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海外では食器は洗う?!

2008年03月03日

 子供の中学の合唱コンクールを見に行って、その帰りにお母さんたちとお茶しながらの会話から~

 

A:「ねぇ、ケアンズでは食器を洗剤で洗った後に水洗いした?なんかね、外国では食器を洗剤で洗っても水洗いしないで、そのまま乾かして使う、って聞いたんだけど。」

私(豪州帰り):「えっと…、まず、日本より大っきな食洗機のある家が多いようからソレを使う。で、手で洗う時は、もちろん水洗いを私はしたよ~。洗剤も日本から持ってった。あっちのってなんだか、泡切れ悪いんだもん~。でも、洗剤の後に水洗いしない人にも出会ったよ。ねぇ、貴女のトコはどうだった???」

B(米国&アルゼンチン帰り):「うん、水洗いをしない人が多かったわね。ドイツにも住んだことあるけど、欧州の方は普通はしないと思うわよ。水が日本のように豊富じゃないからって聞いたけど~。それに、乾けば平気!みたいな感じでその程度は気にしないとか…」

私:「あぁ~、ケアンズで知り合いの家に行って、食事の後に食器洗いを手伝った時に、水洗いをしようとしたら、そんなことしないでいいみたいに言われてびっくりしたことがある。 なんで~?って聞いたら、乾いたら平気って言われた!気になるなら紙ナプキンを敷けばいいって言われた…。」

A:「やっぱりそうなんだぁ。でも、洗剤って口に入っても平気なの???」

私:「平気じゃない気がするけど…。 そういえば、日本のようにスポンジに洗剤つけて泡立てて洗うっていうんじゃなくて、布で洗うよね~。泡なんてあんまり立たないから、アレ、なんか私には洗ったような気になれない!」

 

 なんていう会話をした。気になって後日、ケアンズに住む米国出身の(日本在住経験あり)知り合いに聞いてみると~

知り合い:「あぁ~、たぶん、面倒くさいんだよ(笑)。でも、それだけじゃなくて、日本食と違って、パンとかチーズとかハムとか…、乾いたものが多いから、平気なんだよ。皿の上に乗っけるだけだからね。水も日本のように豊富じゃないし」という。

 インドの家庭ではバナナの葉っぱの上に乗せて食べていたなぁ~なんて思い出しながら、あの葉っぱって使い捨て?それとも洗って何度も使うの?なんてフト、思ってしまいました。この話題には関係ないっか!

 

★合唱コンクールでは、オレたちのクラスはコブクロの「蕾」を歌ったんだ。たくさん練習したけど、優勝は出来なかったなぁ~。 大也

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帰国生が受ける風・・・

2008年02月22日

 海外から帰って来た『帰国子女』とか『帰国生』と呼ばれている子供たち、またその親(母親?)には、同じ学校の仲間から、なんというか…、こう…微妙な壁…というか、視線というか・・・、が、あるんだなぁ~、とやっと気がついた。

 いや、そういうものがあるということは聞いてはいたんだけど、実際問題として、感じたというか。

 これまでに同じ学校の保護者の方から、「帰国生ですか~、いいわねぇ~」「国際部なのね、へぇ~っ」「帰国生は特別だからね~」というような言葉を何回も掛けられた。

 どういう風に、”いいわねぇ~”なのか、”特別だからね~”なのかは深く考えずにいたんだけれど、「その言葉の中には、”嫌味”、”妬み”みたいな意味合いが入っていることがあるのよ!(※全部じゃないはず)」ってことらしいのだ。

  ”嫌味""妬み”は怖いぞ~ぅ。

 

 確かに、優秀な(?)御主人の海外転勤に伴って家族で海外へ、というケースが多いんだろうけれど、でもさ、”海外駐在”や”海外在勤”などにも、毎日が楽しいばかりではなく、日本にはない大変なことってのがあるだろうし、きっと…。英語すら通じないところもいっぱいあるわけだしね。私の場合は、大変なことも面白いことと思って、乗り切ったかな~?と思うけど。

 要するに、自分にできないことをしてきた人、っていう存在が目障りって感じなのかなぁ?

  でもさ、私は若い時に全然遊ばずに(マジ、仕事ばっかりしていました!)コツコツ貯めた資金で、この歳になってから(!)勉強に行ってきたっていう状況なんだよね。海外転勤じゃなくて、それはそれで大変だった訳で…(いい訳?)。こんな私に”嫌味””妬み”なんかを持たないで下さいっ~、って感じなんですけど…、そんな諸事情なんて知らないか!

 

 

 ★ケアンズでの学校の、スポーツカーニバル。「みんなかなり派手に仮装して応援したぞ!」大也

  親はそんな感じだけど、子供の方はまたちょっとニュアンスが違うよう。

  海外で生活をした際、子供は自分の意見や考えはしっかり主張することが大切!と学んできたケースが多いって思う。自分の意見が他の人と違っていても、それをしっかり言うのが大事。黙り込んでは駄目なんだよね。

 ケアンズじゃ、自己主張が強すぎて、相手の意見を聞かない!っていう大人に、かなり困った経験をしたけど(わがままも含めて~)さ。要するに、不必要に相手に同意する必要はないってこと!

