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エッセー

アボリジニの人々

2007年09月10日

1.ボディペインティングを施している最中のアボリジニの人々

2.ヤムを掘る男性 1908年ダンク島にて

3.葉っぱでできた小屋の前で。色々な用途で使われていたディリーバッグを編んでいる女性たち

4.キングオブケアンズのプレートを下げたYe-i-nie。1905年。白人に対して協力的だったアボリジニの人は、地区ごとにキングと称され、選ばれた証拠にキングプレートが与えられた

5.ケアンズ地区の熱帯雨林に住んでいたアボリジニ部族。コロボリー前に撮影した一枚。1895年

 

 アボリジニはどこからいつやってきたのか、はっきりしたことは明確ではありません。が、研究の結果、4万年近く前からオーストラリア大陸に暮らして来たという説が一般的です。
ケアンズ周辺で一番古い遺跡は、チラゴー(Chillagoe)のWalkunder Arch Caveという場所で、およそ1万8千年前のものとされています。
自然と共生する、という彼らの暮らしぶりや文化が、白人が来るまでの長い長い間、伝えられ続けて来たことは、驚きに値します。
オーストラリアにヨーロッパ人が上陸した1788年頃、オーストラリア大陸には500〜600の部族に分かれた、30万人近いアボリジニが暮らしていたと言われます。
一般的に、アボリジニの人々は穏やかで、なるべく白人を避けるようにしていたようです。
1848年にエドモンド・ケネディという人の一行がカードウェルからケープヨークまでトレッキングしていた最中に、「血に飢えた原住民に暗殺された」という記録があるのですが、真相は、彼等の土地に無断で入ったために、槍で刺されたのではないかと言われます。
1860年代になると、クイーンズランド州の北、つまりこの地区にも多くの白人が移り住んできました。
更に、1873年、1876年と、金が発見されると、白人や中国人がどっと押し寄せます。
白人の入植と同時に、アボリジニの人々は、狩猟場所を追われ始め、白人たちの家畜や食料を狙う人々も増えました。
それまでは白人に興味本位だったアボリジニの人々も、狩猟地を追われて次第に怒り出します。
人食い人種と言った記述も残っていますが、ほとんどが誇張です。
ニュージーランドの先住民、マオリのように土地を守るために戦争を起こすと言ったことは、アボリジニの人々にはありませんでした。
彼等の戦いは、どちらかと言うと部族どうしの小競り合いと言ったもので、本来、穏やかな民族なのです。
ケアンズの熱帯雨林に住むアボリジニと白人の関係を研究したティモシー・ボトムスは、その著書の中で、2つの民族の出会いについて記述しています。
自らを「バマ」と読んでいたジャブガイ族の人々の暮らしの全ては、ブールールーと呼ばれる掟によって、制されていました。
この価値観を白人が理解しなかったことが、後の悲劇を招いた、と彼は言っています。

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