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エッセー

2005年9-10月号・其の70 道場童子(ワラシ)

2007年09月05日

レッグカールのマシーンの上に、うつぶせになり、足首をウェイトに掛けた。背後が見えぬ。背中が何やら膚寒い。気のせいだゼ。自分に言い聞かせた。

私の道場は中二階になっていて、そこに簡単なジムの設備が置いてある。広さはまアまアだがあまり使用していず、片隅はむしろ物置になっている。窓を開けるまで、昼間でも薄暗い。

稽古中、立ち方を落としたり強く踏み込むと、膝に痛みがある。左手はガキの頃、折った。今でもくの字に曲がったままで、洗顔は右手でしか出来ない。そのままガンガン稽古に使ってきたので、無理が出てきたのかも知れない。

左肘が痛い。右腕は居合の稽古で重い真剣を振るので、筋を痛めた。体自体はまったく元気。まア五十年も稽古に耐えてきた手足の事。有難いと思いこそすれ、不満の言える筋合いではない。

痛みがあれば、その箇所を鍛え直せば良い。医者に行っても、薬を飲まされ、稽古を止めろと言われるのがオチだ。道場のジムで、シンプルなウェイトトレーニングを定期的にやった方がいい。

「ヒッパタいても大丈夫。ビシビシやって下さい。体だけは丈夫に育ててありますから」母親のティーナが言うのも無理はない。コントロール出来ないエネルギーの固まりのようなガキを連れて来た。

とにかく手がかかる。稽古に来るたびに、怒鳴りつけぬ時は一度もない。それでも聞かぬと、尻をヒッパタく。ところがこの子供、何が楽しいのか、一度も稽古を休んだ事がない。まアそれはティーナがしっかりしていたせいもある。

彼女、英名だが日本人。私の娘ほどの年頃。しっかりした性格で、なかなかたくましく生きている。ところが彼女、あまり人込みの中に入るのを好まぬ。頭がひどく痛くなる時があるそうだ。

「イエネ、私は人一倍、霊感を感じる体質なんですヨ」

エッ? ピンと来なかった。人が多いと、各々の人間についている霊が、一斉に彼女に被ってくる時もあり、それで頭痛がするらしい。不思議とは思ったものの、今一つ、実感がなかった。

「道場に来ていた子供で、事故か何かで死亡した子はいませんか」

彼女が私に問うたのは、もう数ヶ月も前になる。「何でだエ?」質問の意味がよく分からぬ。

「アノネ、時々道場の二階に子供がいるンですヨ。白い稽古着で。あの手摺りから体を乗り出すようにして、よく稽古を見てますヨ」

コリャナント、気色の悪い事を言う。私は道場の二階を見上げ、ティーナの顔を見た。冗談や嘘ッパチを言っている顔ではない。彼女の身内は霊媒師だったと 言うし、彼女のみならず稽古に来ている彼女の子供にもその霊感は受け継がれ、二階に出現する子供が見えると言う。ヤレヤレ、何ともエラいものが道場に住み 着いたものだ、と最初は思った。

座敷童子、という子供の幽霊がある。東北地方が現在のように開発される前、旧家によく出たそうだ。多くは十二、三才の子供。床の間を背にしてジッと立っていたり、暗い廊下をスーッと歩いていたりする。

ある家では、人のいぬ座敷でガサガサと紙の音がする。襖を開けると、誰もいない。気のせいだったのかと、襖を閉めると、今度はしきりに鼻をすすり上げる音がする。それで、アー、座敷童子が来ていたのか、と思ったのだそうだ。

日本の故事から考えると、日本の子供というものは、むしろ大人に福をもたらす者として位置付けられている。例えば竹取物語のかぐや姫。一寸法師。桃から 生まれた桃太郎等々。彼等が座敷童子と結び付く、という訳ではないと思うけれど、東北の童子は家の守り神。童子の出た家は、お社等を建てて童子を祭り、出 来るだけ長く居着いてもらうよう、大切にしたと言う。

幽霊に取り付かれて喜ぶという事は、まず西洋の話にはない。これは日本民族の子供に対する考え方として、注目に価する特異な存在だと思う。豪州にもし童 子が出たら、豪州人は結構雑な点が多いので、待遇が悪い、と豪州の得意技、ストライキを起こすかも知れぬナア。

ティーナと彼女の子供にしか見えない子供の霊の話を聞いた時、正直言って、あまりいい気持はしなかった。道場に一人で自主トレに出かけても、薄暗い二階に上がって行くのに、こだわりがある。

レッグカールの機械の上にうつぶせになると、背中が寒い。気のせいだゼ、と分かってはいるものの、もしかしたら何処からか、その子供が私を見つめているかも知れない、と考えてしまう。ナント、だらしのない事ヨ。

私はこの子供を道場童子、と名付けた。道場に行く時は、妻に、童子に会って来るゼ。二階に上がると、オス。童子に挨拶していたが、ティーナに言わせる と、無視しなさい。取り合わない方がいい、と言う。それにしてもなぜ、私の道場に童子が出るのだろう。

「多分ネ、稽古を続けたくても何かの理由で中断してしまった、先生を好きな子供がいたンですヨ。その子が事故か病気かで亡くなった。その子供の思いが、時々道場に戻ってくるンじゃないでしょうか」

童子は時々しか道場に戻って来ない。それも子供のクラスに限られる。大人のクラスで見た事は、一度もないそうだ。

それにしても、あの世に行ってからも道場に戻ってきてくれるとは、有難い。大切にしてやりたいとは思うものの、霊は霊、無視しなさい、と言われているの で、何も出来ない。もし童子が大人だったら、自主トレの後、ビールの一杯も一緒に飲んでやるのだが、と馬鹿な事を思ったりする。

ティーナの子供が入門したのが、三年前。その頃から童子はいたのかエ、と聞くと、ハイ。東北の座敷童子は、福と栄えを運んで来る。道場童子が出現して三年。いい子供達や信頼出来るメンバーは、着実に増えて来た。

日本人生徒はまだ二十五名。倍にはしたい。日本との良いコンタクトも増え、今年はケインズにオーストラリア、オープンの国際大会も持って来れた。来年は日本、スイス、モスコーにも行きたい。

私の道場は今年で三十周年。ぼつぼつ手を抜こうと考えていたが、とてもじゃないが、そんな段階ではなくなった。これも童子の御陰かも知れぬ。拳客商売、まだ止められぬ。

ちなみにティーナのヤンチャ坊主、オーストラリアオープンで銀メダルを取るまで成長した。彼女、泣いて喜んだ。

つい最近、私の子供の指導を見ていたティーナ。「センセ、センセ」声を忍ばせる。
「今しがた、子供が階段の途中まで下りて来てセンセを見てましたヨ」 

私も童子を見たいものヨ。

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