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エッセー

2004年9-10月号・其の64 ブームで思うこと

2007年09月05日

道場を建てましょう。
弟子達が言い出した時、マサカ、と思った。空手道場を開いて数年目。金も無かったし、第一自分の道場等、思いもしなかった。ところが本当に、建った。

「ケインズを囲んで円を描いてみましょう。中心になるのは、マナンダ地区ですネ。ここなら、アンダーソンストリート。稽古に来る道場生に公平に便利な地点 です。道場はそこに建てましょう」と道場建設委員会長のボブ。今でも私の懐刀で親友でもあるビジネスマン。この男、切れる。器も、大きい。

アンダーソン通りの調査は、現在大きな建設会社のダイレクターをしているジョン、が当たった。最適なのが一区画あった。
ところが3ヶ月程前に、新しいオーナーになっていた。彼の購入価格、3千ドル。ヨシ、それなら5千で交渉したらどうか。3ヶ月で2千の利益なら、悪くはなかろう。
当時の税制では、不動産売買の利益に特別の税が付かなかった。

ところが、5千では売らネェヨ、と言う。どうやら足元を見られたようだ。結局、当時としては破格の値段となった1万ドルで交渉成立。弟子達が出資して松本道場株式会社を設立し、株主となって土地を購入した。

問題が2件。
アンダーソン通りは全部住宅区。ビジネスとしての道場建設は、ゾーンが違うので許可が下りない。又建設用地と隣接して、退役軍人居住区があった。彼等が 反対した。日本人の道場である。無理もない、と思ったが、ハイソウデスカ、と引き下がる訳にもゆかぬ。

それをうまく治めてくれ、宅地を商業用地に変更して許可を下ろしてくれたのが、当時の市長のロン・デイビス。彼は事あるごとに道場をサポートしてくれ、 年2回の地税も、市公認で半額にしてくれた。ロンは現在に至るまで、道場のパトロンになってくれている。
新道場は1982年の6月、ロンの手で正式オープン。当時アンダーソン通りで一番目立った道場も、今では最も古い建物になってしまった。

当時のケインズは、ケインズ地区とスミスフィールド、エドモントンから南のマルグレーブ地区の二区に分離されていた。その後合併して現在のケインズ市に なったが、二区を合わせても人口は6万5千。実にノンビリした素晴らしく静かな田舎町だった。産業と言えば、サトウキビ程度。

ケインズの立地条件から考えて、観光産業が最適と見て、まず国際空港誘致に踏み切ったのがロン。これが引き金になった。
国際空港に目を付けた、生き馬の目をぬくような日本の不動産業者が、当時の評価で2ミリオンの、ケアンズ北部海岸部のサトウキビ畑を一挙に買収。それも 18ミリオンという9倍もの法外な値段を付けたものだから、たまったものではない。この地上げが除幕となり、ケインズ第一回目のブームを迎える事になる。 15年位前になる。

急激に変化するケインズに不満を持った保守的な住民は、次々に家を売り払って町を出る。南へ下がり、サンシャインコースト等で家を購入しても、まだおつりがきたそうだから、それを目的に移住した者達もいた事だろう。

血が流れるとすぐにシャークが寄ってくる。
日本人地上げ屋がスタートした不動産ブームは、アッという間に市内のどのストリートにも不動産屋が軒を並べるまでに発展。
株も同じで、急上昇したものは必ず下がる。人間というものは、好景気の最中で有頂天になっていると、意外に目が見えないものだ。気が付くと、少しづつ不 動産屋が姿を消し、アチコチで建築業者の破産の話を聞くようになる。そして7〜8年間の低迷期に入る。

市長のロンは、ケインズの為良かれと信じて誘致した観光産業が、保守的住民の総スカンをくって、ロンのチーム全員敗退。傷心のロンは、二度と政界には出 て来なかった。ケインズが低迷期と言えども何とか持ちこたえたのは、ロンの誘致した空港と観光産業があったからだ、と私は見ている。

この低迷期の掘り返しになったのが、米国のテロ。株価が一度に落下し、以来なかなか回復しない。株投資に自信を失った投資家達が目を付けたのが、不動 産。メルボルン、シドニーの不動産業界に火が付いた。この火はやがて、ブッシュファイヤーのように、北部に向かって燃え上がって来る。

「空手なんかやってて、自分は元気だと思っていても、いつまでも若くはないんだヨ」、と娘。
「何が言いテェンだヨ」と聞くと、いい土地があるから買いなさい、と言う。丁度2年前だ。郊外の、見晴らしの良い丘陵地に、1エーカーの土地が2区画あるという。
「隣同士に家を建てると、年をとっても面倒見やすくなるモンネ」

テヤンデェ。年はとっても、子どもの世話なんかにゃならネェヨ、とヘソを曲げたが、少し心が動いた。見に行った。ケインズの低迷期に引っ掛かり、売りに は出ていたものの、2年間も動かなかったのだそうだ。1エーカーなら狭くもないし、広すぎもしない。丁度いい広さだ。気に入った。

娘達はチャキチャキと手を打って、手際よく立派な家を建て、今年の初め、移り住んだ。南からの2度目の不動産ブームの火は、私達が土地を入手した後、ケインズに引火した。
不動産物件はケインズの場所により急騰し、建築産業の職人の手間賃、費用も上昇した。私の家はビルダーとの交渉に手間どり、このブームに巻き込まれてしまった。新築するのに、一番悪い時期になる。
第一回目のブームは、空港誘致による外部からの投資が仕掛けとなったが、今回は南部からの豪州人の投資が強い。それだけ根強いものがあるかも知れない。

GOOD NEWS、という電話のハスキーな声は、聞き覚えのあるケブン市長の秘書、モニカ。市長が、マツモトをメインテーブルに入れろ、と言っていると言う。
年に一度、市長招待によるキングスフォードランチという集まりがある。晴れがましい席は柄ではないから参加した事はなかったが、今年は気が変わって行ってみる事にした。
招待人数220名。私の席は市長夫妻と前市長のロン、連邦議員のウォレン、裁判所長官等のトップメンバーで、私だけが名も無い空手のセンセと、まったく釣り合いが取れぬ。

「でもナァセンセイ、俺も長い間市長をやったし、空港も誘致したけど、まさかケインズがこれ程までになるとは思わなかったヨ」とロン。切れ者のロンでもそ うか、と思った。私なんか金もないのに不動産に手を出して、このケインズで損バッカリ。人を信じて世話をすると、騙される。
腐っていたが、ブームに当たるは時の運。空手みたいなしょうが無い事を長い事やっている私でも、こうやって市から認めてもらえるのは、幸せ、というものではないのか、と思ったりした事だった。

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