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探検家クリスティ・パーマーストン

2007年09月10日

当時の探検は昔ながらの暮らしを続けるアボリジニたちのいる山間にも入っていかなければならなかった。写真は1895年撮影の熱帯雨林の部族。

 

 クイーンズランド州北部には多くの探検家がいました。中でもクリスティ・パーマーストンは、現在もケアンズ高原のレイベンスホーとイニスフェイルを結ぶハイウェイにその名を残す、歴史に名を刻んだ探険家です。
イタリア人の父親とイギリス人の母親の間に生まれたと言われ、その一生は謎に包まれています。
彼のよく知られている業績の一つには、金が発見された内陸のホドキンソンから海岸線へ抜けるトレールを探したことがあり、200パウンドの賞金を得ています。(ただしこの時は指名手配中でお金を受け取ったのは後のことでした)。ポートダグラスへ続くこの道は、1926年にギリースハイウェイが開通するまでは、ケアンズ高原へ行く主要道でした。
1800年代後半当時は、熱帯雨林の茂る山々と海岸線を行き来する道がまだなく、パーマーストンのような探検家がトレールを開拓していたのです。
パーマーストンは現地のアボリジニの言葉を話し、彼等と一緒に狩りをしていたとも言われ、ボディガードとしていつも数人のアボリジニを連れ、一部の人からは恐れられていました。
それでも危険が伴う探検中、ジャングルでは靴を脱ぎ、自分の足跡がアボリジニのものと同じであるよう気を使ったと言います。ポンポというアボリジニの少年は1度となくアボリジニに殺されそうになったパーマーストンを助け、後にアボリジニの毒矢によって失明しかけた時もよく世話をし、最も信頼おけるガードでした。
パーマーストンはまた、バートルフレア山の高さを計った最初の人であり、錫が発見されて多くの鉱夫たちが移り住んだケアンズ高原のハーバートンと、マリリアン港を結ぶルートを開拓したり、ポートダグラス開発協会の要請で、ポートダグラスやデインツリーエリアを探険したり、ポートダグラスを主要港とするのにも一役かっています。(ちなみに1877年、ポートダグラス港が宣誓されると、ケアンズはほとんど過疎地となってしまいます。)
また、政府がケアンズ高原と海岸線を結ぶ鉄道を建設することを発表した時、ポートダグラスでもマリリアンでもなく、ケアンズに駅を作るべきだと強調。1882年4月から8月までポンポ1人を伴って一帯を歩いたうえでの意見でした。「山間を抜ける自然のルートはなく、高い技術を伴うエンジニアリングが必要になるだろう」とレポートしています。この探険の直後、信頼していたポンポが死に、深い悲しみにくれることとなります。
彼の意見通り、ケアンズと高原を結ぶ鉄道工事が始まった1886年、パーマーストンは結婚し、タウンズビルでホテルを経営、その後冒険心がおさまらず、ボルネオへ赴き、46歳の生涯を終えました。

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