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ケアンズに家を建てた方の座談会

ケアンズで家を建てた方の座談会

ケアンズに移住を決め、家を建てたお2組のご夫婦に、
経緯や苦労話、今の暮らしなどを語っていただきました!

まずは 、皆さんが海外で暮らそうとお考えになった経緯を
お聞かせ下さいますか?

渡邊英二氏(以下、英二) 僕は最初に1990年にオーストラリアへ来てとても好きになったんですよね。その後もケアンズを中心に年に2、3回は来て。

1996年に3週間ほど単身留学したり、会社の自己再開発制度という休職制度を利用して2001年に1年かけてオーストラリアを一周旅行したこともあるんです。パースも住み易そうでしたが、年をとった時のことを考えると、常時温かいし、留学した時にホームステイさせてもらった知り合いのオージーもいる、ということでケアンズに決めました

 

 

佐藤満す代さん(以下、満す代) 渡邊さんのところは男の子が2人いらっしゃるのよね。学生だったお子さんを置いて旅行した勇気はすごいと思うわ。教育や親戚のしがらみを置いてお父さんが決断した、というのは私達の周りでは珍しく感じる。

 

佐藤氏 佐藤さん

佐藤 勝巳 さん
「退職後は海外で」と昔から決め、世界各地を回った結果ケアンズに落ち着く。座談会の時点では定住して4年目。渡邊さんご夫妻の家は同じ通りの数軒先。

 

佐藤 満す代 さん
ガーデニングや手芸、ゴルフ、英会話レッスンと充実した日々を送る。ケアンズに住まれて最初の1年間で、日本からなんと80人のお客様を招待。

佐藤勝巳氏(以下、勝巳) 僕らは、海外で老後暮らそうと思っている人は奇人か変人だって思っているんですよ(笑)。農耕民族は、腰を落ち着ける民族でしょう。日本を離れるのはどうしても抵抗がありますよね。

僕らの周りでは、男性は海外へ出たくても、奥さんが「No」というケースが一般的なようですね。 渡邊さんのところは、ご主人がしょっちゅう出ていったから抵抗がなくなっていったんじゃないですか?

ウチの場合は、僕が30くらいから年に1、2回は海外旅行していたので、海外でも生活できそうだ、という感覚が2人の中でできてきたんですよ。

 

満す代 孫が生まれたときは迷ったけど、やっぱりこっちに住む方が魅力があった。

 

勝巳 近所、親族のしがらみ、つきあいが面倒になってきたんだよね。

 

満す代 というのは表向きの話で、とにかくゴルフをしたいという(笑)。
日本なら、年金生活で月に1回か2回のプレイがやっとでしょ。ここならコンディションが良ければ週に何度でも回れる。

私たち4人ともメンバーになっているハーフムーンベイのゴルフコースなんて、1回2、3ドルですものね。日本では考えられない。海外の色々な所でゴルフしてきたけれど、治安だとか、医療、水、空気、日本からの近さということを考えると、もうケアンズしかないと思えてきたのよね。だから理由の頂点はゴルフですよ(笑)。

 

渡邊和子さん(以下、和子) 私たちも(笑)。 

 


ケアンズに家を建てた方の座談会

 

勝巳 いや、一番大きな条件はやはり経済的なものですよ。ここなら家を建てても生活できる、と。

実は今住んでいる所も衝動買い。旅行の最終日にパラダイスパームズでゴルフをしていたら周りにきれいな家がたくさんあるので、こんな所に住めたらいいねって。

開発業者を聞いてみると、大京さんだったので、事務所へ行ってすぐ案内してもらったんです。空いている土地がいくつかあったので、その場でここって決めちゃった。頭金なんて持っていなかったから、翌週日本から振り込んだんですよ。

 

満す代 衝動買いとは言ってもね、15年間くらい色々な所を見ていたのよ。 ゴールドコーストも見たけれど、私たちにはしっくりこなかった。
で、ケアンズに着いた時、何だこれは、って。田舎な所が気に入ったのね。

若い時と、定年後では条件が違ってくると思うわ。飲み水がきれいで、水道水が飲めるなんてことが、条件の上に来ちゃうのよ。ケアンズは医療も私の感覚の中では整っているし、それになんていったって日本に近い!60を過ぎると条件が具体的になってくるのよね。

 


和子
 うちは、最終的には2人でゆったりとゴルフをできる所、ということが条件でしたね。

 

英二 20年位前から移住を意識し始め、駅前留学もしてました(笑)。
55才までには来たいと思ってたんですよ。体が動いて無理がきくうち に。

 

