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エッセー

ナパーム弾 Vol.84

2009年01月10日

 「こりゃ、ヒデェ」息を呑んだ。

 

その男、足を投げ出すように、雑踏の路上に座り込んでいた。

足の皮膚の色が気味悪いほど青白く、その中にまるで雨上がりの水溜りのように赤い筋肉層が露出していた。

 

つい最近、足の皮をベリッと剥ぎ取り、その傷跡がようやく治りかけたかのように、生々しく見えた。

ナパームに違いない、と思った。

 
私は狭い露地が入り組んだ、サイゴンの下町を歩いていた。

アチコチの路上でローカル達が車座になり、膝をかかえるようにしゃがみ込んで、ドンブリから何かを食べていた。

 
彼等は食事時、日本人のように大声を上げたり笑ったりする不作法はしない。

自分達だけに聞こえるように、実にしめやかな会話をしながら食事をする。

 

 
以前はよく、気が向いた時に、妻と二人でフラリと旅に出た。

 

別に何処でも良く、目的もなかった。

いわゆる観光名所という誰もが行く場所には興味がない。

その土地や国のローカル達がたむろする所がいい。

連中がどんな物を食べ、暮らし振りを感じて見る。

 

買い物はする。その土地のガラクタを売っている店を捜す。

以前は結構面白い物を見つけたが、今はもうそんな面白味はなくなった。

むしろインターネットのオークションに面白い出物があったりする。

 
男の写真を撮ろうと思った。

通行人をやり過ごし、カメラをセットした。

 

 
ベトナムが百年に及ぶフランス統治からようやく独立したのが、第二次世界大戦終結後の事。

しかし独立後の政権をめぐり、コミュニスト党と人民解放軍との内乱で、国を17度線で南北に分け争う事になる。

 

北をソ連や中国が支援したら、おせっかい屋の米国が南に入って来るのは目に見えていた。
それにしても、物量と近代戦で仕掛けてくる米国に対し、モグラのように全長二百キロ以上にも及ぶ地下壕を掘り、ゲリラ戦法のみでよくあれだけの戦いが出来たものだ。

 
第二次世界大戦中は日本も世界を相手によく戦った。

日本軍は正統に評価して、世界でも優秀な軍隊だった。

しかし軍部上層が独走した。

 

無謀な作戦で優秀な人材を殺し、赤紙一枚で民間人を、まるで消耗品のように前線に送り続けた。

作戦を命令として受理し、玉砕するまで戦った将兵こそ日本軍の真髄であったのに、戦後の風潮は彼等を、無駄死、としか評価しなかった。
兵士を死に追いやった上官達の一部は、戦争が終結するといちはやく、軍の物資を横領して姿を消したという。

 

大本営の参謀以上は、全員責任を取って死ぬべきだった。

 
前線で兵と共に苦労した心ある上官は、ほとんどが死ぬか、生き残っても勝者の一方的裁判であった極東裁判で死刑になった。
私は日本の戦国大名、という連中が、どうも好きになれない。

 

勇猛果敢で英雄めいたイメージがあるけれど、日和見主義で強い者なら誰とでもくっ付き、裏切り行為は日常茶飯事。だからこそ家族を平気で人質に出したりする。

 
私の嫌いな武将の一人、小早川秀秋。

西軍にありながら事前に東軍に通じ、関が原の戦いが始まっても、陣を張った松尾山から動こうとしなかった。

形勢の良い方に寝返るつもりだったのだ。見かねた東軍が背後から威嚇射撃をあびせ、ようやく動いた。

 

これが家康側東軍の勝利の切っ掛けになった。この時代は、裏切り、を悪いとするモラルは、存在しなかったのだろうか。そんな気がする。
日本人の性格の一つとして上げられる日和見的な動きは、もしかしたら戦国時代から培ってきたのかも知れない。

 

その反面、死ぬと判っている戦でも、道義を通すという世界的に見ても類いまれな精神性をも兼備している妙な民族なのだ。

 

