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ビヨンド心医術:哲学で目の針を取り除く

2012年08月18日

心医術を出版したときには、まだ医学や理性の限界についてのフォーカスがぼやけていました。

医学原理主義から完全に目が覚めておらず、ぼやけていたのでしょうね。

 

ところで、よくテレビ放送や新聞で見聞きする、国民の皆さまという言葉。民という漢字です。

漢字は象形文字がベースですから、民が何をベースにしているかというと、奴隷の目に針を刺した絵がベースになっています。

「目」+「↑」で「民」です。針で目が潰されていますね。

つまり、奴隷が主人から針で目を潰され、盲目的に服従する人々というエッセンスを持ちます。

眠るが、なぜこういう形になっているのかも、簡単に推測できるでしょう。

 

目に針が刺さっていると、目先の狭い勘定だけが気になり仕方がなくなってしまうのかもしれません。

 

私は医師ですから、目に針なんぞが刺さっていたらそれを抜く治療をしなければなりません。

針を抜いて、もう一度、クリアな目を取り戻しましょう。

 

西洋の方々の、自分の力で物事を成し遂げてゆこうという力強さには、心底惚れています。

西洋哲学は、自分の幼さや未熟さ、無知、無能力に情け容赦なく光を当てます。

ノイローゼに陥るほどの、徹底的な内面探求、自己反省があります。

その成果は、1700-1800年代にすでに、自力で目の針を抜いたように思います。

(すでに紀元前300年にプラトンがプラトンの洞窟という概念で気づいていた気もしますが・・・)

 

まず、カントが、理性批判で理性の限界設定をし、つまり、目に針が刺さっていることに気づき、ヘーゲルが現象学で、盲目を暴いてゆきます。

 

東洋ではどうかというと、釈尊が「色即是空、空即是色」と説明しているのですが、これだけでは全くチンプンカンプンです。

さらにこれを一言で説明すると「玄」になり、ますますチンプンカンプンです。

 

これを、西洋哲学と照らし合わせて行きたいと思います。

 

色は、光の反射によって発生するものですから、光によって見える外界のことをさしていると考えて差し支えないでしょう。

そして、色は色情などにも使われ、内面の景色もしばしば表しますので、私たちが普通に認識できる外界と内面を合わせた世界全体のことを言うのでしょう。

ここで、カントやヘーゲルが説くように、人間の認識力には限界がありますから、データの取りこぼしがあることがわかります。

空はなにかというと、このデータの取りこぼし部分を含めた領域と似ているように思います。

認識能力の限界を超えていますから、見ることも聞くことも触ることもできず、このような領域はまさに掴みどころがありません。

しかし、こころで感じることはできますから無ではありません。

掴みどころがないけれども、掴みどころがないものを掴んでいるのはどう表現できるかといえば、やはり空が最も合うように思います。

 

さて、ここから先、西洋は混乱に陥ります。

西洋の力強さは、空が何かをも明らかにすることに向かいました。

ヘーゲルは人間の能力の前には、いずれ空はすべて認識しつくされると説きました。「色即是空」はなくなり、「色」だけになるということでしょう。

一方で、ゲーテはいつまでたっても人間にはわからないこともあるという考えです。「色即是空」の釈尊と似ていますが、若干弱く、紙一重違うように感じます。

針は目から抜いたけれども、「空とはなにか」というさらなる厄介事が・・・という感じでしょうか。

これはこれでスッキリせず、ひどい近眼ですが、目に針が刺さっているままよりは好きです。

 

少し話は飛びますが、ゲーテは、「人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は、 自分自身を嫌う心である」と説いています。

この言葉は本当に正しく、自殺をする人々に共通して見られる特徴は自分自身を嫌っているということです。

自分の中の何が、自分を好きになったり、嫌いになったりするのかはとても不思議です。

個人的には、自分を好きになったり嫌いになったりするのが(他に表現する方法がないので)魂で、このために自分を磨くことが大切なのだろうと思っています。

私には魂というものが良心などと結びついて、それが自分の行動を魂の基準で判断して、自分を好きになったり、軽蔑したりするようにしか思えません。

そして、魂の基準で自分を磨いてゆくとと、世間的な損得以上のものを見たいと切望し、目の針が抜けるのではないかと感じています。

 

また、自殺研究から、魂を粗末にすることがいかに危なっかしく、そして、魂を大切にすることがいかに重要かがわかります。

すべての方々が、自分を好きになれる社会になって欲しいですね。

 

そして、多くの方々が目から針を抜き、千里を見通すことができるようなクリアな目を取り戻したら、どんなにすばらしいことだろうと思います。

 

今回、自殺の話が出ましたので、次回はこれをもう少し深く考えてみたいと思います。

ケアンズには自殺からこころを守ってくれる以上のパワーを持っていると考えているためです。

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プロフィール

ymitsuiymitsui
三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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