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エッセー

其の74 現代史を読め

2007年09月05日

「コリャ、ヒデエなア」 思わず声が出た。
その刀、刀身が銀色なのだ。錆止めのつもりなのだろう。
ピッタリとペンキが塗ってあった。
柄を止めてある目釘を抜き、柄を外そうと試みたが、
まったく動かない。戦後30余年、柄を外した事がないらしく、
中心が錆付いてしまっているからだ。
鍔と柄の間にドライバーを差し込み、テコの応用で、
用心しながら押し上げると、ジャリジャリと錆音を立て、
柄がズルリと動いた。中心は錆の固まり。
堅いブラシで強く擦ってみると、
錆の下から文字が浮いてきた。
九州肥後同田貫。
何と、天正年間(1573〜1591)の
同田貫一族の刀だ。

ケインズのハーバーマスターが、
日本兵から没収した刀を持っている、と聞いたのは、
もう前の話。
何とか見たい、と思ったが、
この男、大の日本人嫌い。
日本人に売る位なら、海の中に放り込んだ方がまし、
と取り付く島もない。
マスターの息子の友人が、私の道場の弟子だったので、
内緒で見る機会を得た。

私はこの頃、豪州に眠っている日本刀を、
懸命に追っていた。持ち主と言えば、
当然大戦中に日本軍と戦ったDIGGERがほとんど。
日本人嫌いも多い。
私を日本人と知り、門前払いをくったこともある。
戦後まだ30年の当時。
過去白豪主義で名を馳せた豪州人の間に、
そんな風潮が残っていたとしても、不思議ではあるまい。

ところが60年もたった先日の、
ANZAC DAYのテレビインタビュー。
"BLOODY JAP
I HATE THEM EVEN NOW "

一人のDIGGERがにがにがしく呼んだショットが、
大写しになった。彼の息子も退役軍人。
歴史あるトルコのガリポリの慰霊祭に参加するという。
そのインタビューに、関係のない父親が顔を出した。 

過去2、3年のANZAC DAYの盛り上がりには、
目を見張るものがある。
私は別に、その国の戦いの歴史を振り返り、
国の為に犠牲になった人々を祀る事が、
悪いと言っているのではない。
むしろ日本人のようにまったく無関心のみならず、
自国の為に死んだ人々を偲ぶ事もせず、
祭日や学校に自国の国旗さえも拒否するという、
異常な風潮より、はるかにプライドの高い、
自然な感情だと思っている。

テレビのどの番組を見ても、
ガリポリ中心の戦争番組一色。
今年は新たに、第二次戦中の日豪の激戦地、
パプアのココダ縦走も組み入れられてきた。
派手になるANZAC DAY。
この背後には、
どうやら右系の団体の仕掛人がいるような気もするが、
このイデオロギーがこれからどう動くのか、興味がある。

この風潮の中で調子に乗った
テレビ局のDIGGERのインタビュー。
日本との交流の中で、
メディアの常識を疑うような放映ぶりだが、
豪州人、特に知識階級には、
大なり小なりそのような見方が心の中に存在する、
という事は、否定出来ないだろう。
その番組を見た時、私しゃ、ムーッとして、
カチンときたヨ。
戦後も白豪主義も、まだ尾を引いている、という事だ。

連合国側の報復とも言える極東軍事裁判。
いわゆる東京裁判が終わったのが昭和23年。
裁判長のウェップは白豪主義の権化のような豪州人で、
どこやら地方裁判所の判事。
パプアに於ける日本兵の捕虜虐待の検察官だったのに、
何処でどうやったのか、裁判官も兼ねた。
検察官が裁判長を兼ねる、という裁判は、未だかつて、無い。
これに文句を言った良識ある米国の弁護士数名は、
裁判長の名のもとで、裁判から除籍されてしまう。

つまりウェップは、日本憎悪のあまり、
日本戦犯全員を死刑にしてしまう、
という判決をあらかじめ懐に入れ、裁判に臨んだのだ。
東京裁判は裁判ではない。
ただ日本憎し、の報復行為に過ぎない。
この裁判ほど、日本にとって、
国辱的な出来事は、歴史上にない。

連合国は、国際法で禁止されていた原子爆弾を使用し、
且つまったく無差別に日本中を夜間爆撃し、
何百万人もの民間人を殺傷した。
そんな連合国側に、
日本軍の捕虜虐待を追求する権利があるのか、
という正論は、ウェップにより完全に無視された。

パプア東部域のダルピール海峡では、
日本軍第十八軍7300人を乗せた10隻の輸送船が、
米豪の戦闘機により全船撃沈。
これは戦争だから仕方ないとしても、
その後が問題。
漂流する日本兵を連日捜し続け、
空から機銃掃射で5000人を射殺。
これは戦争犯罪に匹敵する。
事実は隠蔽され、東京裁判では問題にもされなかった。

私の妻は幼児の折、畑の中を父親と歩いていた時、
急降下してきた連合軍の戦闘機の機銃掃射を受けた。
地面に伏した彼女のすぐ横を、
土煙りを上げて通過した機銃弾のショックを、
今でもハッキリと覚えていると言う。
戦闘機のパイロットにとって、
彼女達は、動的射撃という遊びでしかなかったのだ。

日本はポツダム宣言の条件を呑み、
それを受諾した上で、降伏文書にサインした。
宣言の履行を信じ、サインした。
これは有条件降伏で、日本人の信じる無条件降伏ではない。
ポツダム宣言には、マッカーサーを長とする連合国側に、
裁判を組織する権利は、謳われていない。
つまり彼等には、日本戦犯を死刑する事は出来なかったし、
裁判そのものが、国際法違反であった、と言える。
日本側が信じて受諾した宣言は、
連合国側に完全に無視された事になる。
勝った側にのみ正義は存在した、と言う事だ。

日本の戦後は、国際法違反である
国辱的東京裁判からスタートした。
連合軍は厳しい言論、出版統制を実施し、
彼等に不利になる一切の発言、出版を禁止するのみならず、
メディア、学校教育を通し、
日本のみが世界の悪者であるというイデオロギーを、
日本国民に徹底的に叩き込んだ。

日本的な精神を高揚する武道、
日本刀制作等の伝統工芸、神社、歴史等、
全て禁止された。昭和27年の独立後、
これらは連合軍統制のもとで、
少しづつ戻ってきたものの、
例えば日本刀制作は、
刀工一人につき月二振りしか鍛刀出来ない。
この法律は今でも生きており、
これでは刀工は食えないので、
千年にも及ぶ世界に誇る日本の伝統は、
無知な日本人により、消えてゆく運命にある。

日本という自分の国が嫌いだ、
というひねた若者が増えているという。
現代史に蓋をし、国旗に反発させる学校教育者。
自国の良さを知ろうともせず、
日本を世界の悪者に落し入れた米国に、
尾を振り続ける戦後の日本人像の原点は、
繰り返すが、国際法を無視して一方的に実施された、
日本憎悪の東京裁判と、その後の占領政策にある。

エエ加減で目を覚ましヤンセ、
と日本人に言いたいけれど、私だって豪州に来て、
外からジックリと日本を見つめなかったら、
こんな事、テンデ考えもしなかった。
私はまだ40年しか豪州に住んでいないけど、
一番良かった事は、別に好きな空手で食えた、
なんてエ低次元的な事ではなく、
日本が少し分かってきた。日本人になれた、
という事だと思う。
これで豪州で死んでも、
日本人、として死ねる。
その時の遺言。若者達ヨ、現代史を読め。
 

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