  でも、日本では意見をしっかり言ったり、人と違った行動をとりがちだと、”ウザイ”とか、”生意気”とか取られがちのような気がする。日本語が堪能でなければ尚更、日本語で意見を言おうとした時に、誤解も生じるかもしれないし、そんなことも帰国生は、ちょっと変わってる、なんて言われてしまう原因なのかも。

 

 そんな狭間で苦しんでいる帰国生は多いと聞くしねぇ。どうなんだろう?大也は???

 さて、親の関係、私ももう少し、考えてみよ~っと。

 

 

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これから移住する人、いいなぁ。

2008年02月19日

  大也の13歳という年齢は、一般的に”反抗期”ってヤツに早い子は入っている年齢で、大也も、もうなんだかいつもいつも”不機嫌~!”って感じの状態。

 何を聞いても、答えるのに面倒くさそうだし、なんとか会話をしてもよく分からない・・・!もうホントにいい加減にしてよって感じの毎日だ。これが、まだしばらく続く???あぁ、ストレス溜まるぅ~~~

 

 さて、リビケンをきっかけにあるご家族と知り合った。これからケアンズに移住を予定されている方。いいなぁ~と思いつつ、経験から分かる部分を少しお伝えした。子供の学校、予防接種や医療状況、気候、電化製品、銀行などなど…。

 でも法律などルール的な部分は、よく変わるので迂闊な情報は言えない!現実、私たちの約4年間の滞在中でも、私に関するものでは自動車免許とビザのルールが変わったからね。

 その変わった部分などをちゃんと知りたいと思って、Transportや移民局に電話をしたり、窓口に何度も行ったりしたけれど、なんだか的確に答えを貰ったってことがなかったような…。聞く人によって違うことを言うので、聞けば聞くほど???になって不安が高まったわ。要するにそのくらい、よくルールが変わるってことなんだよ、とも言われたしね。

 私たちはなんにも知らず、分からず、知り合いも全くいない状態でケアンズに飛び込み、細かい(大きい?)失敗をいくつも重ねて、そんな中で『海外に住んでいるんだ』ってことを実感していったので、どうぞそんな部分も楽しんで欲しいな、って思っています。

 きっと渡豪、ギリギリまでなんだかんだ忙しいでしょうけれど、それもいずれは良い思い出。ホント、良いなぁ~

  でも、変わっただろうなぁ~、ケアンズ。もう1年以上もたつんだよね、私たちが東京に戻って…。エスプラネードも、どんどん空港側の方に開発がのびていたしね。裸足で普通にどこでも歩く人たちも減ったのかなぁ~?!

 まだまだ寒い東京で、また遊びに行こう~っと思う今日です。

 

 ★ ノーマンベイ島のビーチ、綺麗だよね!!!この頃の大也は、反抗期ではなく素直!でした

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英検、漢検、大変ですね。

2008年02月07日

 一般生(帰国生ではない生徒たち)は、”基礎英語”を基本的には『みんな毎日聴く事!』というルールが大也の通う中学にはある。

 ”基礎英語”かぁ~~~、今もこのラジオ番組ってあるんだぁ。うん、私も中学のときに確か聴いたよ、聴いた。でも、私たちが聴いていた時代とは、内容はかなり違うんだろうねぇ。

 英語の教科書だって、なんだか時代によって最初に学ぶ内容が違う、って新聞の記事で読んだことがある。Be動詞の文章から学ぶ時代、一般動詞から学ぶ時代、というように違いがあるとか…。教科書はいつも「This is a pen.」から始まっていたわけじゃないんだね。

 でもさ、私は中学に入って初めて受けた英語の先生が苦手で(※先生のせいにするなぁ~!!!)、初歩の段階からくじけてしまったんだよね、英語。だから不定詞あたりになると、授業内容はかなり”???”って感じだったような記憶が…。

 ”???”のままで高校生になってしまったから、もうその先は全然面白くなくて、関係代名詞なんて全く理解不可能だったなぁ(今でも?)。

 それでも、海外を飛び回って私は仕事をしているんだから、高校時代の先生に『どうして貴女が海外で仕事が出来るの?』と、不思議がられるのも無理はないよね。

 でも、『あぁ~、英語、もっと学んでおくべきだった!』と痛感する機会はたびたびです、ハイ。

 

 そうそう、”英検”も今は、準1、準2級なんていう、”準”がつく級があるんだよね。そんな級は、私の時代にはなかった。 うううっ・・・・・・・・・時代はかなりかなり経過してる!

 その”英検”、これも生徒はみんな受験するルールがある。帰国生の多くは、すでに準1級や1級を持ってるんだけど、大也は持っていない。なんせ、ケアンズでは”英検”を受験できなかったからね(※その代わりにTOEICを受けていたけれど)。

 「マッスー(同じ国際部の親友の愛称)も6年生で1級取っちゃったし、オレも早くとんなきゃ。」と、大也。そうそう、早く片付けちゃおう~

 でも、なんで1級なんて取れるんだろう???凄すぎる。私にはありえない。。。

 

 

★「漢字は、大変っ!でも一応、練習帳に書いて努力はしてるんだよ、オレ!」  大也 

 

 でもさ、”英検”はいいとして、大也にとって大変なのは”漢検(漢字検定)”。 そんな検定の存在すら私は知らなかったんだけど、これも受けるのがルール。”英検”も”漢検”も、1年生では4級が目標みたいで、その4級用の”漢検”のテキストを学校から渡された。

「ひぇ~っ、こんなに?!そんなにオレ、書けないぞぅ~!」と、大也は悲鳴。

 

 「日本の中学生は大変だなぁ」と言いつつも、結構、暢気な我が息子。さてさて、3学期が終わるまでに、”英検”と”漢検”、どうなることやら。甘く見てると厳しいぞ~~~~!

