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エッセー, ケアンズで輝く人インタビュー

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ケアンズ唯一の日本人ジョッキー

2007年05月10日

ためていたパワーを一気に爆発させて勝つ

ケアンズ唯一の日本人ジョッキー 
賀谷祥平

 

Kaya

 

Profile
賀谷祥平(かや・しょうへい)
28歳 広島出身。2003年8月COFFS HARBOUR(コフスハーバー)競馬場カップーデーにてデビュー、同11月MOREE(モーリー)競馬場で初勝利。
これまで58の競馬場で騎乗。3シーズンで778戦79勝(5/17現在)。NSW州ARMIDALE(アーミデール)、TAMWORTH (タムワース)、MUSWELLBROOK (マスウェルブルック)、QLD州GOLD COAST (ゴールドコースト)、INNISFAIL(イニスフェイル)、VIC州EUROA(ユーロア)を経て、現在、オーストラリア、ケアンズ在住

 

野球やサッカーに限らず、日本人スポーツ選手が海外で活躍する姿はまさに感動!
今回はケアンズで活躍する唯一の日本人ジョッキー、賀谷祥平さんをご紹介します。

 

馬が好きだったんです、乗る方ではなくて買う方が…

なぜジョッキーに?の質問の答が上のコメント。
賀谷さんは東京の大学を卒業後,就職せずにオーストラリアに来た。
日本にいる時にオーストラリアにある競馬学校へ入れば、ジョッキーになれることを知ったからだ。

その動機は明快。「日本でレースを見ていてなりたくなっただけ。」子供が野球選手に憧れるように純粋に、迷うことなく道を選んだ。

 

当時はゴールドコーストからメルボルンにかけていくつかの競馬学校があり、大きいところでは毎年20〜30人の新入生がいたが、賀谷さんが選んだのはNSW州のアーミデールにあった小さな競馬学校。生徒は賀谷さん一人だけだった。

朝から馬房(馬がいる部屋)の掃除、馬の手入れ、騎乗の練習、たまに座学と朝から夕方までみっちり、休みなし。マンツーマンの特訓が続く。

半年間学校に通い(ちなみに日本のJRAの競馬学校、騎手コースは3年制。)、その後1年半各地の学校や厩舎をまわる修行と模擬レースを繰り返す。

 

一番苦労したことは競走馬の力が強くて最初は全く抑えられなかったこと。またジョッキー独特の競走馬の乗り方の修得で、中腰で乗って全身、特に足腰を使うので筋肉痛で足がガクガクに。これは今でも疲れるとか(笑)。

 

当時他の学校には、賀谷さんのように日本からジョッキーの勉強にきている人もいた。現在でもオーストラリア国内でレースに出場している日本人ジョッキーはNSW、QLD合わせて7〜8人程いる。
ジョッキーになるための制限はないが、プロになったあかつきには、勝てなかったらそれまで…という厳しい勝負の世界に生きることになる。ジョッキーは自分からレースにエントリーするのではなく、調教師から指名されて、初めて騎乗できるため、勝てない騎手には指名は来ないのだ。

 

ためていたパワーを最後に一気に爆発させて勝つんです

NSWでレースに出ていた賀谷さんがケアンズに来たのは昨年6月。知り合いの調教師を通じてだった。
彼が副業でやっていた配管の仕事で、サイクロン後の復興工事のためイニスフェイルに来た際、他の調教師に賀谷さんの話をしたところ、指名が来たのだ。

 

ケアンズに来る前5年間のほとんどは日本人のいない町での活動。もちろん日本食もなければ、シドニーやブリスベンに出るのにも5〜600キロあり、なかなか都市へ行く機会もなかった。そろそろ日本語でのコミュニケーションも恋しくなってきていた頃だったとか。

 

ケアンズはお好きですか?と聞くと、「暖かいし、海はあるし、日本人はいるしオーストラリアの町では一番好きです。初めてこっちに移ってきた時は信号もあり、ビルもあり大都会に見えてうれしかったです(笑)。」

 

ケアンズとは言っても、普段仕事の中で接するのは圧倒的にオージー。まわりのオーストラリア人との関わり方で心がけていることはと尋ねると「性格のせいもありますが黙ってないで、言いたいことは言わせてもらうぞ、ってスタンスではいます。」と、自らをコントロールし、勝負の世界で生きる彼らしい発言が返ってきた。

 

レースは毎日ある訳ではなく、指名が来ればケアンズ、アサートン、イニスフェイル、タウンズビルまで各地で開かれるレースに出る。
今までに約800レースに出場し、騎乗した馬は500頭以上!当然相性の良い馬もいれば悪い馬も。

一番良かった馬は?と聞くと、「それがケアンズの馬で,5戦戦ってなんと4回優勝しました!」

勝つために心がけているのは「ポジティブでいくこと」。
「弱い馬でもひょっとしたら勝てるかもとか、不利な枠(外側スタートの方が内側に入りにくいので概して不利)でもいいように考えるようにしてます。あとはやはり体重キープでしょうか。そしてレースではためていたパワーを最後に一気に爆発させて勝つんです。」

 

毎朝5時から馬の調教の手伝い、これは毎日約3時間、レースコースで馬に乗る。
近くで見たことがある人はご存知の通り、競走馬はかなり大きい。走るスピードが時速60〜70kmにも達する馬をコントロールしながら乗ることを考えると、使う体力は相当なもの。

実際の調教は、競馬場の調教トラックを2周、週に1,2度レース時と同じ速いスピードで最後の400〜600mを疾走。
その他の日はゆっくりのペースでトラックを2周。

 

陸上選手で例えれば、ストレッチや軽い運動だけの日と、本番さながらの全力疾走で流す日を組み入れてバランスをとっているのだ。馬もジョッキーも日曜日は定休でゆっくり休養。レース当日は調教後移動して午後からのレースのため競馬場に向かう。多い日は1日で4〜5レースに出走するそうだ。

 

「もっともっと日本人の方にも見に来て欲しい」

オーストラリアでは競馬は3大人気スポーツの一つ。競馬場も日本と違い、コースと観客席が近いのが一番の特徴。

 

観客も家族連れの姿が多い。これはレースの合間に様々なアトラクションや発表会があり、子供達も楽しめるようになっているためだ。
毎回何かテーマが決まっているのも特徴。

 

中でも、今年は9月7・8日に行われる”ケアンズ・アマチュア”は、ローカルが着飾って出かける一大イベントだ。外国での競馬観戦は住んでいる人だけでなく観光で遊びに来た人にも新鮮なはず。みんなで感動しに行こう!

 

編集後記
インタビューの数週間後(6/16)に行われたレースで見事1着を勝ち取っていました。普段の非常に淡々とした自然体からは想像できない、本番で爆発する勝負師の集中力はさすがです! Kazu

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自分が楽しいから書く。

2010年08月05日

詩人で書道家。書を通して人を癒す

 

轟木 太郎 さん

ケアンズで輝く人

Profile

轟木 太郎 とどろき・たろう
1979年生まれ、大阪出身。福詩家 ソーシャルワーカーから路上詩人へ転身。3年前より書き始めた独特の詩で、カンボジアの子供たちから、
障害を抱えた日本の若者まで、
多くの人々を元気づける。詩を書くときには大きなヘッドフォンを付け、一気に書くのが特徴。

今回はジャパンフェスティバルの
一環で来豪。
14日のエスプラネードでの
イベントを皮切りに、ケアンズ市内に福詩ブームを起こしている。


自由な雰囲気あふれるHPは
http://my.peps.jp/fukushika

 

「まず自分が楽しくなければ!」 路上で詩を書くことも、モンゴルで木を植えることも 全ての行動がそこから生まれる。 何とも言えない優しいオーラをだしている 轟木太郎さん。 

 

一瞬浮かんだキーワードから、 イメージを広げて書く

07年5月14日、ジャパンフェスティバルのイベント会場で 何人もの人が順番を待って並んでいるブースがあった。 何だろう?と横からのぞくと太郎さんがいた。
写真の作品通り、太郎さんは詩人で書道家。 お客さんの名前を聞いてから、 「ここを見て」 と自分の眉間を一瞬見つめさせる。

おもむろに書き始める詩は、眉間を見つめさせた一瞬に、 湧いてきたキーワードから広がるイメージで、 サラサラッと書いてしまう。

1万人いれば1万通り、 同じ人に2度書いても同じ詩にはならない。
ふっと湧いてくる言葉はその時、その場所でしか 浮かんでこない。 それは考えて出てくる言葉ではなく、 まさに浮かんでくる言葉。 詩の意味は、太郎さんが直感的に感じたもので、 解説はできないとのこと。 書いてもらった人は皆さんそれぞれ自分で考えてみて。

もちろん自分の中にない言葉は浮かんでこない。 言葉の源はいろいろな本からだそう。 哲学書から小説まで何でも読むが、 小説はノンフィクションばかり。 ちなみに今までで一番印象に残っている本は?と聞くと、 高橋歩氏の「毎日が冒険」。以前引きこもりだった時に この本を読んで「何かやってやろう」という気になったとか。

 

何よりも書いている瞬間が楽しい、 さらに見てくれる人がいることで楽しさ倍増

書きはじめのきっかけは高齢者施設。

ソーシャルワーカーだった太郎さんは、 生きることを放棄した末期ガン患者に出会う。

なんとか元気を出してもらおうと、1枚の詩を贈った。 家族と口をきくことも、食事をとることも、 ついには起き上がることさえ拒否した患者さんが、 太郎さんの詩で変わった。

しばらくして亡くなるまで、 起き上がって詩の言葉に手を合わせるようになったのだそう。

それ以来、時間があれば路上で人々に詩を書き始めた。 ある日、ショックから言葉を失った人に詩を書いた。 書かれた詩を見てぽろぽろ泣き出したその人は、 詩を受け取り、何も言わず帰っていった。

数ヶ月後、eメールが届いた。 「あのときは"ありがとう”が言えず、ごめんなさい。 あれからその一言が、どうしても言いたくて、 一生懸命練習しました。 やっと言えるようになったので、 会いに行ってもいいですか?」

「自分の詩が何かのきっかけになってくれるのは嬉しい、 でも、まず自分が楽しいから書いている」 と言い切る。

 

どんどん広がる太郎ワールド

たった1日のイベントが反響を呼び、 ケアンズ市内でも太郎さんの詩をシャッターや壁にアートした 壁画プロジェクトも着々と進行中。
スペンスストリート沿いの「パーティサファイア」さん、 オーキッドプラザ2階のラーメン「横綱」さんでは 店頭や店内で壁画アートを発見。

自身のHP上でも、 「交通費さえ出してくれればどこでも参上」 とは言え、 「まさかケアンズで書くとは思わなかった。」 と嬉しい驚き。

さらに、11月7日に画集が全国一斉販売されるそう。 「外に出ない引きこもりの人は路上にも、イベントにも 来ないけど、本にすれば誰かが贈ってくれるでしょ?」

ケアンズで輝く人「パーティーサファイア」さん(上)の壁画。

 

感動的な話ありがとうございました。 とにかく自然体というのが羨ましかったです。 11月にまたケアンズに来た時には、 ぜひ一緒にイベント開催させて下さい!  Kazu

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ハンドメイド・オーダーメイド

2009年08月14日

最近、依頼を受けて創作した2つのペンダント。

オリジナルデザイン。

最小の装飾でGA(ギャラクシーアート)の部分を引き立たせた

PinkBlue Wave

GA Pendant Aug 2009

こちらは赤と黒のコンセプト

Red&Black

GA for M Aug 2009

どちらも気に入ってもらえて嬉しい。

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命をつなぐ緊急応急手当の知識を普及

2009年05月13日

緊急時の救命活動知識を普及し
“命をつなぐ”大切さを説く。

 

伊東和雄さん
マスターワークス代表

 

ケアンズで輝く人〜伊東和雄さん

Profile

伊東和雄 いとう・かずお
東京出身。1989年、ケアンズでダイブショップの立ち上げに携わった後帰国。ファーストエイドの必要性を痛感し、独学で学びながら、教材作成から講習までを一貫して行うマスターワークス社を設立。自動車産業、保育士研修、ダイビング業界などを対象に事業を展開。SUPER GTレース安全運営やF1レース観客救護運営ほか、早稲田大学スポーツ科学部の非常勤講師として教鞭をとるなど幅広く活動する。

 

 「突然目の前で誰かが倒れたら、あなたはどうしますか?

