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ケアンズ療法のすすめ       

お世話になっている先生が本を出版されました②

2014年03月18日

保坂先生のご著書を拝読させていただくと、色々な想念が浮かび上がります。未消化であるためでしょうから、浮かび上がってきた想念を一つ一つ感想として述べ考察してゆきたいと思います。

子育てのエッセンスは「母さん、佳く愛して」という題名ですべてが述べられていると考えます。これができればまったく問題がないのですが、長い時間もかかったと思いますし、労力を払ってご出版されて、世に知らせなければならないというのは、世間がそうなっていないということです。そして、良い方向に向かうための方法を先生のご経験から突き詰めてゆくのが今回のご著書です。

どうして、自然な母性が表現できない世間になってしまったのだろうという胸が痛くなるような悲しみや嘆きがまずの感想です。

その根は、明治時代の選択にあったのではないかと考えています。大砲を向けて、友達になろうなんていうのが来たのだから、そう選択せざるを得なかったと思いますが。

保坂先生は本文の中で留学して西洋文化に触れた夏目漱石と福沢諭吉を引き合いに出されています。自身の中で夏目漱石で一番印象に残っているのが枕草、福沢諭吉は脱亜論です。

西洋の認知メカニズムは創造主を設定しないと、必ず理論破綻をきたします。合理主義が西洋の美徳の一つなのに、合理的に物事を進めたり、また、原因の根を突き詰めてゆくと最後の最後で矛盾に突き当たります。創造主が必要なのに、ニーチェが言ったように、神が死んでしまったのであれば、認知の拠り所を失い、ひどい混沌と無秩序でパニックに陥いるわけです。無神論者の合理主義者はよく鬱になったりパニック発作を起こしたりするかもしれません。

枕草の冒頭で、夏目漱石は、この時点で哲学者は先に進むモチベーションがなくなるのですが、人の世は神ではなく人が作ったといっています。実際のところは神は死んではおらず、西洋文化の根底に深く根差しています。しかし、当時においてこれを認めることは、キリスト教が禁止されてきた歴史を含めて考えるとタブーだったのかもしれません。しかしながら、このあたりが夏目漱石が生涯にわたって胃潰瘍まで患い悩みに悩んだ原因であると考えています。

一方の福沢諭吉は、アジア隣国との関係を嘆き、欧米を志向してゆくのですが、たしかに脱亜論を読めば全くその通りで、何の疑う余地もなく正しいことを言っています。しかしながらここでもキリスト教的な隣人愛を育まぬまま欧米の物質的な繁栄だけを望むならば、歪なものになるでしょう。では、その欧米が隣人愛を実践したかといえば、そうは見えず、先住民を動物に見立てて狩りをしたり、口を便器に見立てて用を足したりと、そんなことをして何が楽しいのか理解に苦しむことをしていたわけです。隣国は頼りにならず、欧米に肩を並べなければどういう仕打ちをうけるのか、簡単に想像できるわけです。

当時の記録を見る限り、その残虐性は同胞にまで及んでいたようです。たとえば、禁止のために子供の手が腫れ上がるまで叩くのみならず、背中を鞭で叩きつけるという記録が残っています。では明治時代以前、江戸時代の子育てがどうだったかといえば、以前の記事でも紹介しましたが、ツュンベリーの『江戸参府随行記』よると、以下のような子育てです。

「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。」

キリスト教的な愛は、反省し悔い改めればどこまで赦してくれる深い愛が根底にあるため、自らの過ちを素直に認めることもできるわけです。

最近の心理学の論文を見ると、他人を傷つけることによって自らも傷つくことが明らかになりはじめ、歴史に気づき過去を反省し修正してゆく時代に入ったようにも見えます。

そして、これは子育てにも反映されはじめている歴史の流れを感じています。

江戸時代には、現代の脳科学や心理学の成果を取り入れている教育者が目指す教育が、実際に行われていたわけですが、、ケアンズでもこのような方針で教育を行っているスクールが多くあるのではないかと思います。

佳く愛するという具体的な方法は、まだ日本の風土と生活の営みが結びついていたころの江戸時代の子育てに回帰するのではないかと考えています。

それだけでなく、明治以降選択してきた認知メカニズムのなかで子供を育ててゆくには、これも以前の記事で触れましたが、両親は聖母様のようなキリスト教的な愛をもって子供に接することが必要なのでしょう。

ケアンズでは、お母さんの和やかな表情に出会うことがとても多くて、そういうお母さんの子供はとても安心しているのを思い出しました。

次回はこのあたりを念頭に置きながら考察を深めてゆきたいと思います。

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プロフィール

ymitsuiymitsui
三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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