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英語の先生は”ブッシュ”先生?!

2008年01月29日

 このページで私は『(帰国)受験』のことを続けて書いてきたけど、『受験』なんて、そんなに大騒ぎすることでもないよね~、とも思うんだ、ホント。

 今、時期はまさに『中学受験!』の真っ最中だけど、『受験』なんて、”運”というか”縁”というか、”タイミング”というか。。。のようなことがかなりあるって思うし…。だからもし落っこちたって、ソレはソレ。

 私自身も、高校受験の時は完敗だったんだよ(※中学受験なんてしませんでした~)。私立・都立ともに3校、全部落っこちた~!でも、その時ってショックだったのかなぁ~???なんか、覚えていないんだけど…。今と違って暢気な時代だったのかしら? 中学校の卒業式の時点では、どこの高校に進学するのか(はたして行けるのか…?!)が決まっていなかったんだよね。で、その後、都立の二次募集で、なんとか合格して都立高校に進学をしたんだけどさ。

 しかし、その高校時代は最高に楽しかったね。

 

 そうそう、でね、その受験の”縁”なんだけど、受験直前に開催された学校説明会で、大也は国際部の外国人の先生に『面接ではどんな質問が出ますか?』って聞いたの。※勿論、英語での会話です~

 そうしたらその先生は、『それは秘密だよ~。でも、例えば…、君はどこに住んでいたの? 豪州かぁ…。じゃあ、大統領は誰?』って聞いてきたの。

 そうしたら、大也、なんて言ったと思う? 『え・・・・・っ・・・・・、ブッシュ。』 だって。

 うわぁ~っ!!!(※ちなみにこの時は、ジョン・ハワード氏でした)。 横にいた私は大慌て、先生も???って顔で、あとは苦笑い。  『ニュースに関心を持って、落ち着いてね!』なんて、言われていたような…。

  で、なんと面接試験当日の試験官は、その”ブッシュ”の先生だったので~す!試験官は数人いらっしゃったというのに…!

 大也曰く、『多分、先生はオレのこと覚えていたな。面接の教室に入って、先生はオレを見て、えっ?君?みたいな顔をしていたぞ~』だってさ。 『でも、なんかそれで安心した気もしたんだよな、オレは本番ではばっちり答えたし。』

 ホントかぁ~? でも、これは”縁”でしょう、”縁”!

  以来、私たちはその先生のことを密かに”ブッシュ先生”と呼んでいます!

 ☆ 『コレはオレの学校のスポーツユニホームだ。はっきり言って、あんまり色は好きじゃない…』大也

 

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国際部で中学生活のスタート!

2008年01月24日

 4月に渋谷教育学園という中高一貫校に入学をした。帰国生は20人ちょっと入学をして、そのうち13人が”国際部”の生徒となった。

  実は帰国生受験は、試験科目を2コースから選んでの受験で、国語+算数+面接に、”英語”か”日本語作文”を選択するのだ。”英語”を選択する子は現地校やインターなどに通っていた子で、当然、英語が得意(というか…国語や作文が苦手!)。 海外在住といっても、日本人学校に通っていたのなら日本の教育課程で学んでいたのだから、英語はそこそこ…ってことになるので、英語で勝負するより”日本語作文”を選ぶようだ。

 で、”国際部”へ入学をした子は13名だった。

  この13名は1組と2組に振り分けられて一般生と同じクラスに入って過ごす。そして英語は取り出しで1クラスに集まって勉強。国語と数学は希望で、一般生とは同じ教科書を使うんだけど、違うクラスでじっくり学ぶ。大也は当然、国語も数学も別クラスを希望~。で、先生の判断で、一般生についていけるようになると戻される。。。となる。へぇ~~~、丁寧だねぇ、という感じです。

  って…、こういうこと、私は全く知らなくて入学してから『そうだったんだぁ~』と知ったしだいですけどね!!!

 ★ 入学式の後、 『なにもかも初めてって面白れぇ~!先生はかなり怖そうなんだよなぁ~』 大也 

  以前、この学校の資料を頂いたとき(2006年かな)の滞在国調査で、中高で190名弱いる帰国生のうち米国が約半数を占め、その次がイギリスで23人。オーストラリアは6人だった。今年もやっぱり米国が多いみたいだ。

  でもそんなことはどうでもよくて、大也にとって”問題”なのは、13人中、男子が2人しかない!ってことだ!!!

