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エッセー

信念 Vol.88

2008年09月10日

足が縺れた、ように見えたと思ったら、フワリ。

子供の体が横様に、ユックリと黒いボールの上に崩れ落ちた。

 

何をやっているのか、訝るような動きだった。
その日は準備運動に、メディシンボールを使用した。

 

ボールをジグザグに床に並べ、空手のステップを使って、出来るだけ速く通り抜けてゆく。

 

体が切れないとモタモタし、結構難しい動きなのだ。
もう3年も前になるか。その年の州大会は二月末。

 

新年の休みを返上し、出場する子供達の特別稽古を開始したところだった。
子供はすぐに起き上がり、何も無かったようにステップを続けた。

 

私も気に留めなかった。

その内稽古をしながら時々体を捻り、何やら気になる動きをする。

背部に痛みがあるようだ。

 

一応大事をとって子供を稽古から外し、見学させる事にした。

時々様子をみていると、痛みがひどくなっているようだ。

 

もしかしたら脇腹の急所でも打ったのかも知れない。

それにしてもあの倒れ方で、そんなダメージがあるのだろうか。

 

半信半疑だった。
飛び上がった。

二の句が出なかった。

子供の母親からの電話だった。

 

何と、片側の腎臓が半分に裂けていた。

信じられない事故だった。

 

50年以上空手をやって、色々な事故を見てきたが、こんな事故に出会った事がない。

 
あんなにフワリと倒れただけなのに、拍子というものは恐ろしい結果を連れてくる。
いい性格の子供だったが気が弱い。

 

私が少し強めに突き込んでやると、よく涙ぐんでいた。

それでも少しずつ上達し、州大会に出場出来るまでになっていた。

 

これからが楽しみな子供だった。
大会に出場する子供達が、成果を上げるのを見るのは指導者として嬉しい。

 

しかし空手の稽古には、それよりも大切な物がある。

 

稽古を通じて物事の善悪を教え、これからの長い人生に胸を張って立ち向かってゆける気概を育ててやる事だ。

試合に勝たせるだけの空手指導は、意味がない。

 
精神的にも強くなりかけていたその子供が、稽古を止めるとは思わなかった。

ところが、そのままになった。

 

何の連絡もなく、その子供は道場に戻って来なかった。

毎年かなりの人数が、私の道場を通り過ぎてゆく。

 

日本人は少ない。時に入門してくると、同胞意識があるので、どうしても面倒を見てしまう。

今時の若い人達にはそんな意識は無く、特徴もないので、むしろ無国籍人種のように感じるが、言語は日本語をしゃべる。

 

男より女の方が、まだやる気があるように思える。

 
子供の場合は、これから豪州人の社会で、ある種のハンディを背負って生きてゆかねばならぬ。

 

小さい時にシッカリした性格形成への躾、と思い少し厳しくすると、すぐに止めてしまう。

若いお母さん方には、私のそんな気持は、まったく伝わらないようだ。

 
豪州人との間の子供は、日本人の引っ込み思案と豪州人のだらしのない甘さが重なって、どうやってこんなガキに育てたンだろう、と他人事ながら心配になるような凄いのもいる。

 

道場、という所は、こんなのも全部ひっくるめて面倒を見る所だ。

 

どうしようもない子供達が、稽古を通して少しづつ成長し、一人の人間として長い人生を生き抜いてゆく糧を少しでも身に付けてくれたら、私は何か彼等に残してやれた事になる。

気を使って指導し、道場で親しくしていても、今時の日本人達、一言も言わずに消えるように止めて行く。

 

稽古を止めるのは仕方ない。

シンドイ稽古を続ける意志力を持っている人間の方が少ないのだから。

 
私は道場を止めるのを怒っているのではない。

縁あって共に汗を流し、交わった仲間である。キチンと止めてもらいたい。

 

これが出来ない大人は、自己の利しか考えず、他人への配慮のない人で、これはどうしようもない。
子供の場合、子供自身の口から、ハッキリと止めるという意志を私に言わせてもらいたい。

 

止める、という事は、如何なる理由があれ、稽古から逃げる事だ。

その最後の区切りをシッカリつけないと、子供の柔軟な心の中に、後ろめたさを伴うマイナスのイメージを生えつけてしまう。

 

