏やかだろう。決してきれいな水ではないが、何かが違う。
静寂を湖の奥深くに携えている大きな生命体のようなものをこの湖から感じた。


近くでは痩せて骨と皮だけで生きているような年老いたインド人がありがたそうにその湖の水に半身を委ね、なにやらブツブツと祈りながら沐浴をしていた。

遠くに目をやると湖の対岸に建物群がレゴブロックを積み上げたように規則的に忙しく並び、それが湖の静寂と対比して、お互いの存在を強調していた。

幅広く空を席巻したグレーな雲が湖とその上の境界線に平行を創造し、何やらコンテンポラリーアートのような様相を強調している。

流れている時間と空気がいつもと違っていた。

一周してみようと思い、左手にある橋に向かって歩いていく。

そのコンクリートで固められた橋は完璧さとはかけ離れたどこか丸みを感じさせるようなものだったが、たくさんの人が行き来するのには十分な重厚さを備えていた。

どうやらヤギも通るらしい。コロコロとした糞が、節分が終わった後の豆のように無造作に顔を並べていた。

この橋は聖なる池の上を歩くという崇高で特別な任務を背負い込んでいた。

入り口の看板には「土足厳禁」のマークが敢然と掲げられ、信仰の深さを万人にアピールしていた。周りを見ると数人のインド人が、秘密裏の特別任務を任されているかのような雰囲気でこちらを何気なく監視し、ギョロっとした目を度々こちらに向けている。

変な冒険心がくすぐられちょっとビーチサンダルで歩いてみようかという気になった。

一歩、その領域に踏み入れる。

すると周りからやはり一斉にお声がかかった。

はいはい、わかりましたよ。僕の負けですよ。舌をチロッと出しながら、仕方なくビーサンを脱いだ。

裸足になりヤギの落し物を踏みつつ橋を渡る。柔らかいような固いようなツブツブとした感触を足裏にリアルに感じながら渡り終える頃にはもういいや、このまま裸足で行こうと思いそのままノリで湖の周りを歩いていった。

丁寧にも注意をしてくれた周りのインド人は何事もなかったようにその風景に再び溶け込んでいた。


この湖の周りには色々なヒンドゥー教の神々が祀ってあるが、その中でもひときわ特別な神様が祀ってある。聖地たる所以の深い神様だ。
その名をブフラマーという。

ヒンドゥー教には三大神が存在する。
シヴァ神、ヴィシュヌ神、そしてこのブフラマーだ。
ブフラマーは世界を創造し、ヴィシュヌ神が維持をし、シヴァ神が破壊(終焉)を司るといわれている。
オームという文字はこの三神が融合した形らしい。

この聖なるプシュカル湖は、天地創造の神ブフラマーが手にしていた蓮の花が地上に落ち、そこから水が湧き出してきたと伝えられている。

このブフラマン寺院は世界に一つ、ここだけしかない。ここにしか祀ってはいけないらしい。
なぜかというとそれはこの天地創造の神様の浮気にあるそうだ。
どうやらお茶目が過ぎたらしい。
ちなみにこの神様の妃はサラスヴァーティという神様で芸術、学問の神様で、この神様が東に伝わり日本で弁財天となった。

この寺院の前の道には露店が隙間なく密集していて、それに負けないくらい物乞いも密集していた。どの人間も熱を帯びている。商売、物乞い、リキシャー、声をかけ手を差し出す。特に外国人には過敏に反応していた。
そこを通るのは通例になっていた。いつものようにあしらい、ビーサンを差し出し、奥へ進んだ。

その寺院は意外にも小さかった。
そのかわり目の覚めるようなオレンジに寺院が塗られていて存在を強調していた。黒と白を交互に埋めた床は敬虔な信者達によって常にはき清められている。壁は大理石でヒンドゥー語でなにやら彫り物がしてある。その物陰には何人かの老人が置物のように座っていて祈る者、世間話をしている者様々だ。

本尊は寺院の大きさに比例していた。銀の彫り物が精密に施された社屋の中にあり、目が異様に光っていた。その隣には小さなサラスヴァーティであろう小さな像が仲良く並んでいる。
浮気後の物語は知らないがきっと仲直りしたのであろう。やはりハッピーエンドが一番だ。

それに向かって世界平和をお祈りした。

この寺院を後にした後、このホーリーレイクに実際触れ、祈る為、ガートと呼ばれる階段上の湖畔に行ってみた。この頃には太陽が再び顔を出し、コンクリートで出来ているガートを熱くしていた。
勿論裸足で歩いている。
 
水辺にいると白い装束の僧侶が一人、二人と顔を出す。

一人の微笑みを浮かべた紳士的な音も出さずにスーッと歩み寄ってきた。
自然な形で声をかけてくる。
「このホーリーレイクでのお祈りの仕方を知っておられますか?」
「いいえ、知りませんけど」英語でのやりとりだ。

「まずこの水を数回こうしてこうゆう感じにするんだよ。」
あまりにもさわやかな口調に何気なくいう通りにしてしまう。勿論ここまで来たからお祈りして行こうと決めていたからだ。