 『女子がすげぇパワーがあってさぁ、英語の授業中にオレたち男子は全く口を挟めないね!あのパワーは考えられない!でもさ、もし男子が1人でオレだけだったら超やべぇ~~状態だった!!!登校拒否だよ!!!』と言う。

  さぁ、二人の男子で、ど~~うぞ頑張って楽しい中学生活を始めてくださいな

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短期間の日本の小学校生活は楽

2008年01月18日

 2月上旬に帰国受験を終えて、その後、地元の小学校の6年生に編入をした。1~2年生の時に通っていた小学校なので、友達もいっぱいるし、遊び気分で(すみません~)楽しんで過ごせたようだった。で、豪州の小学校の卒業証(2006年12月にケアンズで卒業しました)と、日本の小学校の卒業証、ふたつを大也はGetしてしまった!「オレってすげ~~~」と自慢。まぁね・・・・・

 

 ★中野区立桃園小学校の2007年の卒業式の写真だよ。オレは6年1組だったぞ。 大也

  通っていた約1ヵ月半の小学校生活で私が感じたことは、『楽!』でしたね。なんたって…

  ・給食がある!栄養バランスを考えられたメニューで温かいご飯とおかずが食せる。コレってかなり嬉しいことだ。ケアンズじゃ、毎日朝は5時半起きでお弁当作りだったよなぁ~、楽だ、楽だ。

  ・子供たちは友達と学校に行って、帰ってくる!送り迎えなんていらない!!! 変質者の心配があるので交代で親が校門のところなどで見回りをするけど、それでもやっぱり楽~

  ・放課後も、自分たちで勝手に校庭や公園に行って遊べる。16時になると『おうちに帰ろうね~』を促す音楽が流れてくれて(中野区は冬季は16時と17時の2回です)、時間も分かる。凄い。ケアンズじゃどこに行くのも車で送り迎え。私は大也のお抱え運転手状態だったからね~。

  そう、子供がケアンズよりかなり早く親の手元を離れるって感じだ。

  さて、友達と遊び出したら「自転車、買ってよ~!」の要求が大也から出た。「えっ?自転車~?危ないじゃん~」と私。なんせ、ケアンズの家の前の道は、どこが車道でどこからが歩道か分からないほど広くって、おまけに車の量だって少ない。そんな道に慣れていて、この東京の狭い道はとっても危ないじゃん!あっ!危険ッ!ていうシーンをよく見かけるよ。。。

  そうは言っても、いつまでもダメ!を通すことも厳しい。「オレさ、みんな自転車に乗ってるから、走らないといけないんだぞ~」。確かに、みんな乗ってるよね…。じゃあ、一度、友だちの自転車を借りて乗ってみよう!と試したら、あらま。。。。よろよろふらふらじゃないの~。

 4年間乗っていなかったらコツを忘れてるっ!本人もアレッ!?って感じで、ひとまずは私のママチャリで練習してからね、となった。

 

★オレはブレザーなんて持っていなかったから、入学する中学校の制服で卒業式に行ったぞ。 大也

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えっと…、学校は渋谷に決まりました。

2008年01月14日

 『アレ???今年、受験ですかぁ~?』という質問が読者の方から来てしまったので一応、事情説明を。

 前にチラッと書いたけど、帰国したのは約1年前。帰国後、大也は即、受験をして今は渋谷にある中高一貫校の中学1年生。滞在中の生活を書いていた”Part1”を終了して、”Part2”で帰国後の生活を書き始めたのが、この前なので内容がずれています。『日記』と思わずに、『エッセイ』と理解して下さい!いずれ、今の生活に追いつくと思います~。

  さて、私立2つと国立1つの、3つの学校の受験をしたんだけど、”帰国受験”は”一般受験”のように、入学の手続きの際、入学金やら授業料やらの納付に関して、あまり考慮っていうのがなかった。 

 大也が受けた学校の入試日は一番早い日程だったのが1月上旬。次が1月下旬。最後は2月上旬。受かったら、入学手続きに関する書類を受け取り、翌日には入学金&施設費などを振り込む。振り込んだ時点で、入学手続きが完了する。で、そのお金は、一旦振り込んだら、その後入学を辞退しても返っては来ない。 

 ということは、第一志望の学校の試験が一番初めにあれば問題ないんだけど、反対だとちょっと辛い。

 

  ★銀行に入学金を振り込むと、『合格通知書』から『入学許可証』に変わるんだよね~

  

 ちなみに大也は、1つ目が受かった時点で『この学校で良いや!もう受験しな~い』と言っていた。サッカー部も結構、いい感じで区大会などで勝っているし、JOBAで仲の良い友達も合格していて、一緒に過ごしたい様子だったし、入学金を振り込んだ。 

 でも、『他の2校の願書も貰ってあるし、折角だから受けてみようよ~』と受験をし、2つ目の渋谷にある学校に合格してみたら『やっぱり家に近い方が良いなぁ~。バス1本で通えるのはいいなぁ、オレ、山手線のラッシュとか乗りたくないし…』とか言い出した。

 さて、親としては実はコッチの学校の方が自由な校風で、ケアンズのかなりラフな空気の中で過ごしてきた身には良いような印象があった。それと、なんか私は、これまでの節目節目に”渋谷”が登場していて、な~んか渋谷に”縁”があるような気がしているんだよね。

  で、2校目に入学金をかなり太っ腹(?)気分で振り込んだ。分かってはいたけど、1校目の入学金は全く返って来ない!!!あぁ…、あのお金があったらアレも買えたのに、コレも出来たのに。。。と、なんとも言えない複雑な思い。コレって全然、太っ腹じゃないじゃん。。。

 もう、お金ないよ~~。こうなると3校目はどうなるんだろう!!??