 

そんな現場に立ち会ったとき、最善を尽くすための救命スキルを1人でも多くの方に身につけてほしいんです」。 

 

ダイブインストラクターとして、"緊急時に命を守る応急手当" の大切さを身を持って知った伊東氏は、知識伝導のため全国を奔走する。

 

「今、自分がしなければならないのはこれだ!」とファーストエイド普及に向け、起業

2年ぶりのケアンズ。彼は、ダイビング業者の前で、学会で仕入れたばかりという国際蘇生連絡協議会の最新情報を講義した。

 

「心肺蘇生はしっかりと、絶え間なく圧迫し続けて、脳に酸素を送り続けることがとても大切。筋肉などと違って中枢神経である脳組織は低酸素に弱いからです。」など、生存率向上に貢献するスキルについて熱く語る。

 

2時間近いレクチャーの後、誰もが人の命の重さを痛感し、ファーストエイドは人ごとではない、という思いを持ったはずだ。

 

 

伊東氏が一寸を惜しんで普及を続ける「命をつなぐ」というテーマが示されたのは、ここケアンズだった。1989年、知人に依頼されてダイビングショップの立ち上げに携わり、自ら海に出る中で、海上では医者任せでなく、自分の命は自分で守るという認識と行動に触れたのだ。

 

ところが、契約を終えて帰国した日本は、まだ当たり前のことが当たり前に行われていない時代。
「ダイビングの指導は楽しかったけれど、自分じゃなくてもできる。今自分がしなければならないのはこれだ!」と応急手当(ファーストエイド)を普及させる事業を興す。

 

1990年当時、幼稚園や企業に営業へ行くと「間に合ってます。何かあったら連絡します」といった反応がほとんど。「命に関わることなのに、医者じゃなくていいの?」と言われたり、「一般人にやらせるな」とまで言う医師もいた。

 

「弁護士のアドバイスを得て、違法ではないという理論はあったのですが、反論はしませんでした。日本の文化そのものを変えることはできない。ならば理解してもらえない人にエネルギーを使わずに理解してくれる人を探して行こう、と思ったんです」何より自分がしていることは正しいと信じていた。

 

営業活動を続けながら、各国で行われる学会に頻繁に赴き、専門書を買いあさり、英語に苦労しつつも膨大な資金と時間を費やして、独学でファーストエイドの知識を深めていく。

 

ケアンズで輝く人〜伊東さん日本とマレーシアで行われているSUPER GTレースにおいて、安全運営を担当。写真は冨士スピードウェイにて待機のドクターヘリ。

 

 

経営に風穴を開けたのは、以前勤めていたブリヂストンの広報課長の理解だった。「当時は自動車事故で14,000人の方が亡くなっていた。データを見せて、"タイヤのシェア50%を占める御社は、この数字をどうやって償いますか?僕にモータースポーツの現場でファーストエイドの講習をさせて下さい。"と半ば脅しで懇願したんです(笑)」

 

もちろん広報課長を動かしたのは、氏の「人命を救いたい」という真摯な願いに違いない。この後、本田技研、トヨタ、ニッサン、ダンロップといった錚々たる企業がスポンサーに。17年を経た現在も、サーキットの職員に向けた講習やスポンサー企業の社員研修を続けている。

 

現在、車業界は大変な状況にあるが、ある企業から「この講習のスポンサーシップは最後まで守り抜きます」と言ってもらえたという。どれだけ重みのある活動をしてきたかを物語るコメントだ。

 

 

限られた時間の中で
自分がするべき役割を常に考えて

一刻を争う緊急の現場にあって、医療資格を持っていないことが引っかかった時期もあった。が、応急手当は、医師の手にかかるまで命をつなぐ行為。その場で最善を尽くす「命のリレー」の第一ランナーなのだ、とポジショニングしてふっきれた。

 

現在は、AED(自動体外式除細動器)用アラームケース開発、保育士研修センターやモータースポーツ業界での講習をはじめ、SUPER GTレース安全運営、F1レース観客救護運営、さらには早稲田大学スポーツ科学部で非常勤講師として教鞭をとるなど、まさに八面六臂の活躍ぶり。 

 

ケアンズで輝く人〜伊東さん自動車関連各社の支援により、2500円で参加できる一般向けて行き講習会も開催。心肺蘇生やAEDなどを実習し、修了すると認定証をもらえる。

 

 

 

 

 

「子どもの事故と応急手当」「緊急時の応急手当と事故防止」など、一般の人でも知識を得ることができる本やDVDも出している。

 

「その場、その時間でできることは限られています。社会の大きな流れの中で自分がどういう役割をすれば貢献できるのか、と考えて活動しているんです」

 

早稲田大学から話が来たときも、教職を持っていない自分が?とは思ったが、「多くの人に伝えるチャンス、遠慮していたら世の中にマイナスだ」とばかり快諾したとか。「受講者1人1人が伝道者、という気持ちですね。日本の社会を担う学生さんたちが、大切な人の命を守る役割を認識してもらえたら、その意義はとても大きいと思います」

 

 

 

 

「命をつなぐ」大切な知識を1人でも多くの人に伝えたい

起業した頃に比べて、世の中が変わってきたなと感じるという伊東氏。ファーストエイドの重要性は少しづつ、けれど確実に浸透し始めている。

 

「20年間、普及活動をしてきて思うのは、事態が魔法のように突然良くなることはありえない。センセーショナルなことを狙うより、自分の役割を知ってそれをやり続けたい、ということ。ただし1人の力で及ぶ限度は知れているので、本当の信念を伝え、共感してくれる後継者に活動を続けてもらう基盤を作ることも仕事だと思っています」

 

「危険だとわかっていても、スポーツとして、人生のメリハリとしてやってみたい、という想いを持つ活動ってあると思うんです。ケアンズでの自然の中でのアクティビティもそう。そんな時は、危険を承知して準備をすればいい。」ファーストエイドの知識は、人生の幅を広げる上でも重要なのだ。

 

「難しい、あるいは専門的なことは何もありません。誰もが身につけられることばかりです。ご自身と取り巻く全ての人々の幸せのために、ぜひ応急手当の知識を役立ててください」

 

 

ケアンズで輝く人〜伊東さんのウェブサイト伊東さんが代表を努めるマスターワークス社のウェブサイト

ファーストエイド講習のお知らせや、教材の購入も可能。

 

 


 

社会の役に立つ仕事を信念を持って続けている方からは、内なるエネルギーと泉のように沸き上がる智慧を感じます。「聖職者でも何でもないんだけど」とおっしゃいますが、伊東さんの言葉は、節々に人の命を助けたいという想いがあふれていて、知識を伝える姿はまるで聖なる教えの伝道者★ 子どもを産んでから、ファーストエイドの講習を受けようと思いつつ12年近く過ぎてしまった私も、伊東さんにお会いして本気になりました。ケアンズで普及をお手伝いする方向で進んでます。Keiko

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移民法に関する最近の変更状況

2009年05月11日

この原稿を書いている数週間前に、移民法の更なる変更が発表されました。

 
まずはデファクト関係の定義について。09年7月1日から、同性のパートナーでも認められるようになりました。

 準じて、全ての種類のビザの申請において、家族単位の定義も変更となり、同性のパートナーが配偶者の場合も、第二申請者として認められるようになります。

 

上記の変更は、学生ビザやビジネスビザにも適用されます。

(ただし、婚姻法において、同性の結婚が認められているわけではないのでご注意下さい)

 
また、457(長期滞在ビジネスビザ)についても変更が発表されたので、主立った部分を挙げてみましょう。

 

■地元の平均給与レベルと合せるために、既に457ビザを保持する人、また新しく取得する人の最低賃金(MSL)が09年7月1日より4.1%UPされます。
 
■移住者とオーストラリア居住者の賃金の公平性、低賃金労働問題を防ぐ理由から、09年9月中旬に、再度、職業ごとの最低賃金の見直しが行われる予定です。

 
■09年4月14日より、今まで長期滞在
ビジネスビザ申請者に要求されていた英語レベルが引き上げられ、IELTS 4.5から5となりました。この変更は、09年4月14日とそれ以降のシェフなどのポジションの申請者に適用されます。
 
■09年7月1日より、移民法上ハイリスクとみなされる国からのシェフなどのビザ申請に、技術テストが導入され、国が要求するレベルに見合ったスキルを持っているかが審査されるようになります。
 
■457ビザで、海外からスタッフを雇用したい企業は、今まで地元のスタッフを雇ってきたという記録や、今後雇用する意志を提示する必要があります。
 
■雇用主は、これまでも義務づけられている地元スタッフに対する職業トレーニングや研修の水準を向上させることが要求されます。

 

 
以上、様々な変更が発表されましたが、RSMS(雇用主指名永住ビザ)に影響を与える変更はなかったことを追記しておきます。

 

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之定異聞 Vol.92

2009年05月11日

首にはロープが付いていた。

日本人、それも軍人のようだ。

 

垂れ下がったままの死体を下側から見上げるように写し、大きく引き伸ばしてある。

 

ヒデエ写真だぜ、と思った。

 

パービス氏は何かの写真を私に見せたかったに違いない。

 

ところがこの死体の写真が偶然に、私の目に飛び込んで来た。

氏は眉一つ動かさず、さりげなく古びたアルバムのページを閉じた。

 

日本人の私には、見せたくない写真であることがそれでも感じられた。

 

 

ジャパニーズのカタナが出たンだけど、見たいかエ、という電話は、チャンネル10のインタビュアー、グレイム。

 

10年近く働いた木曜島の真珠会社を思い切って退職し、ケインズに下って空手道場を開いたのが34年前。

道場を軌道に乗せるのに2年以上かかった頃、あるテレビ番組に出演。その時グレイムと知り合った。

 

大東亜戦争の末期、インドネシア領バリ島の日本軍が降伏したとき、その調印式はデンパサールで行われた。

豪軍側の責任者が空軍幕憭長のパービス氏。

 

その彼が何と、ケインズのEdgeHillに住んでいた。

降伏の証しとして日本軍司令が差し出した彼の佩刀をパービス氏が保存していたのだ。

 

たまたま他の番組で彼を取材したグレイムがその刀を発見。

私に連絡してきた、という訳だ。

 

30余年前のケインズ。人口6万。

信号機わずかに2基。

ビール1カートン9ドル。

クリフトンビーチの最初の分譲地の値段、1区画2千ドル。

そんな時代だった。

 

戦後30年、日本人に対する偏見もまだ根強く残っていたものだ。

パービス氏は60代半ば。

 

私に見せるために用意していたのだろう。

厚く古びたアルバムが出してあった。

 

氏自体、日本人の死体の写真等忘れていたに違いない。

さもないとあらかじめその写真のページを隠しておいたはずだ。

 

今思うと、あの死体の写真は日本軍兵士、それも将校だ。

 

敗戦で自らの命を断ったのか、捕虜として絞首刑になったのか、今となっては判りようもない。

 

その夜、パービス氏の軍刀をジックリと調べてみた。

と言っても当時の私、日本刀に関する知識は皆無だった。

軍刀はパービス氏の好意で借用出来たのだ。

 

柄にある目釘を抜くと柄はゾロリと外れ、錆びた中心が出る。

刀工は満足のゆく作品に仕上がると、中心に自身の銘を切る。

なるほど、銘が見える。

 

サテ、なんと読むのだろう。濃州開住魚 作、と読めるけれど、意味が判らない。

ウ冠の中が之の時に切ってある文字は、定のくずしだろうか。

 

私がラッキーだったのは、私の身近に日本でもトップレベルの刀剣鑑定家がいたことだ。

私の妻の妹の亭主。

当時、刀剣と歴史、という雑誌の編集長だった。

 

そのころはファックス等という便利なものはなかった。

 

美濃の関に住む古刀期(1600年以前の作)の兼定ではないか、という義弟からの返事が届いたのは、しばらくたってからである。

なる程、濃州は美濃の略。

開と見たのは、関。

 

兼の字を極端にくずすと、魚という字に近くなる。

ウ冠の中を之の字に切るのは、兼定二代目の特徴で、俗に、之定、として知られる名刀だと言う。

 

だからこそ偽物も多いがネ、と付け加えてあった。

新選組の土方歳三が探し求めた刀が、この之定である。

 

確かに現存する彼の佩刀は兼定だが、これは四代目兼定が仙台に移住して鍛刀し、君主から和泉守兼定という刀工名を拝領した後の一振り。

歳三はそのことを知っていたのだろうか。

 

次にまた義弟からの便り。

コリャ魂消た。

 

義弟が厚生省の知人に無理を言って調べてもらい、日本軍降伏時のバリ島司令官の名前が判明。

 

その司令官が何と、大阪で小児科の開業医として存命だった。

 

そこまで判明したらする事は一つ。

 

パービス氏に事情を説明し、その刀を譲り受けて持ち主に返してやろう、と思った。

氏の返事は簡潔明瞭だった。

 

日本人には売らぬ。

 

その言葉、私の魂にまでカチンと響いた。

ヨシ、ソンなら豪州中にある日本刀を集めてヤる、と思った。

 

豪州にある日本刀は大半が大東亜戦争の戦場からの戦利品。

他は戦後日本へ進駐した者達がミヤゲとして持ち帰った物だ。

 

日本刀は日本の歴史に密着して千年。

日本が世界に誇る事が出来る最古の歴史的文化遺産だ。

 

専門的には関ヶ原の戦いの1600年以前の作を古刀、幕末への序章となる文化文政期の1804年までを新刀、1868年の明治維新までが新々刀、明治以降現在までを現代刀、と分類する。

 

道場の門弟達に依頼する、古物屋、アンティーク店を探す。新聞に広告を出す。

それだけでも何とか薄皮をはぐように、ポロリ、ポロリと戦場の臭いがするような刀が出てくる。

 

一振りごとに日本の義弟に詳細を送り、鑑定を依頼した。

 

