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エッセー

教育と綿の栽培で実績を残した博士

2007年09月10日

記事と直接の関係はありませんが、ケアンズ周辺の学校の写真をご紹介します。

1.クックタウンのセントメアリー修道院1905年

2.ケアンズセントラル州立小学校。1909年。当時603名ほどの生徒が通学。現在は取り壊され、オアシスリゾートが建っている。

3.ケアンズ州立高校1920年。(94年に焼失)

4.エッジヒル学校(後のケアンズノース学校)1918年

5.ケアンズで初めての学校でエスプラネードにあった。1883年。 

 

 今回は、カラボニカ(Caravonica)小学校の名前に縁のある、デイビッド・トマティスについてお話します。
イタリアからの移民であり、オーストラリアで教育を受けた後、タウンズビルでグラマースクールの校長となった、トマティス氏。
彼がケアンズに来たのは1884年の10月、ケアンズの港が開港した数週間後のことでした。
フレッシュウオーターに1000エーカーの土地を借り受けたのですが、この頃、洪水やサイクロンなどで、近くのスミスフィールド村は消滅。
それでも、ケアンズの将来性を感じたトマティスはこの地に残ることにしました。
彼は、科学と農業の博士でした。その知識を使って、自分の土地に、米、ココア、コーヒー、ナツメグ、クローブなどを栽培します。
土地は、彼がファーノース地区に移住してくる前に亡くなったと言われる妻、ベロニカから取って"カラボニカ"と呼ばれました。カラは、イタリア語で愛、ボニカはベロニカを短くした言い方です。
(カラボニカ州立小学校の名は、トマティス氏の教育における功績を讃えて付けられたものと思われます。   実際、彼は1886年頃、エスプラネードにグラマースクールを、現ホワイトロックとエドモントンの間に小学校を開設しました。)
その頃、中国人の移民が綿の栽培を試みており、現在ストックランドショッピングセンターになっている所には、ホップワープランテーションと呼ばれる農場がありました。結局、綿の栽培は失敗に終わり、この土地はサトウキビ畑になります。
この後、農業の権威でもあった彼は、自ら綿の栽培に挑戦します。
そして、ホップワープランテーションからの原料となる野生植物と、ペルーやメキシコから取り寄せた種を掛け合わせ、丈夫なコットンを作ることに成功したのです。
このコットンのサンプルは世界中に送られ、アメリカ、インド、イタリアなどから、種の注文が次々と入りました。
彼は綿を栽培するために、更に広い土地を耕し、綿繰り機を輸入して、産業の発展に努めました。
しかし、この頃には、綿に変わって砂糖が大きな産業に成長していきます。
1908年、彼のコットンがフランコ・ブリティッシュ展覧会で名誉賞を受賞した翌年、カラボニカは、綿の栽培を続けると言ったドイツの会社に売却されました。
オーストラリアで全ての夢を叶えることができなかった彼は、この後イタリア、そしてメキシコへと旅発ったそうです。
現在、彼の名は、キャプテンクッ・クハイウェイの下を流れるトマティスクリークと、カラボニカという地名に見られるだけとなりました。
今となっては、この土地で、世界的に認知された綿が栽培されていたことを知る人は、ほとんどいません。

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