いくつかのプロセスを踏んでいく内に周りの住人が椰子の実やら花びらが入ったいわゆる「お祈りセット」なるものをそっと僧侶の脇に置いていった。
「今から私がいうヒンドゥー語をそのまま後に続いて唱えてごらんなさい」
言われるがままに彼に続いて、たどたどしいヒンドゥー語で復唱していく。
「自分の名前を言って下さい」
「それからあなたのご両親のお名前は?兄弟のお名前を言って下さい」
ヒンドゥー語を唱えている内に自分がベルトコンベアーに乗せられそのままその軌道にそって頭の中を組み立てられている気がした。
「このホーリーレイクに、あなたと、あなたの両親、ご兄弟のみなさんの為に、OO(ここは金額をどうぞ!)を捧げます」
小声でまるで要点を凝縮したような心の入った言霊を耳の近くでささやかれた。

来た!これが噂のホーリーレイク僧侶だ。

この湖に来る前に何人かのバックパッカーになんとなく聞かされていた。
「いいかい、お祈りの最後に必ずお金を請求されるが高額は出してはだめだよ。」

その時金額は聞かなかったが今を思えばそこが痛い。

頭の中で計算機が無用にはじかれていく。時間が無駄に過ぎていくのが分かった。

「どうしました?あなたの誠意ある金額を言ってください。ご家族の為ですから。」

僕は自分の妻に目をやり、それからとっさに「50ルピー」と答えた(A1$=約30ルピー)今泊まっているホテルが200ルピーだからここの金銭価値から言って妥当であると頭の中の自分が計算した答えだった。

その僧侶は自分の頭の中を貫通して、その奥の風景を見るように涼しげで、何か冷ややかなものを感じる視線を僕の両目を見ながらゆっくり次の言葉を述べた。

「ええっ、あなたの家族の為ですよ。それが50ルピーですか?何もルピーじゃなくてもいいんですよ。10ドルでも50ドルでも100ドルでも。皆さん家族の為ですからそうゆう金額を捧げる人達も結構いるんです。もう一度お伺いしますよ。何ドルですか?」

これは一種のマインドコントロールだった。“家族の為”この文句は自分の心の奥の何かを握られた感じがした。だけど今までのインドの経験のお陰か、ドルはないと頭の中で言い切った。

「100ルピー」

きっぱりと出した。

続けて僧侶は同じ口調で言う。
「100ルピー、そんな金額でいいんですか?御家族の為ですよ?お分かりになっていますか?」

「はい、それでいいんです。」
簡潔にしかも念を押した英語で答えた。

僧侶は一瞬間を置き、「分かりました。ではその金額を言って下さい。」
そのままいつものさわやかな口調でこの儀式的でマニュアル的なお祈りが終わった。

それからその僧侶は赤と黄色が交互に入った糸を右手に結んでくれた。これはヒンドゥー寺院を巡礼すると巻いてくれる一種のお守りのようなものだ。
各寺院色合いが微妙に違うのでこれを見ただけでどこの寺院を巡礼したか分かる。
長く旅をしている者ほど沢山巻いているので旅の長さも見分ける事もできた。

色々やりとりはあったがやはり人の為に祈るというのは何ともすがすがしいものだった。
その後の余韻はこの僧侶の人柄のお陰か悪くはなかった。



この夜ホテルに帰り、みんなで会食していて“祈りの金額”発表会になった。みんな結構ツワモノだった。オーストラリア人のサリーとブライは50ルピーづつ、アメリカ人のジェシーとメルはそれぞれ150ルピー、疋田さんに至っては何回もここに訪れている度に額が減っていって20、10、最後には5ルピーになった。
この時の僧侶のがっかりした顔が痛快で忘れられないと笑っていた。

そこで黙っていたドイツ人の中年バックパッカーの番になった。あまりこの話しには乗り気ではなかったのでいい金額を払ったのではないかと誰もが思っていたのでみんな執拗に尋ねた。
彼は恥ずかしそうに
「フィフティー」と英語で答えた。
なんだ、結構やるじゃないかとお互い顔を見合わせた時に彼はボソッと続けた。


「ユーロ」
一瞬みんなの動きが止まった。





<屈託の無い子供達>
 

    







SEIJI


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SEIJI YAMAUCHI プロフィール
1997年オーストラリアから旅を始め、半年間東南アジアを陸路で巡り、次は中国からロンドンまでのユーラシア大陸撮影旅行、陸航路横断を達成する。その後ケアンズに4年留まり、絵画展、写真展、オリジナルパフォーマンスアートを展開、2005年リビングインケアンズの表紙、インタビュー撮影を担当、カジノや公共でのダンスパフォーマンス、ミュージカルにも出演。2006年の2月からインド一周、パリ、中国を撮影し、日本に帰国後、写真集旅日記を出版する予定。2006年10月に浜松でオペラ歌手とピアニスト共演のコラボレーションパフォーマンスがすでに決定している。

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これまでの連載

2006-01-25 第1回 ケアンズからインドへ

2006-02-04 第2回 インドへ 出発

2006-03-07 第3回 列車の旅

2006-03-21 第4回 太陽と埃と野良牛の国から

2006-04-04 第5回 アーマダバード・1

2006-04-18 第6回 アーマダバード・2

2006-04-26 第7回 水上宮殿に泊まる・1

2006-04-26 第8回 水上宮殿に泊まる・2

2006-05-29 第9回 マウントアブーの奇跡

2006-08-28 第10回 ブルーシティ(Blue City)

2006-11-06 第11回 街の太陽 ジャイサルメール

2007-02-26 第12回  ビカネーの砂埃

2007-05-24 第13回  聖なる湖プシュカルへ 前編

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