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エッセー

その50 公の意識

2007年09月05日

100%母親業に打ち込んでない私だが、たまに学校へ行ったり、子どもや友達の態度で気づくことも色々とある。

その一つが、「公」の意識だ。

例えば、教室のお掃除当番がなくて、掃除は、清掃の大人が来てやってくれるもの、と思っているここの子どもらは、身の回りが結構汚い場合が多い。

自分で掃除をしないから、汚すことに鈍感になっていくのかもしれない。

はっきり言って、職場でも机周りが汚い人が多いから、大人になって掃除しよう!という感覚が育つわけではない気がする。

昔、インドへ行った時に、落ちている物を拾おうとしたら、拾うことが職業の人の仕事を奪うからダメ、と言われて驚いたけれど、ここはオーストラリアだからなあ。ゴミが溜まってたら捨てようよ…。

うちは週に一度、お掃除の人が来てくれている。この間は、息子の棚にある物を全部どかして拭き掃除をしてくれた。が、息子の奴は、散らかされた、と怒っているのだ。で、私も「埃が溜まる前に拭きな!」と怒った。

やっぱり、学校では当番でもいいから、掃き掃除、拭き掃除をした方がいいのではないかと思う。

お弁当だって、教室で食べないで外で食べているのは、教室が汚れると先生が困るから?

と、嫌な考え方をしていたのだが、これはダンナが「ずっと教室の中にいるなんて良くない」と、オージーライクなアウトドア派の意見を言ったので、そうかも…と思った(ピクニック好きだからなあ)。

あと、人のモノは自分のモノ、という感じの行動が目立つ。

学年が始まる前に、2ダース分の鉛筆の先をナイフで削って名前を書いた苦労はどこへ行ったのだろうか。

本当に、見事に鉛筆が減っていくのだ。多分、子ども同士で使っちゃったりしていつの間にか誰かの所へ行ってしまうのだろう。 

鉛筆だけではない。他の文房具もしかり。屈託がないというか何というか。

私はケチなのかもしれないが、人様のモノを借りたら返すのは当然だと思うので、子ども達にも、間違えて誰かの文房具が混ざっていたら返すように言っている。

アボリジニは、持っているものを皆で分け合うという文化があるらしいけれど、オーストラリア人って、そういう訳ではない…。貸し借りについては、単に公的意識に欠けているだけだと思う。

大人でさえ、芝刈り機とか、靴とか、銃とか、平気で人に貸して永久に戻ってこないものがあるので(あ、大人ってダンナのことだ)、公の意識が欠けているのか、逆に私的意識がないのか、よくわからない。

また、人の家を自分の家のようにふるまえるのも日本人と違う点だ。

この間は、うちに泊まりきた人が、自分の靴を私の靴箱に納めていた。これがこの家のルールだ、とすぐに気づいて順応してくれたのだと思う(でも見慣れぬ靴が入ってたらびっくりする)。

冷蔵庫も平気で開けるし、モノを入れるし。やりたければ、「シャワーでも浴びるか」とか言って勝手に浴びるし。今では慣れたけれど、最初の頃はビックリ。

日本人なんて、わざわざ「お手洗い貸して」と聞くというのに。

こうした公と私の意識の相違は至るところにあり、中には尊敬できる部分もある。

一つは、個人主義でありながら、オーストラリア人の間には助け合いの精神が自然と根付いていること。

厳しい開拓時代に生き延びるため自然とそうなったのかもしれない。

私的に困っている人がいると、公として助けようとする動くのは、素晴らしいと思う(津波の時とか、地震の時とか、難民問題とか、すごい速さで色々な組織が出来、助ける動きを取った)。

この国に14年くらい住んでいるが、オーストラリア人の公私の感覚と、自分たちのそれとの違いを未だに感じる。

いいとも悪いとも言えない違い。でも、明らかにいいことは、それぞれの国から取り入れられるハーフの子どもはラッキーなのでは?

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