日本刀の知識が皆無の私でも、少しずつ塵が積もるように刀を見る目が肥えてきた。

と同時に私の日本歴史に対する理解度の貧しさも身につまされてきた。

特に現代史、大東亜戦争は当時からわずか30余年前の出来事なのに、学校では臭い物に蓋式の教育で、日本は侵略国家であるという自虐史観でウヤムヤにされただけだった。

刀はニューギニア、ラバウル、ソロモン、ブーゲンビル、ボルネオ等々様々な戦場から集められていた。

その戦史も知らねばならなかった。

 

日本史と大東亜戦史は、刀という文化遺産を理解する上での必須条件になった。

そして当然の結果、戦前までの日本の歴史と価値観が180度変えられた、戦後の東京裁判に付き当たる。

 

 

判かり易く言えば、喧嘩両成敗が徳川幕府の条理であったように、国を上げての戦争には、その国なりの言い分がある。

 

それでもお互いに殺し合いをやっているのだ。

米軍も豪州軍も十分に戦争犯罪として裁かれるべき残虐な行為を日本軍に又日本一般市民に行っている。

 

それらも何も一切を引っくるめて日本が悪かったからだ、と判決を定め、日本を侵略国家と決めつけて戦勝国の汚点をも日本に背負わせたのが東京裁判だった。

 

加えてこの裁判は国際機関が承認した正式の裁判ではなかった。

勝てば官軍なのだ。

 

日清日露戦争から大東亜戦争までの現代史を正確にひもとくと、誰もが現在の左翼主義歴史教育と全く反対の、この結論に辿り着く。

 

私にとって全く当たり前の常識的論理だと思った自衛隊田母神幕憭長の論文。

そんな文に日本は大騒ぎ。

 

おまけに政府は田母神氏を罷免し、彼の年金さえも取り上げた、と聞いた。

アホか、と言うより暗澹たる気持になる。

 

東京裁判の一方的判決をソックリそのまま受け継いだ日本の左翼教育。

国家破壊教育論者のように私には見える。

 

又アンザックDAYがやってきた。政府の人気取りタダ金に慣れすぎて、全く本気で働こうとしない人間の多い豪州。

 

労働党とユニオン、グリーニーの癒着は、中小企業経営者に様々な難問を提起しないかと心配である。

 

そんな豪州でも第一次大戦中に豪州が出兵したトルコのガリポリの慰霊祭に集った豪州人、なんと7500人。

豪州各地では国のために死んだ兵士達の慰霊行事が盛んに行われている。

 

自国を侵略国と決めつけ、国のために死んだ若者たちを顧みようともしない私の母国日本。

この日は唯一、豪州という国がうらやましい。

 

 

パービス夫人から之定を譲るという連絡があったのは10年程も前。

最初にこの刀を見てから20年の歳月が流れていた。

 

早速連絡を付け、刀を再び見せてもらったら、なんと一目で偽銘の之定と鑑定出来た。

 

私の目も良くなっていた訳だ。その事実を正直に夫人に説明し、それでもかなりの金額を申し出たが、夫人からの連絡は戻ってこなかった。

 

もしかしたら夫人は、私が値段を落とすために偽銘の話をした、と取ったのではないか。

この偽銘之定は私の心にしこりを残す一振りになった。

 

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経済危機が移民政策に及ぼす影響

2009年03月10日

昨今の経済危機がオーストラリアの移民政策にも影響を及ぼすことは避けられないと言えます。

 
現在の政府発足後すぐの予算案で08/09年度の移民関連ビザの割当が20%増加しました。

 

オーストラリアの移民の数は近年で最高を記録し、今年は190,300人の受入れを目標としています。(この数字は第二次大戦後の記録1969~70年の185,099人を上回ります)

しかし、過去8年に渡って増加を続けた移民数も、今年5月12日の予算会議で、目標人数が減らされるだろうとの見解が出ています。

現在オーストラリアの人口2100万人のうち4人に1人は海外生まれと言われ、政府は、大学卒や特にヨーロッパ、イギリス、インドと関係のある技術者の受入れを積極的に行ってきました。

 
オーストラリア政府の移民受入れは1997年より毎年増え、2001~02年に一時2万人減ったものの、戦後から数えると、実に700万人の人々がこの国に移住してきたのです。

 
特に中国の需要に追い付くため、鉱業における労働力不足をこの10年ほど移民で補い、農業でも太平洋の島民たちを果物の収穫をする季節労働者として雇ってきました。

 
しかしながら、オーストラリアの輸出先国の景気後退に伴い、国内の失業者数が2010年の中頃には現在の4.8%から7%まで増えるとの予想があり、政府が移民の数を増やすことは考えにくい状況です。

 
実際、エバンス移民・市民権大臣は、記者会見で、昨今の経済状況を反映し、来年度は移民数を減らすことを示唆しています。

ただし、健康、看護など未だ需要が高い分野、また高い技術を持つ移民の受け入れは引き続き行って行く意向を示しています。

 
将来移住したいと考えている人は、フルーツピッキングなどを3ヶ月間行って、ワーキングホリデービザを延長し、ビザが切れるまでにスポンサーを探したり、需要が高い技術を身につけるために2年間のディプロマコースを受講して、コース修了時に永住権の申請するといった選択肢を検討する時期にあると言えます。

 
そして大方の予想通り景気が回復し、国が多くの移民を必要する状況が再び来る時に備えてはいかがでしょう。

 

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政府の景気刺激策

2009年03月10日

09年2月3日、ラッド首相は、追加景気刺激策として向こう4年間で420億ドルの追加予算を拠出する計画を明らかにしました。

昨年10月に、104億ドルが高齢者や貧困層、ファーストホームバイヤーを支援するために投じられ、その多くがクリスマス前の現金支給に充てられたのは記憶に新しいところです。

 
一方、今回の案には学校、住宅、インフラ整備に288億ドル、中小企業向け減税、低中所得層、農民、学生への127億ドルの現金支給などが盛り込まれています。

 
その一部を、現在発表されていてわかる範囲でご紹介しましょう。

 
■ 条件に合う個人に$900の給付金
■ 中小企業の投資手当の増加
■ オーストラリアにある各学校の設備アップグレード
■ 福祉的ホームの建設
■ 家屋の屋根に取付ける絶縁材の無料支給
■ ローカルコミュニティや道路工事などへの援助金
■ 働くオーストラリア人への給付金

 
今年4月より支給が開始されるこの給付を受けるには、6月30日までに08年度のタックスリターンを終える必要があります。

給付を受けられるのは、オーストラリアに居住し、08年度の収入が10万ドル以下だった人で、給付金の額は以下の通りとなります。

 
・  収入が8万ドル未満の人:$900
・  8万ドル以上~9万ドル未満の人:$600
・  9万ドル以上~10万ドル未満の人:$250

 
尚、08年にtax-free thresholdを適用した人や、収入が0だった人、利子、株の配当などによる収入は受給の対象になりません。

 
■ シングルインカム・ボーナス
家族優遇税制パートB受給資格のある単一収入世帯は、センターリンクを通して、3月11日より2週間に渡って給付金が支給されます。

 
■ 就学ボーナス
2月3日の段階で家族優遇税制パートA受給資格のある4~18歳の子どもがいる世帯は、Back to Schoolと呼ばれるボーナスをもらえます。

(このボーナスは、50%の教育用の税金還付とは別個に支給されるものです)

 
■ 研修・学習用ボーナス
2009年度の教育学年度に適用されるもので、該当者には$900が支給されます。

  

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デング熱 Vol.04

2009年03月10日

ケアンズでのデング熱発症件数は2009年2月12日現在で335人と猛威が衰えるところを知りません。

 

また、テレビやラジオなどのメディアやパンフレットなどを通じて、デング熱に対する警笛を鳴らしているにもかかわらず、デング熱で苦しむ患者は後を経ちません。日常のほんの少しの注意、予防を心がけるだけでこの病は克服できます。

 

 
【デング熱についての基本知識】
デング熱は、デングウイルスを保有した小型のヤブ蚊(ネッタイシマカ、ヒトスジシマカ)に刺されることにより感染するウイルス性の疾患です。
デング熱を媒介するネッタイシマカは、熱帯の都市環境に良く適応していて、ヒトの生活圏、例えば家屋内外の小さな水たまり(空き缶、鉢植えの受け皿、植物の切り株、古タイヤなど)で繁殖します。

 
このネッタイシマカは昼間吸血性で、日の出後と日没前の数時間に最も活発になりますが、日陰や室内、曇天では一日中活動します。

特に家の中の暗い場所(ソファー、椅子、テーブル、ベッドの下、カーテンの中、食器棚など)に隠れています。

 
デングウイルスは蚊→ヒト→蚊の感染サイクルで維持され、ヒトからヒトへの直接感染はありません。

 

デングウイルスは、血清学的に4つの型があります。例えば2型に感染した場合、2型に対しては終生免疫がありますが、4つの型があるため、理論的には4回感染するわけです。

 

 
【症状】
デングウイルス保有の蚊に刺されて(感染)から発症するまでの期間(潜伏期)は、普通4~7日です。

症状は、急激な発熱(38~40度)で始まり、頭痛、関節痛、筋肉痛、眼窩痛、倦怠感を伴います。

 

発熱は4~8日間継続し、痒みを伴ったハシカ様の発疹が、熱の下がる頃に胸部や四肢に広がることがあります。

 

また、食欲不振、全身倦怠感は1~2週間続き、血小板が減少した例では、鼻出血、歯肉からの出血、生理出血の過多を見ることもあります。

通常、これらのデング熱の症状は1~2週で軽快し、後遺症を伴うことは殆どありません。

 

 
【診断】
急性の熱性疾患で、頭痛、筋肉痛、関節痛、眼窩痛、発疹、出血傾向などデング熱を疑わせる症状があって、この期間に血中のデングウイルスIgM抗体は、発症の4~5日目頃から陽性となり、この時点でデング熱の診断が得られます。

そして、デングウイルス抗体(IgM、IgG)やデングウイルスの分離などの検出があれば、デング熱の診断は確実となります。

 

症状が似ていてデング熱と鑑別を必要とする疾患には、発疹を伴うウイルス性疾患(麻疹、風疹)、腸チフス、マラリア、インフルエンザ、髄膜炎、A型肝炎などがあります。症状のみでは、デング熱の診断はできません。

 

症状が疑わしい場合は必ず医師の診察を受けて下さい。

 

 
【治療】
デング熱に対する特効薬はありません。

 

治療は症状に応じた対症療法が基本で、脱水予防に経口による水分補給や点滴補液療法が重要となります。

解熱剤には、パラセタモール(アセトアミノフェン)を用いるのが一般的で、アスピリンは出血傾向を増強する恐れがあるので禁忌です。

 

また、デング熱はウイルス性疾患のため、抗生剤は全くの効果はありません。

 

 
【デング出血熱:DHF】
デングウイルスの感染でありながら、デング熱とは異なった重篤な病態を呈するものにデング出血熱があります。

このデング出血熱は、抵抗力の弱い小児(3~7歳)や老人に多く発症する傾向があります。

 

いくら体力に自信がある成人でも、症状はかなりつらいです。
発熱の2~7日後に不安・興奮状態となり、胸水や腹水の貯留が高い頻度で見られ、肝臓の腫大も伴います。

 

血小板数の著しい減少と血液凝固時間の延長により、全身の出血傾向(皮下出血、鼻血、吐血、下血、血尿)が見られ、重症例では血圧が低下しショック症状に陥るもので、通常のデング熱とは全く異なった経過をたどります。

 

デング出血熱の患者に対する治療は点滴補液が主体ですが、血小板減少の程度により血小板輸血が必要となります。

適切な治療がなければ、死亡率は15%程度に上ります。

 

しかし、治療が遅れた場合には40~50%にまで上がるといわれています。
同じデングウイルスの感染でありながら、デング熱とは異なった病態のデング出血熱は、初回感染より2度目以降の感染に多い傾向があります。

 

このデング出血熱が、どのようなメカニズムで発症するかは諸説あり、今のところ不明です。

 

 
【予防について】
現在、デング熱予防ワクチンはすでに開発中ですが、実用化はされていませんし、マラリアのような予防薬もありません。

 

ネッタイシマカはヒトの生活圏で繁殖しますので、蚊の繁殖する環境を徹底的に排除すること(家屋内外の小さな水たまりの処理)が最も重要と思われます。

 

また、蚊に刺されないよう外出時には虫除けスプレーを用いたり、厚手の服の着用(長袖、長ズボン)である程度は予防できます。

 

上記にも挙げたように、家の中の暗い場所に殺虫剤をまいたり、 蚊取り線香を使う等の蚊に刺されないような注意が大切です。

 

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人間も自然の一部なり人間も自然の一部なりVol.91

2009年03月10日

力まかせにむしり取ったような傷口から、青白い腸が垂れ下がり、亀の動きと共に、ブヨブヨと揺れた。

大きな海亀だった。

 

私の体重の3倍もありそうだ。

 

特大の団扇よりも大きい後鱗は、甲羅と一緒に噛み裂かれ、赤黒く変色した血肉に、団子のようになった砂がこびり付いていた。

私がスッポリと入る青黒い甲羅にも、鋭いのみで引っ掻いたような跡が何本も見える。

 