  しかし神様はしっかり井上家の懐具合をご存知のようで、3校目の国立は落っこちたっ! 

 本人は『試験は結構出来たぞ~』なんて言っていたんだけど、大也は国立っぽくない感じだよね、なんか…。で、めでたく渋谷の学校に決まったわけです!

 

 

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受験の前でも武道館でカウントダウン

2007年12月29日

 受験生を持つ家庭…と言っても暢気なモンで、12月31日は藤井フミヤの”武道館カウントライブ”に家族みんなで行って大騒ぎ。ケアンズに住んでいた時も、年末年始は帰国していたから武道館に行っていて、家族の恒例の行事になっている。

 そうそう、私はチェッカーズのデビューの時(※確か1983年…)、彼らのデビュー曲、『ギザギザハートの子守唄』の発表&レコード即売会の司会を何箇所かでしていたことがあるんだよね。 

 チェッカーズはデビュー直後は、あんまり売れなかったんだよ!爆発して売れたのは2曲目の『涙のリクエスト』。この2曲目が売れてから遡って、デビュー曲も売れたんだよね、確か…。

 レコード会社の担当者に、『ステージを30分、持たせて欲しい。』なんて言われても、彼らの持ち歌は1枚のレコードで、A面・B面合わせても2曲。当時の歌は3分くらいと1曲が短いし、インタビューでつなぐといっても、話もまだまだヘタ…。大変でした(新人はみんなそうだけどね)、懐かしいなぁ~。

 見た目は、衣装はグループ名どおりチェックの衣装で、髪型もツッパリ君スタイル。けれど、楽屋で一緒にお弁当を食べている時は、方言もまだ混じっている芸能界にすれていない(?)かわい~い、幼~い男の子達でした!

 ってな経緯はあるんだけど、今は、息子の大也がファンクラブに入ってコンサートのチケットを買っているんだよね。こんなこと、当時は想像することすらなかったね。

  ★この写真は2005年年末の武道館。「ケアンズから帰って来て凍えそうな寒さだぁ~!」 大也

 

 さて、2校目の受験は1月後半。ここは英語の試験以外に国語や算数もあるし、競争率もかなり高いし、受からないだろうけど、まぁ一応、受けようか~みたいな感じの受験でした。なので、発表も学校に見に行かず、家でネットでチェック(※今はネットでも発表をする学校もあるんですよね)。そうしたら「アレ?!番号、あるぞ~~~!!!」って驚きの発見。それから急いで、デジカメ片手に合格書類などをいただきに学校に行ったしだいです。

 

  ★「合格証明書を貰ったぞ~。オレは運があるのか、本番に強いのか?!でも、はっきり言って、オ レは受かってるって思っていたぞ。」 大也

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面接

2007年12月22日

 3校受験をして、各校に面接があった。そのうち1つは親子面接。対応するべく、JOBAでの講習には"面接練習”もあった。

  講習では、面接室への出入りの仕方や、挨拶、一般的な質問に対しての答え方などを習った。例えば…、

・志望理由

・併願の有無、その優先順位の答え方

・自分の長所や短所

・尊敬する人、友達の紹介

・最近読んで感動した本

 そして、海外生活の部分から、『住んでいた国と日本との違い』、『あなたの住んでいた国や町の紹介』、『印象に残っていること』『海外生活で困ったこと』などなど・・・・・・。

  しかし~~~、大也に聞くと、全くそんな質問は出されなかったらしい。まぁ、確かにそういう練習を受験生はしているだろうって学校側も思っているよね。そんな用意した答えを聞いてもあまり意味ないってことだよね。

 で、3つのうち2校で出された質問には、簡単な自己紹介やら…の他に、凄い内容のもあった!※この面接は、合否に大きく関係する試験面接です!

 ・森林伐採の写真を見せられて、この写真について説明をして下さい

・地球温暖化を阻止するにはどうしたらいいか?

・北朝鮮の核問題についてどう思うか?

 ちなみにこれらは当然、英語で答える。

  また、5人のグループで『30人のクラスで遊ぼうと思っているが、どんな遊びをしたらいいか?』という質問について日本語でディベートもあった。

 大也曰く、『オレも頑張って答えたけど、女子はよく喋るなぁ~!』。でも、この”自然環境”に関することはケアンズの小学校で、かなり調べ学習をしたことがあったので、大也は『ラッキ~!』と言っていましたわ。

 

 

  ★「229番、あった~!!!」。まずは1校目、合格~~~っ!   