これは潜在意識として一生子供の心の奥底に残る。これは、負、の意識だ。

私に子供の口から言わせる事により、プラスのイメージに変える。この小さなけじめが何よりも大切だと思う。
人間はこの小さなけじめの繰り返しで成長する。これが心の躾になる。

 

将来、信用の出来る人間として成長し、自己の生き様を通せる人は、心の躾の豊かな人だ。

 

子供の時、両親の甘さでこの芽を摘み取り、子供を駄目にしてしまうボロ親の何と多い事。

この罪はそのまま、将来我が身に戻ってくる。その時に悟っても、もう遅いのだ。

「部屋、これからでもキャンセル出来ますか」、と若い夫婦者。日本人。どうしたエ、と聞くと、泊まらないで帰る事にした、と言う。

どこか悪いのかエ、と又聞くと「イエ、子供が、泊まるのはイヤだと言うものですから…。」

 

私は一瞬、エッと思った。
道場では定期的に道場生の親睦のために、イベントを計画する。

その時は郊外で会食。

 

飲むのでモーテルに一泊して翌朝は自由行動、という予定だった。
日本人の親達はいつ頃から、西も東も判らない子供に振り回される程、親というプライドと自主性を失ったのだろう。

 
子供というものは、自分の意のままに物事が通ると、親を親と思わず、我がまま一方で自己中心、他人への配慮等まったく意に介しないような大人になる。

 

昨今日本で大流行の親に反抗し、中には殺したりする子供達は、皆この延長線上にある。

 

事の善悪をしっかり躾するのは、当然の親の義務ではないか。
この若い夫婦者は、以来道場に顔を出さなくなった。
 

 
そのガキ、目に敵意がある。ブスッとして物も言わぬ。

コリャ骨がありそうだ、と思った。

 

道場生の親が韓国人専門の民宿をやっている。

新しい客だ、と道場に連れて来た。

 

10才位かナ。

そのガキ、開口一番「お前、日本人か」私に問うた。
「そのようじゃノー」応じてやると、「お前、竹島知ってるか」ヤレ、コリャ面白い。

 

10才位の子供の言う事ではない。

日本人の子供なら、竹島が何処にあるのかも知らないだろう。

 

大人でも知らない人間は、無国籍集団に入った方がいい。
竹島は明治38年に出雲に編入され、米国等もその認定をしている。

 

ところが戦後、韓国は李承晩ラインを設定し、勝手に竹島を自国の領土に取り込んでしまう。

それから半世紀。まだもめている。

 

日本人の優柔不断の外交と我関せず、という国民性がこの一件にハッキリと出ている。
「コリャ、かなわンなぁ」と思った。こんな子供にさえ、間違ったイデオロギーを信じ込ませる洗脳教育。

 

仮装敵国は常に日本。

エエ加減で目を覚ませ、と歯痒い程人の良い日本が掲げる日中友好の旗。

 

台頭する中国の全土に設立された266ヶ所の愛国教育施設。

その中の208施設は、反日教育だ。

 

対する日本は平和ボケの中に伝統と個性を失い、無国籍国民集団となりつつある。かなう訳がない。

円の時代は終わり、元の時代になってしまうのか。

 

他人事と思うなヨ。

シッカリしろヨ、日本人。

「センセ、ボク、空手やめたい」

 
子供が私に言う。

母親は日本人。

 

手のかかる子供だったが、子供らしく素直なところがある。

 

「ダメだ」そう言うと、ベソをかいた。
「お前ナァ、私にチャンと言えるのは、エライ。

そンだけ勇気があるンなら、それを稽古にお使い。

 

そしたらモットうまくなるゾ」子供は次の稽古日に来ていなかった。

 

心配したが、その後又やって来た。

これは母親がエラかった。

 
つい最近、道場内での支部対抗試合があった。

 

その子供も出場準備をしていたが、道場に来ると泣いて入って来ない。

皆が手を焼いた。

 
「コラ、ここまで来てビービー言うもンじゃないゼヨ。

男の子はナァ、お母さんを困らすもンじゃないゾ。

サァ、頑張って来い!」手を取ると、泣きながら試合場に立った。

 

その子、ヘタながらメダルを取った。
それから顔付きが変わった。

 

この子、たった1日で大きく成長した。

 

我が子が本当に可愛かったら、時には尻の一つもひっぱたく親の信念、欲しいものヨ。

 

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