 

惨劇の主が残した歯跡だった。
ケープヨーク半島突端、豪州北端の町、木曜島。そこから船で5時間。

 

PNGとの中間点に、トーレス海峡で2番目に大きな島、モアがある。

 

セントポール、クビンの針で突いたような島民の村落を除いて、無人。

その島の一画に、私が働いていた南洋真珠養殖木曜島工場の分場が設置されていた。

 
分場前の海峡を隔てて、島民の村落のあるバドー島がある。

養殖場の労働力は彼等島民で、毎朝小舟でやって来た。

 

養殖場は彼等にとって唯一の現金収入の道で、我々日本人は彼等に一目置かれていた。

 
その朝、いつも早目にやって来る彼等の様子が、何やらおかしい。

いやに騒々しい。彼等は前日に海亀を捕獲していた。

 

ジュゴンと並び、彼等の大切な蛋白源だ。

 

多分、その亀をカプマウリ(石焼料理)にでもする相談をしているのだろう、と思っていた。
前夜は潮が高かった。波打ち際から作業場まで、わずかに10メートル。

 

その間の砂の上に、何か重く長い物をこねるように引きずったおぞましい跡が、クッキリと残されていた。

「コリャ3メートル以上、あるべ」島民がつぶやいた。

 

海亀をアタックした惨劇の主。

ワニだ。

 
日本人宿舎の私の使用していた部屋から現場までは、目と鼻の先。

私がもし目を覚ましていたら、ワニが甲羅を噛み砕く音が、聞こえたに違いない。
自然の中で距離をおいてワニを見物するのは楽しいものだ。

 

しかし人間様の住居にまで侵入して来るようになったら、コリャ少々ヤバイ。

 

私はサメとワニの危険度を3メートル、と考えている。小さい個体なら一緒に遊んでもやろうが、これを超すあたりから、私はいい餌になってしまう。

 

ヨシ、こ奴を掴まえて、尻の1つもぶっ叩いてやれ、と思った。

 
宿舎の両側は延々と続くマングローブ沿いの泥地である。よくワニが甲羅干しをする。
ワニは遠くから見ると、白っぽい流木に見えた。その頃、かなりの大きさのワニが、宿舎の近辺に上っていた。ア奴に違いない。

 
陸上から近寄るのは、マングローブの森に遮られ、不可能に近い。舟を使うと近付く前に逃げられる。

それならば、50メートル程手前まで微速前進。そこからエンジンを全開。

 

一挙に近付き、舳先から射つ。
鎧で被われたようなワニの頭部。無表情なくぼんだ目。そのすぐ後部。

豆腐のように軟らかい箇所が一カ所だけある。

そこを狙う。

ゴルゴ13じゃあるまいし、万が一にも命中する事はない、と判っていながらも、一度だけ試みた。

 

ライフルはセミオート。小口径ながら10連発。
スコープの中にワニの頭部が見えた。50メートル。

エンジンを吹かせ!!銃を構えたまま、叫んだ。

 

エンジン音が鳴った。

体がグンと反った。

ワニが動いた。

 

射った。

 

ワニの近くに着弾の泥が散っているのが見える。ワニは優雅に滑る。

スポンと水中に入ったら、鼻だけ又、スッと浮いた。

 

近くだった。

鼻を射った。すぐ横にボゴッと水が湧いたら、ワニはユックリと姿を消した。

 

全弾を射った。

手応え、なし。

ワニは翌日、場所を変えて甲羅を干していた。

 
「釣ったらよかんべ」 島民が言う。

 

サメ釣り用の大きな鉤を使用し、海面に突き出す上部なマングローブの枝から餌を垂らすだけだべ、と事も無げだ。どうやらその餌の高さがポイントになるようだ。

 
「餌、水の中つかる、良くないべ、水面からチョット高いとこ、吊るヨ。

 

ワニ、カイカイ(食べること)にくる。

ジャンプするヨ。そんでパタイ(死ぬるという表現)ヨ」餌は、と聞くと、「腐った肉がいいべヨ」。

ワニは用心深い。

 

そんなに簡単に釣れる訳はないべ、と思ったが、とにかく腐った肉の餌が手に入るまで待った。
その日が、来た。夜の満潮時の潮の高さを調べた。マングローブの木を選んだ。

 

大きなサメ鉤の道系に10番線を使用し、それにロープを結びつけた。

 

いかにも原始的な道具を木の枝から垂らした。
その翌日。夜明けを待って見に行った。ところが…掛かっていた!!潮が下がって、半ば宙吊りになっていたけれど、掛かっていた。

 

まだピンピンと生きていた。

 

それにしてもワニは2メートル程の小ワニで、私が狙ったあの大きなワニではなかった。
小ワニでもアタックする。食い付かれるとただではすまぬ。

釣り上げるのに夢中で、釣れた後の事を考えていなかった。

 

鉤を外すのが何とも大変だった。

 

ワニ釣りはそれで懲りた。
この後しばらくして、ワニは保護動物として捕獲禁止になった。

 

豪州の自然保護政策はこの時点から、徐々にエスカレートする事になる。

40年前の事だ。

 
「私しゃ、怖かったヨ」マーリーンが肩をゾクゾクと震わせながら、私に言ったものだ。

 

彼女の家はケインズから南に100キロ、イニスフェイルの郊外にある。今年は雨がひどかった。あちこちが洪水になった。
その夜彼女の地域は、チョットした洪水騒ぎになった。

仕事から戻ると一面の水。

 

車を高台に残し、かなりの距離を太股まで暗い水の中に入り、歩かねばならなかった。
家の近所にクリークがある。そのクリークも水の下になっているはずだ。

 

クリークは海の入江に開いている。

入江には…ワニがいる。

もしそのワニの一部がクリークに棲み付いていたら…。

 

暗闇の中、そこに考えが及んだ時、「胸がドキドキして、動けなくなりましたヨ」

 
私も何度か、ワニがいると判っている水中に入る羽目になった事がある。

 

いつ足をやられるかと、本当に怖かった。
ワニが保護されて40年。

ワニは静かにあらゆる海浜、クリーク、河川へとその棲息分布を広げている。

 

小さい内はいい。

それらが全部3メートル以上になる時を考えると、空恐ろしい思いがする。

 

事故はこれから増える。
捕鯨問題が又、表面化している。

 

日本側は何等法律、条約的に違反を犯してはいない。

日本政府の腰の弱さはもう誰もが認めている事実だけれど、操業中の日本船に汚物を投げ入れ、不法侵入した輩が英雄視される豪州側の感情丸出しの反対論。

 
こんな時だからこそ日本の捕鯨文化史を踏まえて、毅然とした態度に出れないのか。

今の世の中、こんな事を言う人間の方がバカなのだそうだが、言いたい事が言えなければ、年を取ってまでこの世に生き残るスジが通らない。
 

 

日本での夏休みの宿題の昆虫採集。

学校はガキの頃から自然破壊を教えるのか、と講義した団体があったそうだ。

 

人間と自然との関係、人間の倫理というものが、まったく判っていないズレ人間だ。

 
何が何でも動物を殺すな、という事が本当の自然保護ではない。世の中平和になりすぎて、人間が少々ズレた感覚で妙に優しくなり、何事にも神経過敏になりつつある。

 
保護とは自然界とのバランスを考慮し、動物のみならず人間への思いやりも含めて、成立するものだ。

 

人間も自然の一部という事を、人間自身がしっかり認識しなくてはならぬ。

 

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フィールドノートVol.06

2009年03月10日

最初にちょっと宣伝を。

海外で暮らす興味深い日本人の仕事や日々、実家を紹介する読売テレビ制作の番組、「ぐっと!地球便」にこの度出演する事に。
 

「大変珍しい職業ですので」

との事。

 

まぁ、確かに、多くはないと思う。
「司会はお笑い芸人のぐっさんです!」

 
ええと、私はテレビを見る習慣が昔からあまり無い、というか今ではテレビを持ってさえいないので知らなかったけど…。

 
ケアンズでの撮影は5日間。

 

実家側は2日だったけど10名以上の撮影隊が来て母が目を回しアパートの床が抜けそうになったらしい。

 

この原稿を書いている時点では、放送内容は私も知らないので「見て下さいね」と書くのもなかなかスリルがある(意見や発言を書き換えられる事が多い)。

 

日常生活とかは、正直全てカットされている事を望む。

家賃が月に一万五千円だかの実家アパートの映像なども全てケアンズの美しい風景カットに置き換えられている事を強く望む。

 

 
各地の日本テレビ系列で主に3月の日曜日に30分番組として放送されるみたいです。

残念ながら関西地区と中部地区はリビングインケアンズ今号が出る前にそれぞれ2月15日と2月22日に放送が終了しているけど、まだ視聴可能なかたは宜しく。
 

 
さて、2月は洪水に悩まされつつもクィーンズランド州を縦断するバードウォッチング片道2100キロを車中泊を続けながら駆け抜けて来た。

このルートを車でやるのは9年ぶり。

 

3月はシドニーへ。

「シドニーに行く」といったら何人もの人から「似合わない」「まさかあなたに限って!」「何しに?」という反応が返って来た。

やはりそういったイメージなんだ。

 

たまには買い物旅行くらいしますよ、ではなくて年に2回だけ、シドニー郊外から出航する2泊3日の海鳥観察クルーズに参加するのです。

 

乗客は1日中デッキに立って双眼鏡で海鳥を探すという日々を3日間やる。

学名、亜種レベルの分類の会話が乗客の間で飛び交うと言う素敵なクルーズ。

 

向こうはバリアリーフも無いし、この時期の外洋は時化るらしい。

乗り物酔いは未だ体験した事が無い私けど今回はどうなる事か。

 

このように、どうしても雨期の間はケアンズ以外での活動が多くなる。

 

ああ、雨期のケアンズバードウォッチングはやはりダメなのか、という事ではなく、雨期以外ではケアンズのような素晴らしい土地から離れがたい、という面が大きい。

 

 
他の土地を知れば知る程、日常生活の範囲内で結構本気のバードウォッチングが出来るケアンズは改めてすごい所だなぁと感じる。

 

買い物で町に出たついでにちょっと、とか潮が良さそうだから仕事の後に寄って見てくるわ、みたいな。

 

車で出かけるにしても渋滞も無いし、駐車場所も心配無用。

観察できる種類が多いのはもちろんだけど、とにかく身近にいる。やっぱりケアンズが一番、と帰って来てからよく思う。

 

ケアンズ周辺ではバードウォッチングに関係して生計を立てている人(鳥ガイド、鳥見宿、調査研究者、鳥クルーズ、鳥ライター、鳥写真家/録音家など)って特別珍しい存在ではない。
 
日本からケアンズへのアクセスが一時に比べれば不便になってしまったけど、バードウォッチングをはじめとして他のどの土地でもなくケアンズではなければできない体験をしたい人は、不便になろうと費用が高くなろうとケアンズまで来る。今はその事をしっかり掘り下げる時期だ。

 

幸い、この土地は固有のものを沢山持っている。

 

それをどう、魂を込めてアピールできるかはケアンズにいる個人、企業、団体の目的意識の有無にかかっている。

 

何もしないなら何も変わらないし、このままならこのままです。
私は、私に出来る活動をしていきます

 

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スキルド・マイグレーション

2009年01月10日

高い技術を持ち、オーストラリアの経済にすぐに貢献できる人を誘致することを目的とするスキルマイグレーション・プログラムにおいて、08-09年度の最大ビザ発給数を133,500件へと大幅に増加することが決まりました。

 

しかしながら、この予算案可決後に国際金融危機が起こり、オーストラリアの経済状況に大きな変化がもたらされたのは周知の事実です。

 
景気回復を考慮して、移民大臣はオーストラリア経済に必要な人材を確保する、いくつかの指針を発表しました。
まず、優れた人材を確保したい企業のスポンサー手続きや、ビジネススキルビザ発行への優先的手続き制度。

 
優先手続きは、以下の条件に該当する場合に受けられます。

1) 需要があり、継続経営している雇用主の元での雇用主指名ビザ(RSMS:地方版・雇用主指名ビザを含む)。

条件に適した申請者は、すぐに技術職に就くことが許され、オーストラリア経済への貢献が期待されます。

 
2)州政府によって優先度の高い職業リストに入っている職務スキルを持つ、技術 州スポンサービザ申請者

 
3)需要が高い技術としてリストアップされている職務スキルを持ち、該当ポイントを獲得している技術独立ビザ申請者

 
更に、CSL of occupationsと言う新たな制度が導入されました。

CSL = Critical Skills Listとは、現在オーストラリア国内で特に必要とされている業種のリストで、大工、電気技師、溶接工、メタル捏造者、タイル職人、自動車メカニック、医師、看護婦、歯科医、会計士、コンピュータースペシャリストなど様々な職種が挙げられています。

 
リストの詳細は、
www.immi.gov.au/skilled/general-skilled-migration/pdf/critical-skills-list.pdf
で見ることができます。

 
ケアンズなど地方で必要とされる業種は、シェフ、美容師など更に広がり、常にアップデートされています。

(詳細:www.workliveplay.qld.gov.au/dsdweb/v4/apps/web/content.cfm?id=3710
上記の新制度は、09年1月1日より施行されます。

 

今は、企業や州などのスポンサーがいて、人材不足に悩む業種での技術を持つ人の永住権獲得のチャンスが高い時期と言えるでしょう。

 

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耳の圧力障害Vol.03

2009年01月10日

毎日、毎日暑い日が続き、海に行く機会も増え、世界遺産のグレートバリアリーフで体験ダイビングにチャレンジしたいと考えている方も多いと思います。

ダイビングの途中で耳抜きが上手くいかなかったり、素潜りで海に深く潜ったりした際に耳に痛みを感じたことはありませんか?