  ちなみに、親子面接の学校の面接は、確認程度のもので、合否に大きく関係する試験!ということではなかったようでした。この学校、子供への質問は英語で、親への質問は日本語でした~。『親御さんの英語力は関係ないですから』と…。

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塾の続き~

2007年12月18日

  それで…、大也の『短期受験勉強』は、年末に数日間と年明けに同じく数日間、JOBAという帰国生専門の教室に通いました。

  JOBAが経営する寮には、いろんな国から帰って来て受験勉強に取り組む子供たちがたくさん宿泊していて驚き~!自分たちが帰国生になるまで、その存在を意識していなかったけど、結構その数って多いと実感。

  "勉強慣れ”を全くしていなかった大也だけど、即、友達が出来て、その友達と遊んだり(?)話したりすることがとっても面白いらしく、そこでの勉強は苦じゃなかった感じ。

  で、住む学区の小学校へは、その受験が終わってから短期間だけど、通わせていただくことになりました。1月のその小学校は、受験のためお休みする子もいるようだし(インフルエンザや風邪予防とか、追い込みの勉強とか…)、落ち着いてからでいいかな~という勝手な解釈で…。

  さてさて、調べてみると帰国生を受け入れる学校は、私立以外で公立にもあるんだよね。私たちは中野区に住んでいるんだけど、中野区は第3中学校が帰国生対応をしているらしい。そこにも帰国生が多く通っているらしいし、いったい新中学生でどのくらいの人数がいるんだろうか???

  私たちはとにかく、覚えている英語を忘れたら勿体無いし、出来ればそこを伸ばせたらいいなって思い(漢字も覚えようね!)、帰国生への対応に配慮をしてくれる中学を選んで、いざ受験!でも、同じような考えの人は他にもたくさんいるわけで、そこには”競争”が存在。

 しかし、大也はパーティなんかのビンゴでも一等賞を何度も取ってるし、カジノのゲーム(子供用です!)も強いし、まぁ、”運”も味方にして、頑張るか!って感じで、3つの学校の受験に臨んだのでした。

 

 

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東京はお金のかかる冬~

2007年12月11日

 この前、受験はお金がかかる!ってちょこっと書いたけど、やっぱり東京暮らしは受験だけじゃなくお金がかかるトコだよね。 

  日本には季節が4つもあるから、衣替えも大変でしょ。おまけに”流行”なんていうものも、季節ごとに目まぐるしく変化して、毎年同じものも着られないし、更にお金がかかって大変~っ。まぁ、”流行”なんてものを追わなければ良いんだろうけど、まるっきり無視!もできないしねぇ~。

  ケアンズにも夏・冬はあるけれど、大袈裟な衣替えなんてなかったし、季節に合わせてファッションを気にするなんて感覚はあまりなかったなぁ(コレって私だけじゃないと思うんだけど…)。

  日本は周囲の景色・雰囲気が季節ごとに変わるでしょ。春は若い緑が芽吹き、柔らかい色の花が咲いて…、夏には緑は濃く生き生き茂って陽射しは強く照り付け、秋には辺りの色合いが一気にダークになって・・・・・・・・・・・みたいな。

 だから、秋に春の素材や色合いを装っていたらなんかヘンに見える。洋服が変わるから、靴やカバンやアクセサリーや化粧も変わる。よって、かなりお金がかかる!

 ポインシアーナの木

   ★ ケアンズの家の横の道。11月頃には鮮やかな色のポインシアーナが咲いていました

 

 4年ぶりに冬のど真ん中に舞い戻った私のファッション、流行より暖かぁ~い格好!を優先してしまう年齢だけど、受験で親の面接もあるし、とりあえず買い物に。

 でも、久々の人ごみには目が回るし(情けない)、人にぶつかって思うように歩けない(とほほほ~)。

 パンツを買おうって思ったら、知らない用語を言われて(細いパンツはスキニー?!それってやせっぽっち~!ってことでしょ)少々浦島太郎気分。『リハビリだなぁ~、しばらく…』って感じなんですけど。”年末ジャンボ”当たらないかなぁ~と思う日本の師走なのでした。

 

 

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ちょっとだけ、塾

2007年11月27日

 12月に帰国して、荷物の整理をしながら、即、インフルエンザの予防接種。

 ケアンズでは4~5月位に、インフルエンザの予防接種をやる人が多かった。その年の冬(6~8月くらいかな)に流行るインフルエンザが、次の年に日本で流行るんだよ、って聞いたことがあったけど、本当だったのかなぁ。 

  その次にやること、携帯電話を契約して、年賀状購入(?)。

  で、学校だ。東京の戻ったら、基本的には義務教育中だし、住む学区の学校に編入をする、っていうのがルール。でも、2学期はもうすぐ終わっちゃうし~と、その時点では見送った(違法?)。

 なので、その変わりに(?)帰国生を対象として開校されているJOBAという塾の"入試直前講習会”に通った。年内、数日間のみの参加(※年の瀬はなんとなく忙しいしさぁ…)。コレで何の役に立つのかなぁ?!と思いつつも、『気分は受験』ってことで…。情報も得られるかな~と思いつつね。

 

    ※友達との忘年会も12月の日本の光景だよね~ 

 

 講習会は、朝9時から18時くらいまで、1日間びっし~り。ケアンズ時代にそんな長い時間、勉強したことなんてま~~~っ たくないっ!耐えられるか????大也!

 しかし意外にも大也の感想は『おもしれ~っ。友達もすぐに出来たし、楽しいっ~!もっと長く行きたいぞ。追加で申し込んでくれ~』。 

 いやぁ、あまり勉強をしていなったので”勉強”が新鮮なのかも!?