渡邊氏渡邊さん渡邊 英二 さん
ケアンズの家が完成したのは’03年12月。建築中8ヶ月間はオージーの家にホームステイし、半年くらい車椅子の方の介護などのボランティアを。写真が趣味。


渡邊 和子 さん
ご主人とともにご自宅のランドスケーピングに参加。ホームステイ中は、ボランティアで食事作りや部屋の掃除などを。現在は庭造りや趣味で忙しい。

満す代 庭仕事もお二人でしたのよね!最初、大工さんかとび職の方かなって話してたのよ(笑)。

 

和子 これ、ガーデニング焼けなんですよ。真夏に毎日ランドスケーピングやらしていたから。

 

満す代 ご自分でやろうというのは日本人離れしているわよね。

 

英二 前に住んでいるオージーがずいぶん助けてくれたし、佐藤さんからの物を含め、ご近所からいただいた植物が、うちの庭の植物の8割近くを占めているんですよ。

 


満す代
 渡邊さんは地域に溶け込んでいてダイナミックだわ。日本人とは思えない(笑)。

 

英二 うまくしゃべれなくても、近所の人なんかによく話しかけてコミュニケーションを取るようにはしていますね。パーティーに呼んでくれたりもしますよ。

 

満す代 知り合いで、ある趣味でプロ級の腕前を持っている人がいたけれど、外に向かないで趣味に没頭しているうちに、どうしても日本に帰りたくなって帰ってしまった方もいる。渡邊さんたちは、きっとケアンズを好きになれるわね。

 

英二 やっぱり住んでいる地域を楽しまなくちゃいけないですよね。

 

満す代 私たちは70才くらいまで、と10年間を考えてこちらに来たの。でも周りに80代でもとても楽しんでらっしゃる方がいるので、今は75才までに伸ばしたの(笑)。あと10年。

 

勝巳 運動量が違うんですよ、ここにいるとよく歩きますし。健康的に非常に良いと思いますね。
ストレスもたまらないし。(笑)。そういう意味でも生活環境として非常にいいですね。

日本にはどのくらい頻繁にお帰りになるんですか?

勝巳 我々は年に1回。帰りたくないんですけど、やむを得ず。母親に顔を見せるために義理でね。

 

英二 うちはオーストラリアにいる間に親が亡くなりまして。

 

和子 3ヶ月違いで姑と母が逝ってしまったんです。日本の家には息子が住んでいます。

 

満す代 それはいいわね。うちは空き家なんですよ。だからそういう意味でも1年に1回は日本に帰らないと。管理を頼んではいるけれど、なかなか。去年は水道管が破裂しちゃったの。自宅があると傷むし大変ね。

 

和子 売ることはお考えにならないんです?

 

満す代 そこが日本人なのよね〜(笑)。

 

勝巳 日本にしがみつきたいっていう自分もあるんですよね。

 

和子 家があるといつでも帰れるという安心感はありますよね。うちは息子に好きにして〜って言ってあるから気楽ですが。

 

満す代 あら、じゃあ帰ったら小さくなってたりして。

 

和子 いや、それは無理ですよ。主人は俺はお父さんだ、って態度ですからね。日本へ帰ってもマイペースですね。

現在はどのようなビザをお持ちなんですか?

英二 僕らは、日本にいる時にリタイヤメントビザを取りました。

 

和子 今年の10月で丸2年になります。早いものですね。

 

満す代 リタイヤメントビザって取得条件が年々厳しくなっているでしょう。でも、オーストラリアが我々を受け入れたくない気持もわかります。だって日本からの退職者ビザの人が増えたって、オーストラリアにプラスにならないじゃない。お金もほとんど使わないし。

勝巳
 色々考えると、確かに国にとってプラスにはならないですよね。だって我々は年間の税金だってそれほど払っていないし、生活費が安いですし。
働いていないから所得税も払わないですからね。ここは収入のある人からはずいぶん税金を取るでしょう。

 

前に、一人暮らしの日本人のおばあちゃんがいたんですよ。日本の年金を日本から振り込んでもらって生活していて。その方が来た15〜6年前は簡単に永住権が取れた時だったらしくて、永住権を持っていたんです。だから年金所得に対する課税が大きいんですよ。年間で2万4〜5000ドルの収入(年金)で、約5000ドルの税金だったそうです。

 

 

退職者ビザは居住者じゃないですから、水道代やらゴミの収集などが年間500ドルくらい、それに地方税で、年間の税金はでトータル1200ドルくらい、あとは車の税金を払うだけなんですよ。 そのおばあちゃんとは同じような生活をしながら、ビザの違いで不合理で申し訳ないなと思っていました。

 


満す代
 でも退職者ビザ取得の条件がどんどん厳しくなっているようだから、今後はどうでしょう。

 

英二 私達はギリギリで取れて良かったと思います。
会社を辞める時期と条例が厳しくなる前と丁度合致したのでいいタイミングでした。

ケアンズに住もうと思われてから
土地探しや家の建築でご苦労はありましたか?