または“潜る”に限らず、飛行機が離着陸する際に耳に痛みを感じた経験の有る方も少なくないと思います。

 

痛みをこらえて無理をして潜ったり、浮上すると、痛みだけではなく、耳からの出血や耳の中に水が入った感じがしたり、周りの音が聞こえにくいことがあります。こういった症状は耳の圧力障害(Ear Barotrauma)と呼ばれています

 

 
【症状】
・耳の痛み / 耳からの出血 ・ダイビング後・飛行機から降りた後、耳に水が入っているような感じがする・耳が聞こえにくい、こもった感じがする ・周りの音が響いたように聞こえる   

 
【どうして耳抜きが必要なの?】
正常な状態では、内耳と鼻の奥を結ぶ耳管によって、鼻から入ってくる外界の空気が自動的に内耳に送られ、鼓膜の内側と外側との空気圧が等しくなるように保たれています。

ですが、飛行機の離着陸時や潜水、ダイビングなどで外界の気圧が急に変化した場合には故意的に耳管に空気を送り、内耳の内圧が外界と等しくなるように調節をする必要があります。

これが耳抜きです。

そうする事により、痛みや違和感を緩和することができるのです。

 
【どうして耳の圧力障害になるの?】
外界の気圧が急に変化した場合に、上手く耳抜きが出来なかったり、風邪やアレルギー症状により耳管が部分的に又は完全に塞がってしまうと、内耳への空気の出入りが出来なくなってしまいます。

その結果、外界の気圧によって鼓膜が内側に押し込まれ、その周りが炎症を起こします。

ひどい場合には鼓膜に穴が開き(破れる)出血したり、鼓膜が傷ついたことにより、鼓膜の内側にリンパ液が浸出して溜まることがあります。

耳に水が入った、こもったような感覚があるのはこのためなのです。

決して、外部から入った水が耳に溜まっているのではないのです。

 
【治療法】
空気圧の急激な変化によって耳づまりや痛みを感じたときには、空気圧の差を解消して不快感を取り除く方法がいくつかあります。
・あごをよく動かす  ・ガムを噛む  ・つばを飲み込む・頭を高くして寝る
更に、損傷の度合いによっては点耳薬や飲み薬等、医師からの処方薬が必要です。

 
【予防法】
特にスキューバダイビングに行かれる方は以下の事を守りましょう。
・風邪をひいている時には耳抜きが困難なため、ダイビングをしない。

(ダイビングメディカル上では基本的に風邪をひいているとダイビングはできません) 

 

・潜行中に耳に痛み、違和感を感じたらゆっくり時間をかけて潜るか、無理をせずダイビングをあきらめる。
飛行機で旅行をする前に、風邪ぎみの人や鼻アレルギーの人は、予め医師の診察を受け、お薬を処方してもらい、鼻の通りを良くしておきましょう。

 

耳の圧力障害にかかると、程度によっては治療に5日から2週間程かかることがあり、完治するまではスキューバダイビングやスカイダイビングなどの気圧の掛かるスポーツや、飛行機で旅行をすることを制限されることもあります。

 

また、耳の中が炎症を起こしている時はバクテリアが侵入しやすく、外耳炎や中耳炎などの二次感染を起こす可能性が高くなります。

耳の痛みが悪化したり、耳垂れが出るなどの症状があれば、再度医師の診察を受けましょう。

 

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ケインズのお父さんVol.90

2009年01月10日

ウワー、ハンサム!! 私の道場に新しく入門した青年を見た当時の日本人女性群。

手を打ち頬を染めて、囁き合ったものだ。

 

年の頃、24、5か。
3ヶ月程ケインズに滞在するので、その間稽古を見てもらいたい、という日本人青年。

 

スラリとした体付き。

私への受け答えも礼儀正しく、爽やかな印象を受けたが、と同時に、線のやや細い、繊細な感じの性格のようにも思えた。

 
稽古は熱心だった。

 

初心者という触れ込みだったが、動きの中に癖がある。

空手には様々な流派があるが、大きく分けて、伝統的空手とそれから派生したコンタクト系のニューウェーブ的空手になる。

 

伝統空手も流派により癖は異なるが、その動きではない。

コンタクト系の何かを噛ったナ、と思ったが、黙っていた。

 

どちらにしろ全くの素人より指導しやすい。

体の動きのスジは良かった。

 

あの時からもう7、8年経ったろうか。

 
その青年、別に働いている様子でもなかった。

「何をしにこの町にやって来たンだエ」ある時、聞いてみた。

 

答が振るっていた。

日本では出来ない色々の経験をして、人間性の幅を広げたい…とか。

 

この年代の若者らしからぬ答だと思った。
「日本で何をしていたンだエ」と聞くと、「俳優です」
そして彼が出演した映画の題名を何本か、サラサラと述べた。

 

日本の現状にあまり縁のない私には、まったく馴染みのないタイトルばかりだったが、何本かの主演作もあるそうだ。

出演しました、と言うところ、出させて頂きました、と言うあたり、青年の性格の一端が読み取れた。

 

空手の稽古は、映画のアクションシーンに使える体の動きを勉強する為、らしい。
私はこの年になるまで、その時代の社会の動きとか話題、流行等にまったく無頓着な人生を送ってきた。

 

興味がないのだ。
朝稽古は10時からだから、朝はユックリと起床する。午後は5時から稽古。それまでは私の自由時間。

 

こんな生活を33年間、続けてきた。
時間が止まっているかのように静かでノンビリしていたケインズの町。

 

ある日突然、日本人が大挙して押しかけ、開発業者が入って土地の値上がりが始まった。

 

コンピューターが必要不可欠な文明として定着し、携帯電話なるものが当たり前のように普及し、今頃は持っていない人間の方が珍しくなった。

 
生活は派手に何とも便利になってきたけれど、その反面、人々は止まっていたかのようにゆるやかに流れていたケインズの時間を見失うようになった。時間や機械は人間が創ったものなのに、知らぬ間に、人々は人間の創った物に支配される生活になってきた。

 
贅沢になった物質への憧れは、人々の出費を促し、以前のように亭主だけの収入では食えなくなり、共稼ぎが増えた。

 

生活のリズムが変わってくると、それは人々の精神面へのストレスとして蓄積されてくる。

 

これに拍車をかけるのが、必要以上の人権への主張と保護政策。権利を与えるという事は、その背後にしっかりした責任観念、義務感があってこそ、生きてくる。

その観念なくしてのママゴトのような権利の主張は、無責任なモラルの低下を助長するだけだ。

 
こんな時代の推移の中にあって、私は相変わらず33年間培った私の時間の観念の中で生きている。

 

ただ年をとるにつれ、忙しくなってきた。

自分の仕事ではない。

全部、他人の頼み事の為だ。

 
コンピューターは、私の頭には複雑過ぎる。

 

メイルの受け渡しと、MYOBのアカウントにしか使用出来ない。

 

日本語のメイルはまだうまく送れないが、別に不自由していないので、下手な英文で用は済む。
携帯は費用を毎月支払っているものの、使ったことがまずない。

持つのは面倒臭いし、オフィスにいるのならともかく、他所で何かをしている時に、他人の声に邪魔されるのは嫌だ。

 

それを便利と考えるかどうかは、時間というものに対する価値観の相違だが、マアー私のヘソはかなり曲がっているのかも知れない。
青年は3ヶ月後、後髪を引かれるように、私の道場を去った。

 

彼から、良い仕事をもらった、と喜びのメイルが入ったのは、それからしばらく経ってからの事だ。

 

トム・クルーズ(私は知らなかった)の THE LAST SAMURAI という映画の、日本人武士団の1人として採用された、と言う。

ロケはNZ。

ロケ地からロケの様子や彼の甲冑姿の写真等を送って来た。

 

良かったナア、と私も我が事のように喜んでいたのも束の間。

彼はロケ地で風土病にかかり、ひどい下痢と微熱が続いてロケにも出れず、日本に送還されたそうだ。

この時から、彼の連絡が途絶えた。

 

 
その時、古いビデオを見ていた。

数年前になる。

私の家には沢山のビデオがある。

一度見たものは処分してしまうけれど、特に面白かった分は保存し、忘れかけた頃に取り出して何回も見る。

 
「コリャ、いつ頃のビデオだエ」妻が時々聞く。

2000年以降の物だと知ると、「ソリャまだ新しいネ」 まアこんな感覚だ。

我が家では、古い新しいはまったく関係がない。

 

2、30年前の物は、ザラにある。

 

その時は、藤田まことの、はぐれ刑事、を見ていた。

このドラマ、日本のホームドラマに共通する生ぬるい愛情主義に流れ過ぎる時もあるけれど、藤田まことの人間臭い持ち味が気に入っている。その時突然、あの青年が飛び出してきた。

 

ラーメン屋の青年を演じて、藤田まこととからみあう。なる程、こんな仕事をしていたのか、とその時思った。
私はこのまったく偶然の巡り会いを、連載している豪州の日本語新聞に書いた。

 

ところがその青年からメイルが入った。

私の事を書いてくれて有り難う。

アルバイトをしながら、演技の勉強をしている、とあった。

 

何処で新聞を読んだのだろう。空手を続けたかったが道場が遠く、近所にあった合気道の道場に入門したそうだ。
「松本道場の稽古着をまだ使っています」道衣姿の写真が添付してあった。

 

嬉しくてすぐに返事を送ると、打てば響くように返事が来た。

そしてなぜか、それが青年からの最後の便りになった。

 

 
もうクリスマスか、と思った。

今年は何やらバタバタし通しで、アッという間に年末がやって来た。

 

生活のリズムが狂ったのか、年を取り過ぎたのか。

この調子じゃあ、死ぬのもすぐだぜ、と思う。

年月の経過を速く感じだしたら、今やっている事、これからやりたい事、やり残している事、等々、後から悔やむことのないように、しっかりと毎日を生きなさい、という警鐘なのだろう。

 
その夜は久し振りにノンビリと、一杯やりながらビデオを見ていた。

数年降りの、はぐれ刑事。

何度か見ていたので、ストーリーに覚えがある。

 

ソーダ、これはあの青年の出演作の分だ、と思っていたら、少しも年をとらないあの青年の顔が大写しになった。

彼からは数年前の便りを最後に、まったく何の連絡もなかった。

気になっていた。

 
セーブしてあった古いメイルを探すと、アッタ、アッタ。

丁度クリスマスだ。

 

メイルを送って見ようと思った。

 

そのメイルは返送されてきた。

どうやら使われていないようだ。

 

彼のメイルには携帯のメイルも書いてあった。

それに送信してみた。

 

今度は、通ったようだ。

それでも2、3日待っても、青年からの返信は届かなかった。

 
日本で名が売れて、私の事等、気に留めなくなったのだろうか。

イヤ、そうではあるまい。

 

あの青年、まったく芸能人らしくない真摯な面があった。演技に行き詰まりを感じ、もしかしたら道を変えたのだろうか。
人間にはいくら能力があっても、その時々の運、不運というものがある。

 

 

継続は力なり、という言葉がある。

私財を成し、有名になる事だけが成功、ではあるまい。自分の好きな事、やりたい事をコツコツと続け、努力する事。

 

努力に終着点はない。志半ばで倒れても、そういう人生を送れる人間は、人間としての成功者だ。

 

この辺りに、生きる、という言葉への人間の尊厳が存在するように思う。
あの青年、今でも演技の勉強をやっていて欲しい。年齢を重ねても、年相応の演技があるはずだ。そうであって欲しい。

何度も読み返した彼からの最後のメイル。

 

末尾には、・ケインズのお父さんへ・と書いてある。

 

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フィールドノートVol.05

2009年01月10日

月の最後の日、リビングインケアンズ主催で入門者向け野鳥観察会を行った。

 

前日までストームが一週間続き、当日も怪しげな天候の中で少年からご年配の方まで参加して楽しい時間となった。

 
季節柄、幼鳥や抱卵、巣作りといった生き生きとした姿を見られ、とどめに1メートル級のナミヘビの仲間を飲み込むワライカワセミ幼鳥を間近で(それこそ2メートル以内)見た。

 

町の中心部から車で5分の緑地で、こういった光景を見られるのは素晴らしい事だし、この豊かさをもっと多くのかたに知ってほしいとも思う。

 

来られなかった方も、またの機会があれば是非どうぞ。

 

 

よく、「バードウォッチングをするには何が必要ですか」と聞かれるので紹介しよう。
基本的には双眼鏡と小型の図鑑で十分。少ないでしょう?