  『オレの知らないことばっかり教えてくれるんだぁ。なんかさぁ、算数の問題を解くときに、楽なコツっていうのがあってさぁ、それを知ってたら、ケアンズで”四谷大塚”の問題集で苦労しないですんだのになぁ~』なんていう。

 マジかぁ???私がいっぱい予習して、教えていたというのに~。とほほほ。

  このJOBAには宿泊施設(寮)もあって、そこにはたくさんの子供たちが短期で住んでいた。親はまだ海外にいて、子供のみ受験対策でそこに住んで勉強をするのだ。凄い~っ。

 1泊食事付きで1万円位だったかな、で、勉強の講習会に参加して1日1万円位。ってことで1日で2万円かぁ。半月で、1ヶ月で、兄弟で、って考えると、うわぁ~、大変。ちなみにうちは送り迎えで、泊まっていませんけど。

 でも、日能研に春夏冬の講習会も含めて1年間行ったら100万円超える!って聞いたから、受験はお金のかかるモンなんだよね、何しろ。

  という、慌ただしい(?)井上家の2006年末風景。ということで、続く~

 

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受験勉強始めなくちゃ

2007年11月19日

 東京に戻ったのが12月中旬。当然寒い!

ケアンズ在住中も毎年、12月~1月にかけてSchool Holidayだったから数週間、帰国していたけれど、毎回、成田空港で『あぁ~、なんか冷蔵庫みたい』って感じる。辺りの風景も、冬の色に染まっているし(当然だけれど)、『なんか、暗いよねぇ~』って感じてしまう。それを”渋い”なんて、私にはまだ感じられない…

  以前、ケアンズの小学校の生徒に東京の12月の風景の写真を見せたら、『日本の木はどうして全部枯れているの?』と言われたことがあった。葉っぱの一枚もついていない木が生きているなんて見えないのだろう。ケアンズで一気に全部の葉が落ちる木を、私も見なかったし、やがて春が来ると新しい緑の葉をいっぱいにつけるなんて想像できないよね。

 

 ★イチョウも鮮やかな黄金色を楽しませてくれた後には、丸坊主~になっちゃうからね

 

 さて、12月ともなれば東京では受験生が最後の追い込み(?)をかけるシーズン。何も”大学受験”だけではなく、私たちの住む中野の学区の小学校も、結構なパーセントで”中学受験”をするようだ。早い子供は小学校3年生(1年生?)から”進学塾”に通うようで、複数の塾通いも珍しくないと聞いた。凄い…!

  全く塾には行っていなかったけれど、この前書いたように、英語の授業を”取り出し”てやってくれる(※帰国生を取り出して、別のクラスで、英語の授業をやってくれるということ)学校が良いよね!と、一般生とはちょっと違うけれど私たちも”中学受験”をしよう~と思っていた。よって、その試験対策(?)をせねば…!!!

  帰国生の受験科目は、学校によってバラバラ。国語・算数・理科・社会の4教科なんていう英語の含まれないトコもある。外国に住んでいても日本語学校に通っていた場合、勉強していた内容は日本の小学校と同じってことだからかな…!?

 英語のみ、あるいは英語・国語・算数、っていうトコもあるし、作文(日本語や英語)や面接(親子の場合もある)が付け加えられたりする場合もある。そういえば、外国在住といっても英語圏じゃないトコもいっぱいあるよね、はて、どうするんだろう?!

 大也は現地校で、その学校では「Science・理科」「Social studies・社会」なんていう教科はなかったし、日本の小学校の教科書は頂いてはいたものの、その教科書に沿って家庭学習なんてしなかった(頂いていながらすみません…!)し、4教科受験に対応なんてできるわけがない!

 だから、英語でなんとかするしかない。『ようっ~し、受験勉強だぁ~』と思っても、帰国したのは受験日1ヶ月前。 以下、次に続きます・・・・・

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ケアンズで受験勉強かぁ~

2007年11月13日

2003年にケアンズインした段階では、4年近くも住むことになるとは思っていなかったし(あくまで成り行きでした)、帰国後に大也が『帰国生』という枠で中学を受験するなんてことは、当初は全く考えていなかった。

そもそも私は、”お受験”自体に興味がなく(だからケアンズ暮らしをしていた?!)、ただ、英語とPCはこれからは必須だよね~なんて思っていたに過ぎない。

でも、どんどん英語を身に付け出し、その語学力を思うと、”帰国後もKeepできないものだろうか?!”と思うようになったわけ。

 で、受験なるものをネットで探り始めたら、そこには、思わぬ壁が…。

その受験資格には様々な規制があり、私たちのように会社の辞令による海外赴任ではない場合、受験できる学校がほとんどないじゃん、ってことが判明(ぴかぴか~Part1の”第70回帰国生と留学生”に書きました)。

あちゃ~、って感じ。

じゃあ、インターのスクール?!と思いつつも、日本の勉強もある程度はした方がいいよねって思い、初めて母親らしく”受験”なるものを考えた次第でした。

 でもケアンズに進学塾なんてないし、あったところで、週にサッカーの練習と試合が3回、加えてテニスも3~4回あって、これらはとっても重要!さらにフットサルや週末のBBQやダイビングなんかもかなり大切だし…。