 
倒れる幕府に最後まで誠を通した新撰組。

諸藩が次々に新政府軍に恭順する中で、白虎隊まで編制して抵抗した会津藩。

自分の一死で、国や親や恋人が救えると信じて征った特攻の若者達。

最後の一兵まで戦って玉砕した将兵達。
又又マツモトが、古臭い事を言ってるヨ、と思わないでおくんなサイ。

 

アメテャン達は、実はこの日本人の他人の為にも死ねる、という精神性が怖かった。

だからこそ戦後8年に及ぶ日本支配中、日本人の精神性に影響を及ぼすと考えられるあらゆる文化、歴史的事実、道徳、歌曲等々、六千五百項目にも達する日本の事実を全て禁止又は抹消したのだ。

 
米軍の占領政策は、敗戦のショックと軍部への不信感、日和見主義のある新しい物好きの日本の国民性に、民主主義、として受け入れられ、これがマァ大当たり。

 
そして戦後60年も過ぎると、30%以上の若者が自分の国を嫌いだと言う。

国旗といえば、オットリ刀で息巻く日教組。それをサポートする日本の大新聞。

道徳もなくなった。

 

子供が子供同士、又は親を殺す。

ところが親も負けてはいない。

簡単に子供を殺ってしまう。

米国もこれ程までに彼等の占領政策が、日本の精神文化を破壊してしまうとは思いもしなかったろう。

 

現在の世相の原点は、戦後の極東軍事裁判と米の占領政策にある。
 今でも中国や朝鮮に尖閣諸島や竹島問題、北鮮の拉致問題などでベロベロにナメられている日本の外交の将来は、二つしかないように思う。

 

今の世界、均衝を保ち発言力を持つには、武力が要る。自衛隊を日本陸海空軍に昇格させ、軍備の充実に努める。
さもなくば徹底的に米国に尻尾を振り、米の翼の下に入り込んで、米に代弁するように仕向ける方針を取る事だ。

 

さもないと中国や朝鮮問題は解決しない。

 

 
その男にカメラを向けたものの、途惑った。

 

ベトコンの抵抗の強さに業を煮やした米国。

 

日本の各都市を無差別に焼き払い、百万以上の民間人を殺傷した焼夷弾よりさらに強力な爆弾を開発した。

ベトコンの疑いがあるならば、皆一緒くたに殺ってしまえ。

実に米国らしい。

この男は年齢から見て、子供の頃にナパーム弾で焼かれたに違いない。

 

戦後30年をどうやって生きて来たのだろう。
考えていたら私が興味本位で写真を撮るような人間性のない人間に思えてきて、シャッターが押せなくなった。

ヌッと同じような年頃の女が顔を出してきた。

鼻から下、口、首、胸から手先にかけて、ゴムバンドを束ねて引っ張ったようなヒドイ火傷のひきつれがあった。

同じくナパームの被害者だ。

私はなにやら息がつまるような思いがし、カメラを仕舞うと妻の後を追った。

 

 
日本は確かに豊かに贅沢になったけど、その物資的な豊かさを懸命に追い求めた中で、忘れつつあるものがある。

 

 

その原点が戦後の戦勝国による古領政策と日本を悪者と決めつけた一方的な極東軍事裁判にあると私は考える、しかし民族の血というのは、そう簡単に消えてしまうものでもあるまい。ただ戦後の教育という蓋をされ、皆が気が付かないだけなのだ。

 

日本から道徳という観念がすたれつつある現在、なぜなのか、という疑問をもう少し突っ込んで考えてみなければ、表面上の対策では解決できない問題と言える。

 
もしベトナムが戦後の日本と同じ立場に置かれたら、どうなっていただろう。

 

 

ベトナム人には日本的日和見主義と新しいものに飛び付く性質、よく言えば従順、悪くて軽薄。

それが少ないように思う。米の占領政策は日本人だから大当りしたのだと思う。

 

という事は何かの切っ掛けさえあれば、日本は正常に戻る、という可能性があるという事だ。

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