 

ただ、双眼鏡は許される限りよいものを使ってほしい。

 

ウォッチング、という言葉の通り双眼鏡は生命線であり、正直なところオペラグラスとか手のひらに乗ってしまうような双眼鏡なら無い方がいい気がする。

 

10ドル程度のものから3000ドルを超えるようなものまであるけど、大事にすれば半永久的に使えるモノなのでなるべく良いものを。

 

ケアンズでは、スペンス通り240番にサンコーストオプティクスという光学機器のお店があり、自由に手に取って覗けるようになっている。

 

双眼鏡の倍率にはいろいろあるけれど、7倍、8倍辺りが使いやすくお勧め。

10倍以上はベテラン向けと言える。倍率以外では双眼鏡の口径も問題になる。

口径が大きい程見やすくなる反面、重く高価になってくる。

 

42ミリが一般的だけど女性の方などでどうしても重さが気になる場合は32ミリなども使用者が多い。

 

よい双眼鏡を除いた瞬間、「うぉっ!?」という声が自然に出るはず。

「双眼鏡の形をしているおもちゃ」とは違い、それの双眼鏡はこれから長い間あなたの目として活躍してくれるはずだ。

 

そして図鑑はというと、「ザ・スレーター・フィールドガイド」がお勧め。

理由は、必要充分な内容。

 

変形サイズでウエストポーチやカーゴパンツのポケットに入る為、携帯しやすく取り出しやすい事と利用者が多く、「今の鳥は何ページの何何」といった復習が仲間としやすい事だ。

どこの書店でも普通置いてあるし。

 
これだけで、基本的に準備は完了。

一生どこでも楽しめる趣味としては安いものではないかと。
初めたての頃は観察する野鳥全てが見慣れないものであり、ケアンズは特別に種類が豊富な事もあり覚えきれず、何が何だか分からないかもしれない。でも識別できる野鳥が一つ一つ増えていき、一番楽しい時期だと思う。

 

ベテランのバードウォッチャーに同行すると、頭上を一瞬飛んでいっただけの鳥をこともなげに識別し驚嘆することがあると思うけど、「視力が異常に良い」とかでは普通は無い。

 

誰しも、ドバトが素早く横切っていって後ろ姿しか見えなくてもそれがドバトと認識できると思う。

それは、これまでの人生で数限りなく目にした鳥の場合は体の一部分しか見えなくても、一瞬で通り過ぎても、記憶と自動で照合されるためだ。

 

ベテランはそうやってドバトのように認識できる種類が何百とあるということ。姿だけではなくて鳴き声もそう。

ドバトの鳴き声はみんな知ってる。

 

それが仮に200種類に増えたらすごい事で、今までBGMだった鳴き声の持ち主が全部分かったら?

 

日常も素敵に楽しくなる。

慌てず、焦らず続けてもらいたい。

 

バードウォッチングは高齢になってもずっと続けられる趣味だ。

 

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セカンド・ワーキングホリデー

2008年11月10日

今回はセカンド・ワーキングホリデーについてお話します。

 
同ビザ取得の必要条件:
■最初のワーキングホリデービザを保持している間に、指定された地方都市で、規定の仕事を3ヶ月間行うこと(学生ビザ保持者は申請不可)
■ビザ申請時に18~30歳であること

■オーストラリア国外から申請する場合は、渡豪出発前12ヶ月以内で、ビザ発給時にオーストラリアにいないこと■扶養する子どもがいないこと
■オーストラリアで申請した場合は、ビザ発給時に同国内にいること。

上で言う規定の仕事は、農業、漁業、真珠養殖、林業、鉱業、建設業などに及び(詳細は割愛します)、必ずしも給与の発生する仕事である必要はありません。

例えば、WWOOFなどのボランティアのもと、ファームで働くのはOKです。

 

また、請負人としての勤労も認められます。ただし、リストにない仕事内容(農家のベビーシッターなど)は認められません。
移民局は、規定の仕事をしたか確認するために証拠を求める場合があります。

その際は、給与明細、グループサティフィケイト、タックスリターン、雇用主の推薦状、employment verification form126のいずれかを用意しましょう。

 
規定の仕事に就労する3ヶ月とは、カレンダー月または88日間を指します。

1つの仕事でも、違う仕事を組み合わせても構いません。

 

フルタイムの場合、週末や病欠も就労日に数えることができます。(病欠は雇用主からの書類が必要)
パートタイム又はカジュアルの場合は、実際に働いた日だけを数えます。怪我やサイクロンなどで働けなかった場合は、日数に数えることはできません。

例えば、鉱山で従事する場合、当業界の通例で、雇用条件として3ヶ月間隔週単位で働くシフトワークはOK。

 

また、収穫を手伝う仕事を60日間、2ヶ月間の旅行後、建築業界で28日間、合計で88日といったワークブロック形態も認められます。

 
セカンド・ワーキングホリデービザ取得後は、同一企業で6ヶ月間まで働けます。業務内容が変わっても期間の延長は認められません。

 

セカンド取得後に、ファーストワーキングホリデービザ時に勤めていた会社に戻って6ヶ月間働くことは可能です。

 

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2008/09年度 コンプライアンスプログラム

2008年11月10日

先月、オーストラリア国税庁は、2008/09年度コンプライアンスプログラムを発表し、今後の監査の焦点を明確化しました。

 
まず、急上昇を続けている自己責任型のセルフマネージメント・スーパーアニュエーションファンド: SMS(2007/08年だけで33,000もの新ファンドが登録された)が焦点の1つとなっています。

 
ご存知の通り、オーストラリアでは、雇用主がスタッフの給与の9%をスーパーアニュエーション・ファンド(年金基金)に拠出することが義務付けられており、スタッフは、スーパーアニュエーション・ファンドを選択した上で、ファンドが採用する運用商品の中から、拠出金の投資先を選択できます。

 
約38万あるSMSが、オーストラリアのスーパーアニュエーション基金全体の資産の25%に当たる2億8500万ドルの資産を保有していることを受け、国税庁は、これらのファンドへの出入りのチェックを厳しくする予定なのです。

 
更に、昨年80万人を超える雇用主がスタッフのために1100億ドル以上の税金を国税庁に納めたこともあり、雇用主の納税の正確さに焦点が当てられます。

 
私企業、外国の企業、買収した企業を含め、企業のディレクターやエグゼクティブに関しては、特に株の配当利益といった収入に焦点が当てられます。

 
パートナーシップについては、国税庁はマッチングプログラムを使用し、タックスリターンで報告されているパートナーシップ内、またはトラスト内での配当が、受取人の報告と一致するかチェックしています。

 
また、現金の出入りについても焦点の一つで、中でも建築業界、レストラン、カフェ、小売業の一部がターゲットとなり、今年度の会計年度で国税庁は5000軒の監査を行う予定です。保険会社やショッピングセンター、取り締まり機関からの情報をもとに、データマッチングを行い、監査先が決定されます。

 
データマッチングは個人に及ぶこともあり、例えばタックスリターンでの報告では収入が低いにも関わらず、政府のライセンス機関の持っている情報から高額な自動車やボートを購入していることがわかると、収入と出費のアンバランスさが露出され、監査の対象となります。

 

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虫刺され Vol.02

2008年11月10日

雨季に向かって雨が多くなり、空気もじめじめとして来ました。

そんな季節に繁殖し出すのが、蚊やサンドフライ、ダニなどのいや~な虫です。

 

今回は、そんなケアンズに住む私達と切っても切れない間柄、虫刺されについて、一般的な症状、予防方法についてご紹介いたします。

 

【サンドフライ】 

ビーチや熱帯雨林、マングローブに生息し、朝や夕方に活発になる黒い点のような小さな虫です。

とても小さいため、体にとまっても気付かないことが多いです。

主に服の外に出ている部分が刺されます。
サンドフライにさされると・・・時間が経ってから(半日から1日)ものすごいかゆみがある、

一度かゆみが治まっても、2~3週間かゆいことがある

  
【蚊】 

毎年2月から3月の間、北部、中部クイーンズランド州、熱帯気候特有の蚊を媒介としたウイルスによるデング熱、ロスリバー熱と呼ばれる病気が広がる恐れがあります。
ウイルスに感染した蚊に直接刺されるか、ウイルスに感染した人を刺した蚊に刺されて感染します。

人から人へ直接感染することはありません。

 
◆予防方法
《蚊やサンドフライなど、野外に浮遊している虫》
常に虫除けをつける、極力肌を隠す、長袖、長ズボンを着用する、朝方、夕方の虫が活発になる時間帯に虫が出やすい芝生、水の周辺、熱帯雨林などに行かない。

野外のバーベキューや芝生の上でのピクニック、熱帯雨林のツアーなどに行く時は、体に虫がとまる隙を作らないよう、しっかりガードをしてください!
   

 
【ダニ】 

内股、尻、背中、お腹など服に隠れている部分、肌の柔らかい部分が刺されている、何ヶ所かにまとまって刺され、とてもかゆみがある、周りに同じような症状を持った人がいる

 
【疥癬虫(かいせんちゅう)】 

一般的に、手、足の指のまたから進入し、徐々に上方へ広がりその跡が道のようになっている、とてもかゆみがある、周りに同じような症状を持った人がいる

 
【ノミ】 

家にペットがいる、くるぶしの上辺りから足の甲にかけて集中して刺されている(ノミが地面からジャンプできる高さがくるぶしの上ぐらいまで)

◆予防方法
《ダニ、疥癬虫など、屋内やベットで刺される虫》
部屋の隅々まで小まめに、念入りに掃除機をかける、部屋の窓とドアを開け、ファンを回し風通しを良くする、寝具、洋服などをユーカリオイルを垂らしたたらいで熱湯消毒した後、乾燥機の温度を高く設定して乾かすか、日光のもとで乾かす、マットレスを外に出し、日光消毒をしてその上から殺虫剤や虫除けを散布する。

 

上記の虫は徹底的に駆除しないと虫刺されの症状を繰り返す原因となるので気合を入れて戦いましょう!

 

人それぞれの体質によって同じ様に刺されても、ひどく反応する方とそうでない方がいます。

刺された患部からどの虫に刺されたかを判断することはとても難しく、判断がつきかねることが多いです。

しかしながら、虫刺さされの治療法してはどれも同じように治療をします。

 

また、かゆみの応急処置として、氷で刺された患部を冷やすと楽になります。

 
刺された後、患部が痛くなったり、熱を持って腫れたりする場合は患部からばい菌が入って二次感染を起こしている可能性があるので、医師の診察を受けましょう。

 

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憧れ Vol.89

2008年11月10日

「それだけは、ダメ!!見つかったら、どうするのヨ」

私のする事にあまり文句を言わない妻が、その時は真剣に反対した。

 

そうだヨナァ、まァ無理もないか、とガキのように考えた。

 

物が物、なのだ。

 
ガ島(ソロモンのガダルカナル島)は第二次戦中の激戦地。

 

日本海軍が、フィージー、サモア攻略の足掛かりとして、この島に飛行場を建設、ところが、ミッドウェー海戦の敗北で無用になったが、反日抗戦にその利点を見いだした米軍との間に、凄まじい争奪戦が展開される羽目になった。

 

 

輸送能力が極めて弱少化していた海軍が、なぜ多大の犠牲を強いてまで無謀な作戦の下、この島に固執したのか。

 

私には名将と謳われた連合艦隊司令長官、山本五十六大将の意図がサッパリ判らない。 

 
私が日米の兵士達の血で洗ったガ島のホニアラ・ヘンダーソン飛行場に最初に下りたのが、三十数年前。

 

ガ島から太平洋の真ん中、世界最小の独立国、ナウル共和国に飛ぶと、そこから何と、まったく客のいない、鹿児島への直行便が運行されていた。週1便。

 
これは余談。

ナウル出発の朝。飛行場に行くと、誰もいなかった。

 

出発の時間が近くなっても無人。

聞く人間がいない。

その内たった一機しかない我々の便が、ユラリと動き出した。

私は慌てた。

何で私たちを残して飛び立つのかと、折からやって来た一人の職員に食いついた。

 
「心配ないべ。実はナァ、イミグレイション、オフィサーが夕べから釣りに出かけてノー、まだ帰ってないヨ。

チョット、捜しに行っただけだべ」

 
エッ、と私は彼の顔を見て、妻と顔を見合わせた。

ボーイング727が、たった一人の男を捜しに飛んで行った。

 

コリャスゴイ事だ。

 

こんな目茶苦茶な国が世界に存在していたのかと、何とも嬉しく、楽しくなったものだ。
戦後30年のガ島。島民達の平和な生活は戻って来ているように見えたが、戦禍の跡は、アチコチに残っていた。

 
知りあいになった男の家を訪ねた時だった。

 

入口に向うガーデンの中に、卵形の物が数個、ころがっていた。

何と、手榴弾だ。

 

完全な形が残っていたが、爆発する信管は抜いてあるに違いない。

どう言ってもらったのか、とにかく一個の手榴弾、ホテルに持ち帰った。

 