うううっ・・・・・・・・。

★領事館のケアンズ出張所に申し込んでおくとケアンズでも日本の教科書をいただけます

 

 

じゃあ、自宅で四谷大塚のテキスト(塾の名前はよく聞くし、そこのならいいかな?って感じで選択)を日本から持ち込んでやろう!と親子で決めたのでした。

しかし、コレが5、6年生あたりの算数になるとかなり難しい!旅人算やら塩分濃度、時計算に周期算…。

それらを「X」を使わずに解く。家庭教師もいないし、いやぁ~、私、かなり予習をしました、じゃないと教えられられないモン。

大学院を休学してケアンズに来ていたワーホリの男性を見つけて、Help~の悲鳴を上げたこともあったけど、その彼だって、『難しい、一晩考えさせてください…』って言っていたからね。

で、とにかく帰国後に『受験』をして、中高一貫の学校に入学をし、その学校の『国際部』に今は通っているわけで、帰国後の奮闘(?)を次から書きますわ。

 

 

 

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ぴかぴかPart2を始めるにあたって…

2007年11月07日

 日本に戻ってきたのは、去年12月。ケアンズ生活およそ3年9ヶ月でした。どうも、お久しぶりでっす。

 親子留学でケアンズに行ったのは2003年。でもそもそも私たちが行こうとしていた町は、実はケアンズではなくハワイだったんだよね。ハワイには友人知人はいっぱいいるし、なんたって、好きだからね。

 で、2002年、ハワイで大也の小学校も何校か視察し、私の語学学校の授業料も一部支払い、ビザの手続きに弁護士さんも雇い、住む場所の目安も着け、少しずつ運んだ荷物はハワイの友人宅に置かせていただき、大使館に提出する渡航目的のエッセイを書き、様々な書類を集め(※豪州のビザの取得手続きとは様々な点で違いっていました)…、そんな姿を日本のTV番組に『ダンナを残して親子で留学!』なんて取材されて全国放送。が、なんと、最終段階でビザがおりなかったのよ。あっちゃ~~~!なんてこっちゃ。

 

 この写真、2002年8月。ハワイの小学校を決めに行った時。この時点で、渡航先がケアンズに変わるとは想像もしていなかった!

 

 米国では2001年NYのテロ以来、ビザの発給が厳しくなり、私たち親子に米国大使館は『あんたたちはなんかおかしい、本当の目的は何なんだ!?』『語学の勉強なら日本にあるベルリッツ(名前を出して言われたぞ!)でやればいいだろう』などと言われ、出してくれなかったわけ。おまけに出してくれなかっただけじゃなく、”出さない”なんていうスタンプをパスポートに押されのよ。後に聞くには、テロの犯人たちが学生ビザで米国に入り、学生ビザ発給にかなり制限がかかっていたみたい。だったら、雇った弁護士さん、事前に言ってよ~!って感じでしたね。

 しかし、ビザを出してもらえなくても海外生活を諦めたくない。留学計画をTVで放送もされ『いつ行くんですかぁ~?』などと、たびたび町内会で聞かれて立場もない!そんな路頭に迷う親子に『豪州ならビザ、いけそうだよ!』との情報を友人から貰い、渡航先を仕切りなおしてのケアンズインだったのでした。

 

 コレは2003年ケアンズインした頃の大也。ヤシの実ジュースと陽射しに熱帯を感じていまっす!

 

 で…、全く知り合いのいないケアンズでの暮らしは、135回に渡って『ぴかぴか~』で書かせていただきましたのでぜひ覗いて下さい。ハワイ大好きの私も、ケアンズでの3年9ヶ月はかなりに貴重な日々だったし、今となってはケアンズで良かった、って思う部分もホントいっぱいあるんだ。

 さて、大人しく(?)東京で暮らしていた私に編集部から、『リサさ~~ん、どうですか?そろそろ。帰国後の大也の様子とか…、書いて欲しいなぁ。親子留学のその後!行きましょうよ、ねっ!』とのご連絡。

私も来月からはラジオ番組もほぼ決まって再始動~ってトコなので、ケアンズのその後、Part2、始めましょうか。話は、帰国後の戸惑いあたりから…って感じでね。では、またどうぞよろしくです。

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プロフィール

Lisa InoueLisa Inoue
井上 梨紗(いのうえ りさ) 高校生の頃より、雑誌、テレビ、 ラジオなどのメディアで、モデルや レポーター、MC、エッセイストと して活躍。温泉、グルメ、旅行、競 馬、ダイビングなどをテーマに世界 中を飛び回る。 2003~2006年の4年間ケアンズ 在住。 著書 「リサの海外旅行術:フット ワーク出版」「ジェットスキーハウ ツー本」「F1グランプSUZUKA 公式認定本:扶桑社」など 現在は ㈱アレナトーレ:スポーツ マネージメント事業部で、 サッカー を中心にイベント企画、取材など。  ラジオ番組:「Viva!スポルト」コー ディネーター&レポーター 資格:国家潜水士、小型船舶操縦 2級、ダイビングCカード、日本語 教師など
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