和子 主人は本当はもっと田舎に住みたかったようですが、あまり人里離れている場所は私は不安だったんです。

 

まずは新聞で場所を探し、色々なモデルハウスを回って、ビルダー(建築業者)を決めました。間取りやキッチンの使いやすそうなデザインが決め手でした。

 

英二 旅行中も家の写真をたくさん撮って歩いていたんです。
契約の時はオージーの友人に手伝ってもらいながら進めました。配管なども仕事の関係でわかっていたので、工事が始まってからは1日に1回は必ず現場に行き、図面と寸法が違わないかなどチェックしてました。

実は、天井の高さが違っていて、友人が裁判にかけるなんて憤っていたのですが、図面にサインをしてしまっているから無理だと諦めました。

 

佐藤ご夫妻勝巳 我が家もこの間、増築したのですが、仕様変更したいところは自分で絵を描いて説明しましたよ。

 

満す代 私がビルダーだったら怒っちゃうわ。すっごく細かいんですもの。大工さんにお茶出して仲を取り持ったりして気を遣ったわよ(笑)。

 

勝巳 こういう屋根にしてくれ、と頼んだのに工事が始まってから構造上変更になってしまって。でも変更分の材料費が浮いたとかで、ペイビングに回せたから良かったけどね。

母屋も建ててくれたビルダーだったから良心的でした。毎日帰る頃にボスのような人が来てチェックして、翌日の工事の段取りを付けていくから効率良く作業が進んでましたよ。

 

英二 それは良かったですね。うちは途中でスーパーバイザーが辞めてしまって大変でした。

 

和子 今、建築ブームだから人手が足りないみたいですね。辞めた後、1ヶ月も後任が決まらなかったんです。工期の進み具合は業者によってずいぶん違うらしいですよ。中には図面を読めない人もいるとか。約束しても来なかったり…。

 

満す代 ビルダー選びが重要ということね。来るはずなのに来ないなんて話はよく聞くわ。

 


英二
 モデルハウスを見ただけではわからないから、実際に家を建てた人の話を聞くのが一番じゃないでしょうか。

 

満す代 私たちにとっては、外国に家を建てるなんて、人生最後の大勝負くらいの気持で念が入ってますから(笑)。
でもこれまでのノウハウを集結して、と言っても日本の常識とは色々違うので難しいですよね。

 


英二
 理想は、やはり家を建てる前にロングステイをしてみることでしょうね。短期だと後で問題が起こるかもしれない。

 

勝巳 日本人は一度家を持つとずっと住もうとするけど、こちらの人はどんどん移るせいか、家の造りも日本人が期待するほど丁寧じゃなかったりする。

家内の弟が一級建築士で、うちは合理的な良く出来た家だなんて言ってましたけどね。

 


満す代
 渡邊さんの成功は、それまでオーストラリアによく来ていたり、地元の友人がいるといった歴史があるからでしょうね。日本人はなんといっても細かいですからこちらの人とは基準に差があります。オージーから見ると神経質すぎるかも。

 

英二 僕も、国が違うんだから、と(工事に関しては)考えを切り替えましたよ。

 

和子 でも、タイルの隙間とかはやっぱり許せなくて、「材料置いてって。自分でやるから」と思わず言ってしまいました(笑)。

貼っていない所もあったので理由を聞いたら、「手が入らない」(笑)。そこも私がやることになりました。

 

勝巳 郷に入れば郷に従うのが一番なんでしょうね。

 

最後に、今のケアンズでの生活を100点満点で採点したら
何点か教えて下さい。

座談会1和子 80点くらいですね。まだ庭造りが終わっていなくて生活にゆとりがないので。慌てることはないんでしょうけど、オーストラリアの色々な土地の話を主人からよく聞かされるので私も旅行に連れて行ってほしいですね。

 

英二 僕は98点です。本当に満足しています。

 

勝巳 僕も98点くらいかな。ここで手に入らない日本の食べ物が恋しいという点でちょっとだけ減点。

 

満す代 私は90点。私も山菜とか美味しい佃煮などが恋しいわ。マイナス10点は、孫から遠い、というところですね。

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