サテ、どこに隠そうか…と。妻に内緒でスーツケースの中に突っ込んでおけば良かったのに、物が物だけに、コレ持って行くゾョ。

 

妻に見せた。
彼女、怖がった。

 

爆発はしないゾ、と言っても、完全な手榴弾なのだ。

 

母親に怒られたガキのように、シブシブその家に戻しに行った。

 

ガ島を思うと、いつもこの手榴弾を思い出す。

まだあの家の庭にコロがっているのだろうか。
二度目にホニアラを訪ねたのは、もう15年も前。

 

私の道場の弟子が、専門学校の講師として二年間、滞在していたからだ。

 

その時はケインズから、ソロモン航空の直行便が運行されていた。
「マラリヤの予防して来ましたか」
弟子が聞く。

彼と彼の家族も全員、赴任以来マラリヤにやられたそうだ。

 

ガ島では毎年五百人余りがマラリヤで死亡するという。

 
彼には何人かの政府の要人を紹介してもらった。

日本流に言えば、大臣なのだが、そこら近辺の肉屋やパン屋の親父と変わりがない。

 

 

豪州の委任統治国だったソロモン。

 

こんな国が独立する自体、どだい無理な話ではないか、と思ったものだ。

 
弟子の教え子の村からジャングルに踏み込むと、その村の連中だけが知っている戦時中の米軍陣地の跡があるという。

 

まだ未使用の砲弾がそのまま残っているらしい。

行きたいか、と問うので、一つ返事をした。

 

しかしジャングルの中には、マラリヤを持つ蚊が、到る所にいるそうだ。

 

私達は何の予防もして来なかった。

 
すぐに街中の薬屋に行った。

それは貧相な戦争博物館のすぐ近くにある。

 

この街としては一番ハイカラな店だった。

 

ところが即効性の予防薬はなく、一定時間服用してないと、効果がないそうだ。

それならば、蚊に食われないようにすれば良い。

妻は長袖長ズボン。

 

私は虫には結構強いし長袖が無かったので半袖に長ズボン。
ジャングルの中は獣道のような人の通った跡がある。

とてもじゃないが私達だけで行ける道ではない。

 

部落の男が案内に立ってくれた。
途中、上陸用舟艇や弾丸の跡だらけのジープが、放置されていた。

 

一時間も歩いたら、何やら密集していた木々が少しまばらになり、足元に爆発してアメのようにヒン曲がった砲弾が目に付いた。

 

そしたら何と、アルアル。

30センチ程の砲弾がゴロゴロしているではないか。

 

土の中から弾頭を突き出しているのも見える。
「お前様の立っている下にも、沢山埋まってるだヨ」そんな事してもまったく何の役にも立たぬのに、思わず爪先立ちになった。

 

あまり歩き回るなヨ。妻に注意した。

 

爆発はしてないのに、時々弾頭の真ちゅう部のない砲弾がある。

 

どうしたのだろう。見ていると、「オラ達が外すだヨ」
観光船が入港した時に立つマーケットで、売るのだそうだ。

 

爆発しないのかエ、と聞くと、「時々するヨ」当たり前の事を聞くナ、という顔をした。

死を意味する凄まじい返事だった。

これには、まいった。

 

爪先立ちした私が、何やら小心なアホに思えてきた。
注意はしていたが砲弾の周辺で、何匹かの蚊に刺されていた。

 

もしその蚊がマラリヤを持っていたら、10日前後で何等かの症状が出るそうだ。

 
「オイ、何ともないかエ」「インヤ、何もないゾ」、毎朝の挨拶のようになった。
10日たち、二、三週間たっても、私達に何の異状も出てこなかった。

 

ヤレヤレ、どうやらマラリヤの蚊に嫌われたらしい、と思った。
ガ島の海岸線のガタ道を走ると、ヤシの林の中に点在する小さな部落に出会う。

 

現金収入がないから、自給自足。

皆、貧しい。

恐らくマラリヤで死亡する大多数は、子供だろう。

 

この彼達、なぜか底抜けに明るい。

私達の車が通ると、子供達は走り出し、大人達は窓にかじり付くように手を振り、笑顔を送ってくれる。

面映ゆくなる程だ。

 
文明とか物質の豊かさにドッップリと漬かってしまっている私達は、人間の心まで曲がりかけているのだろう。

 

そんな無邪気な村人達の歓迎に出会うと、なぜ、どうして我々に、と考えてしまう。

 
子供の頃、遠くを走る汽車によく手を振った。

今頃、そんな事をするガキはいないだろう。

 

この村人達は子供の憧れを、そのまま体に残して大人になったように見えた。

 

貧しく何も無い生活と毎日は、そういう育ち方を彼等の人生に与えたのかも知れない。
私は時々旅に出るけれど、先進国にはまったく興味がない。

 

ニューギニア等の未開地とかベトナム等の後進国がいい。

危ない目には会うけれど、都会の人間特有の取り繕ったところがない。

 
 
私の子供の頃、私の宝物はビー玉にメンコ。

懸命に集めていた。

中学では空気銃が欲しかった。

高校では空手以外に居合を習ったので、本物の刀を夢に見た。

 

その憧れはそのまま大人になっても続いたようで、ケインズに住み着いて以来33年。

少しづつ余裕のある時に入手した。

 

刀や軍用銃と一緒に、日本帝国陸海軍の遺品も出てきた。

砲弾に人骨まで様々な品々がある。

別に目的があって集めた訳ではない。

 

子供の頃から好きだったのだ。

これらは大人になってからの私のビー玉なのだろう。

 
30年以上も集めていると、部屋の一つや二つは一杯になる。

 

銃には法規に沿った管理をしなければならない。
しかしナァ、と最近考える。

 

このまま持ってはいたいけれど、私が死んだら妻が困る物ばかりだ。

 

ガレージセールにするゾ、という妻の気持ちも判る。

ぼつぼつ身辺の整理を考えねばならぬ年になってきたのかナァ。

 

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フィールドノートVol.04

2008年09月10日

チラゴーなどよりももっと内陸の小さな街、ジョージタウン郊外へ行って来た。

車中泊を含め二泊三日。

 

真夜中二時にケアンズを発ち500km以上を朝まで走り続け、日陰で40℃、日なたは50℃に迫る中を徹夜明けのまま鳥を探して行動。

 

ろくに食事もせずテントで一泊。

翌日も夜明けから鳥を探し、ケアンズへ戻って来た。

 

 

そういえば先月はケープヨークの方へも行った。

食料/ガソリンはおろか、水すら満足には補給できないので持参、撮影や照明機材の充電のため、大型のソーラーパネルなどの大荷物を持ってオフロードを片道1000km以上。

 

8日間テント生活をしながら毎日夜明けから夜中まで野生動物を求めて動き続けた。

 
 

ほとんど狂気の世界のようにも見えるが、別に私に限った事ではない。

 

世界中の多くのバードウォッチャーだってそう変わらない。

 

日本で一番人気のあるバードウォッチングツアーの一つは、茨城からフェリーで北海道へ移動しながら船上から鳥を探し続け(服装は毛糸の帽子に手袋、ダウンジャケットだ)、北海道滞在は一時間ですぐ乗船して帰路も寒さに震えながら甲板から鳥を探し続けるというカルト的な内容だ。

 

 

もちろん、ここオーストラリアの人も負けてはいない。

「オーストラリアバードウォッチング一周三十日間」とか、「シンプソン砂漠12日間」はたまたアフリカのウガンダ国、ギアナ高地、旧ザイール、マダガスカル、中国、モンゴル、アリューシャン列島、世界各地へツアーが出ている(日本ヘ行くツアーも結構ある)。

 

これを読んでいる皆が想像している以上にバードウォッチング人口は多く、イギリスでは国民の4人に一人が野鳥の会の会員である。
 
 
一体何が面白いのか、という問いに対する明確な回答は難しい。

まぁ、どんな趣味でもそんなものかもしれない。

 

ただ、言える事はケアンズ周辺はバードウォッチング適した場所であり、この途方も無く広い大陸で確認されている鳥類種の半数が見られてしまうほど恵まれていると言う事だ。

 

珊瑚礁、干潟、マングローブ、淡水湿地、湖、サバンナ、低層/中層/高層熱帯雨林、汽水…。

多様な環境を一日で回る事が出来る。

 
 

グレートバリアリーフがあるから、ダイビングをやってみよう。

それと同じで、ケアンズにいるうちに野鳥へ目や耳を向けてみるのも悪くないと思うがどうだろうか。

 

 

野鳥に数多く出会う為には、彼らの食べ物になるもの、住処となる環境、季節の変化、標高、降水量、開発問題、開花時期、太陽、潮の満ち引きなど自然全般に嫌でも敏感になる。

 

現時点で、自然と関わりのある日常を送っている人はきっとバードウォッチングにはまる素地が十分にあるはずだ。

 

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ビジネスビザ雇用条件の変更

2008年09月10日

オーストラリアでの人材不足を受け、ビジネスビザ(457)プログラムは、この4年間で著しく発展しました。

 

2016年には、技術を持つ人の不足数は24万人まで上昇するとも予想され、事態は深刻です。

 
そこで、政府は一時滞在している良い人材(457保持者など)が永住権に切り替えることを奨励し始め、’07~08年度は当該永住権保持者数が前年度より6000人増えました。

 
このような動きを受けて、移民大臣が発表した、昨今の移民法変更に伴うビジネスビザのスポンサー義務の要約の一部をご紹介しましょう。

1)モニタリングに協力すること
モニタリングには、机上監査もしくは、面接があります。面接は予告なしに行われることもあり、給与の支払い状況を聞かれたり、スポンサーや他のスタッフに質問することもあります。
移民局のオフィサーに見せられる諸記録を取っておきましょう。

 
2)旅費
ビジネスビザの申請が却下されたり、破棄された場合の申請者の往復旅費は、スタッフ自身かスポンサーのどちらが払うか同意を得ておく必要があります。

 
3)医療費の支払い
2005年11月前にビザの申請をした人に関しては、スポンサーが保険が適用しなかった医療費を払う必要があります。

前述の日以降にビザを申請した人には、保険が適用されなかった公立病院での出費を払う必要があります。

スポンサーは、スタッフを民間健康保険に加入させることを強くお勧めします。

 
4)最低給与額(MSL)
スポンサーは、移民法が定める最低額、もしくは職務によって定められた規定額、どちらか高い方を給与として払う必要があります。

ケアンズを含む地方特権が適用される地域での最低給与額は、年間$39,100(都市部は$43,440)です。

 

ケアンズは、The Regional Sponsored Migration Schemeが適用され、合法的に運営されている会社のもとで、給与や労働条件など規定に沿った状況で最低2年間フルタイムで働いた人(技術を持つ人)は、永住権への道があります。

移民申請代行人としては永住権への切り替えをお勧めします。

 

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新会計年度を迎えて

2008年09月10日

7月1日より始まった新会計年度の税法に、様々な変更が加えられました。

以下に変更の主な内容を要約しました。

 
■収入税の減税
収入額        税額
0 ~ 6,000        0%
6,001~34,000    15%
34,001~80,000    30%
80,001~180,000    40%
180,001 +     45%

 
低所得者のための控除額が大幅に増え、現行$10,000から$14,000まで非課税に。(2010/11までに$16,000になる予定)

 

 
■GSTとPAYG支払いの雇用者報酬(GDP)の調整が7%から8%に上昇

 

 
■スーパーアニュエーション
雇用主は、スタッフのスーパーの最低額の計算には、通常の労働時間より算出される料金を適用する。
雇用主が使っているファンドは、最低レベルの死亡保障、生命保険をスタッフに提供するものでなければならない

 

 
■プライベートの健康保険に加入していない人が、メディケアの掛け金の追徴金(課税所得の1%)を払わなければならない所得の下限が大幅に引き上げ。
個人$50,000→$100,000、家族で加入している場合は、$100,000→$150,000へ。
また、メディケアの掛け金を払う必要のない所得の上限が個人で$17,309、夫婦で$29,207に引き上げに。(2人以上の子供がいると、子供の人数により加算)

 

 
■ファミリートラスト(家族信託会社)の規制が変わり、財産の信託が、直系の家族から子供もしくは孫のみになった。

 

 
■起業家が税金免除(ETO)を受けるための、収入テストが導入されることになった。

 

 
■オーストラリアの国民年金を受け取る居住資格のある人(一般的に永住権、市民権取得後10年以上の居住が条件)が免税になる所得の最高額が引き上げられ、独身者で$28,867、夫婦の場合それぞれの所得が$24,680に。メディケアの掛け金もこれらの所得額までは免除。

 

 
■教育費控除

ファミリー タックス ベネフィット(Part A)を受け取る資格がある個人、家族は小学校に通っている子供1人あたり最高$350、中学校で最高$750の税控除を受けられる。

 

 
■家族の所得が$150,000を超えない家族または個人に限り、べイビ−・ボーナスが$5,000に引き上げられた。
 

 

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信念 Vol.88

2008年09月10日

足が縺れた、ように見えたと思ったら、フワリ。

子供の体が横様に、ユックリと黒いボールの上に崩れ落ちた。

 

何をやっているのか、訝るような動きだった。
その日は準備運動に、メディシンボールを使用した。

 

ボールをジグザグに床に並べ、空手のステップを使って、出来るだけ速く通り抜けてゆく。

 

体が切れないとモタモタし、結構難しい動きなのだ。
もう3年も前になるか。その年の州大会は二月末。

 

新年の休みを返上し、出場する子供達の特別稽古を開始したところだった。
子供はすぐに起き上がり、何も無かったようにステップを続けた。

 

私も気に留めなかった。

その内稽古をしながら時々体を捻り、何やら気になる動きをする。

背部に痛みがあるようだ。

 

一応大事をとって子供を稽古から外し、見学させる事にした。

時々様子をみていると、痛みがひどくなっているようだ。

 

もしかしたら脇腹の急所でも打ったのかも知れない。

それにしてもあの倒れ方で、そんなダメージがあるのだろうか。

 

半信半疑だった。
飛び上がった。

二の句が出なかった。

子供の母親からの電話だった。

 

何と、片側の腎臓が半分に裂けていた。

信じられない事故だった。

 

50年以上空手をやって、色々な事故を見てきたが、こんな事故に出会った事がない。

 
あんなにフワリと倒れただけなのに、拍子というものは恐ろしい結果を連れてくる。
いい性格の子供だったが気が弱い。

 

私が少し強めに突き込んでやると、よく涙ぐんでいた。

それでも少しずつ上達し、州大会に出場出来るまでになっていた。

 

これからが楽しみな子供だった。
大会に出場する子供達が、成果を上げるのを見るのは指導者として嬉しい。

 

しかし空手の稽古には、それよりも大切な物がある。

 

稽古を通じて物事の善悪を教え、これからの長い人生に胸を張って立ち向かってゆける気概を育ててやる事だ。

試合に勝たせるだけの空手指導は、意味がない。

 
精神的にも強くなりかけていたその子供が、稽古を止めるとは思わなかった。

ところが、そのままになった。

 

何の連絡もなく、その子供は道場に戻って来なかった。

毎年かなりの人数が、私の道場を通り過ぎてゆく。

 

日本人は少ない。時に入門してくると、同胞意識があるので、どうしても面倒を見てしまう。

今時の若い人達にはそんな意識は無く、特徴もないので、むしろ無国籍人種のように感じるが、言語は日本語をしゃべる。

 

男より女の方が、まだやる気があるように思える。

 
子供の場合は、これから豪州人の社会で、ある種のハンディを背負って生きてゆかねばならぬ。

 

小さい時にシッカリした性格形成への躾、と思い少し厳しくすると、すぐに止めてしまう。

若いお母さん方には、私のそんな気持は、まったく伝わらないようだ。

 
豪州人との間の子供は、日本人の引っ込み思案と豪州人のだらしのない甘さが重なって、どうやってこんなガキに育てたンだろう、と他人事ながら心配になるような凄いのもいる。

 

道場、という所は、こんなのも全部ひっくるめて面倒を見る所だ。

 

どうしようもない子供達が、稽古を通して少しづつ成長し、一人の人間として長い人生を生き抜いてゆく糧を少しでも身に付けてくれたら、私は何か彼等に残してやれた事になる。

気を使って指導し、道場で親しくしていても、今時の日本人達、一言も言わずに消えるように止めて行く。

 

稽古を止めるのは仕方ない。

シンドイ稽古を続ける意志力を持っている人間の方が少ないのだから。

 
私は道場を止めるのを怒っているのではない。

縁あって共に汗を流し、交わった仲間である。キチンと止めてもらいたい。

 

これが出来ない大人は、自己の利しか考えず、他人への配慮のない人で、これはどうしようもない。
子供の場合、子供自身の口から、ハッキリと止めるという意志を私に言わせてもらいたい。

 

止める、という事は、如何なる理由があれ、稽古から逃げる事だ。

その最後の区切りをシッカリつけないと、子供の柔軟な心の中に、後ろめたさを伴うマイナスのイメージを生えつけてしまう。

 

これは潜在意識として一生子供の心の奥底に残る。これは、負、の意識だ。

私に子供の口から言わせる事により、プラスのイメージに変える。この小さなけじめが何よりも大切だと思う。
人間はこの小さなけじめの繰り返しで成長する。これが心の躾になる。

 

将来、信用の出来る人間として成長し、自己の生き様を通せる人は、心の躾の豊かな人だ。

 

子供の時、両親の甘さでこの芽を摘み取り、子供を駄目にしてしまうボロ親の何と多い事。

この罪はそのまま、将来我が身に戻ってくる。その時に悟っても、もう遅いのだ。

「部屋、これからでもキャンセル出来ますか」、と若い夫婦者。日本人。どうしたエ、と聞くと、泊まらないで帰る事にした、と言う。

どこか悪いのかエ、と又聞くと「イエ、子供が、泊まるのはイヤだと言うものですから…。」

 

私は一瞬、エッと思った。
道場では定期的に道場生の親睦のために、イベントを計画する。

その時は郊外で会食。

 

飲むのでモーテルに一泊して翌朝は自由行動、という予定だった。
日本人の親達はいつ頃から、西も東も判らない子供に振り回される程、親というプライドと自主性を失ったのだろう。

 
子供というものは、自分の意のままに物事が通ると、親を親と思わず、我がまま一方で自己中心、他人への配慮等まったく意に介しないような大人になる。

 

昨今日本で大流行の親に反抗し、中には殺したりする子供達は、皆この延長線上にある。

 

事の善悪をしっかり躾するのは、当然の親の義務ではないか。
この若い夫婦者は、以来道場に顔を出さなくなった。
 

 
そのガキ、目に敵意がある。ブスッとして物も言わぬ。

コリャ骨がありそうだ、と思った。

 

道場生の親が韓国人専門の民宿をやっている。

新しい客だ、と道場に連れて来た。

 

10才位かナ。

そのガキ、開口一番「お前、日本人か」私に問うた。
「そのようじゃノー」応じてやると、「お前、竹島知ってるか」ヤレ、コリャ面白い。

 

10才位の子供の言う事ではない。

日本人の子供なら、竹島が何処にあるのかも知らないだろう。

 

大人でも知らない人間は、無国籍集団に入った方がいい。
竹島は明治38年に出雲に編入され、米国等もその認定をしている。

 

ところが戦後、韓国は李承晩ラインを設定し、勝手に竹島を自国の領土に取り込んでしまう。

それから半世紀。まだもめている。

 

日本人の優柔不断の外交と我関せず、という国民性がこの一件にハッキリと出ている。
「コリャ、かなわンなぁ」と思った。こんな子供にさえ、間違ったイデオロギーを信じ込ませる洗脳教育。

 

仮装敵国は常に日本。

エエ加減で目を覚ませ、と歯痒い程人の良い日本が掲げる日中友好の旗。

 

台頭する中国の全土に設立された266ヶ所の愛国教育施設。

その中の208施設は、反日教育だ。

 

対する日本は平和ボケの中に伝統と個性を失い、無国籍国民集団となりつつある。かなう訳がない。

円の時代は終わり、元の時代になってしまうのか。

 

他人事と思うなヨ。

シッカリしろヨ、日本人。

「センセ、ボク、空手やめたい」

 
子供が私に言う。

母親は日本人。

 

手のかかる子供だったが、子供らしく素直なところがある。

 

「ダメだ」そう言うと、ベソをかいた。
「お前ナァ、私にチャンと言えるのは、エライ。

そンだけ勇気があるンなら、それを稽古にお使い。

 

そしたらモットうまくなるゾ」子供は次の稽古日に来ていなかった。

 

心配したが、その後又やって来た。

これは母親がエラかった。

 
つい最近、道場内での支部対抗試合があった。

 

その子供も出場準備をしていたが、道場に来ると泣いて入って来ない。

皆が手を焼いた。

 
「コラ、ここまで来てビービー言うもンじゃないゼヨ。

男の子はナァ、お母さんを困らすもンじゃないゾ。

サァ、頑張って来い!」手を取ると、泣きながら試合場に立った。

 

その子、ヘタながらメダルを取った。
それから顔付きが変わった。

 

この子、たった1日で大きく成長した。

 

我が子が本当に可愛かったら、時には尻の一つもひっぱたく親の信念、欲しいものヨ。

 

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投資物件のオーナーの税金控除

2008年07月07日

不動産所有者による助成金の申請は、年間に30億ドルに上ると言われます。

(2005/06年の統計では、約100万人もの家主が賃貸で赤字を出しており、家賃収入を得ているのは50万人ほどでした)

 
税務署は対策を検討した末、今年の初めに、新たに投資物件を購入するオーナーのために、権利や義務について学ぶプログラムを開始しました。

 
正しい情報を提供する代わりに、今後は、もしオーナーが間違いを侵しても、税務署が簡単に容認してくれない、ということになります。

 
税務署が発表した、不動産所有者がよく侵す一般的な間違いを挙げてみましょう。
■ 純粋にレント(賃貸)用でない物件でも税金控除を申請している
■ ホリデーホームなど、年間で一定期間しか賃貸に出していない物件の税金控除を正しく申請していない
■ バスルームの改造、東屋の建造など、主要な建築的改造についても修理費として計上するなど、正しくクレームしていない
■ 賃貸物件の改築や維持費の出費に関して使ったローンの利子を実際より多く申請している。

 
自動車の購入や海外旅行など、収入を得る際も、プライベート目的でもローンを組むことができますが、プライベート目的のローンの利子は、税金控除の対象になりません。

 
賃貸物件の出費に関しては、以下の2項目をクレームできます。
■申請該当年:
地方税、修理、保険、ローン利子などの出費
■数年以上に渡るもの:
ローンを組む際に生じる出費、改築にかかる出費、資産の減価償却に必要な費用など

 
物件の欠陥や悪化のための修理費や改築費はすぐに控除対象として申請することはできません。

 
修理や改築工事の内容によりますが、通常は資産の消却期間に基づいた価値の目減りとしてか、もしくは、40年以上の主要工事減価償却費として損金算入することで、税金の還付を受けることになります。

 

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みんなで知ろう、胃腸炎のいろいろ Vol.01

2008年07月10日

夜中に突然の激しい胃痛、下痢、嘔吐などで悩まされたことはありませんか?

 
夕食で食べたものの消化が終わり、胃腸が休まる夜間に上記のような胃腸炎の症状は起こりやすいものです。

 
 
また、ケアンズでは年中暖かい気候のため、食あたり、食中毒の危険性が高く、それらは胃腸炎を引き起こす主な原因となっています。
 
胃腸炎には、魚介類、肉類に潜むバクテリアが原因で引き起こされる、細菌性胃腸炎と、多数のウイルスがもとで引き起こされる、ウイルス性胃腸炎ががあり、どちらも感染力が非常に強いです。
 
細菌性胃腸炎は、調理の仕方や、調理した人の衛生状態、または調理後の食物の保存状態によって、どんな食品でも感染源になり得ます。
 

 
ウイルス性胃腸炎は空気中のウイルス、または感染者の排泄物から感染します。

食事の前、トイレ使用後や感染者と接触後は手をきれいに洗うようにします。

 

【主な初期症状】

■吐き気

■嘔吐

■胃痛/腹痛(時に激しい)

■下痢

■発熱

【脱水症状に注意】

下痢、嘔吐が続くと、体の水分が失われ、口の中、唇が乾く、手足がしびれるなどの脱水症状を起こしやすくなります。

ひどくなると、とても危険です。できる限り水分を補います。

食事を無理に摂ることはありません。

 

 

【治療】

■摂って良い食事、飲み物

細菌、ウイルスを体内に長く停滞させないための消化しやすい食べ物
 
おかゆ、素うどん、薄い味噌汁、スープ、シリアル、オートミール、白いパン(その他穀物が混ざっていないもの)
 
吐き気・嘔吐がある場合は、半分水で薄めたスポーツドリンクや、酸味の少ない炭酸飲料などをこまめに少量ずつ飲みます。一度に沢山飲むと逆にもどしてしまいます。一旦嘔吐が治まれば、水分を補給しながら、徐々にスープ、ゼリー、軽い食事というように普段の食事に戻していきます。胃壁があれているため、その後の数日間も下記の摂ってはいけない食事、飲み物を避けます。

 
 
■摂ってはいけない食事、飲み物

酸味のあるもの

柑橘系飲物、トマト、お酢の効いた食事など
 
脂肪の多く含まれるもの
 
揚げ物、ハンバーガー、ドーナツ、ステーキ、カレーなど
 
香辛料、刺激の強いもの
 
各種スパイス、唐辛子の入ったソースなど
 
カフェインの強いもの、タバコ、アルコール飲料
 
 
 
上記の治療法以外に、吐き気がある場合、それをを抑えるために吐き気止めを処方します。

嘔吐してしまう場合は、注射にて処方します。

 

下痢止めは、日常生活に支障がでる(旅行中や、仕事中にトイレに行かれないなど)場合に処方します。

下痢止めは細菌やウイルスを体内に停滞させ、症状を長引かせるので、できるだけ止めずに排泄するようにします。

 

もし症状が2~3日以上継続したり、とにかく嘔吐が治まらない場合は、すぐに医師の診察を受けて下さい。
 

 

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